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〈植物はかおりで天敵を呼び寄せる? 目に見えないネットワークが張り巡らされた世界〉から続く
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植物が出す “かおり”、そこには実に興味深いストーリーがあります。作家であり、川村学園女子大学特任教授の上橋菜穂子さんの最新作『香君』ではその点がまさに鮮やかに描かれます。
学術変革領域研究(A)「植物気候フィードバック」の領域アドバイザーで、“かおり”を介した植物や虫たちのコミュニケーション研究の第一人者である京都大学(生態学研究センター)の髙林純示名誉教授と上橋さんの対話から、植物や生物が織りなす世界の豊かさ、研究と創作のふしぎな関係についてお届けします。(全3回の3回目/最初から読む)
※「植物気候フィードバック」主催、2024年11月23日、横浜市立大学みなとみらいサテライトキャンパスで開催されたクロストークを3回に分けて公開します。
◆◆◆
物語はいかにして生まれるのか
髙林 上橋先生のお話を伺っていると、若い頃から多様な情報をインプットされてきたことの重要性が感じられます。このことは、学生さんにとっては大切なメッセージになるのではないでしょうか。
上橋 そうだとうれしいですね。これまで経験してきたことは、本当に、私を助けてくれていますから。その一方で、経験したことのない、それどころか、この世にないものも、想像し、生み出してしまえるというのも、人間の面白さですよね。
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髙林 上橋先生の物語もその筆頭でしょう。ページをめくるほどに豊かなイメージが広がっていきますが、やはり綿密にプロット、つまり物語の設計図を組み立てていらっしゃる?
上橋 いえ、それがですね、先ほどもちらっと言ったのですけど、私は、事前にプロットを書かないんです。事前に地図も描きませんし、物語世界で生きている人々の設定のようなものも作りません。読者のみなさんは細かく設定していると思っておられるようですが、実は何もしていないんです。物語の印象が頭に浮かんで、書ける、という感覚が訪れたら、最初の1行目から書き始めてしまいます。
高校生 作品を書いている途中で行き詰まってしまうことはありますか?
上橋 ありますよ。『風と行く者』(注:「守り人」シリーズの外伝)という、バルサがまだジグロと一緒に旅をしていた頃の出来事と、バルサが大人になってから出会う事件が絡み合う物語なんてまさにそうでした。どうしても筆が進まなくなってしまって放置したのですが、何年も経って、担当編集者さんから、「バルサとジグロの話、もう少し書けない?」と言われたとき、「いや、それは無理」と言いながら、ふと、「あ、今なら、あの物語を書けるかもしれない」と思ったんです。『風と行く者』は、ある意味、鎮魂の物語なのですが、母を送った後、私の中で、以前とは違う何かが生まれていたのでしょうね。それからまた書き始め、完成させました。お恥ずかしい話ですけれど、そういうことは結構あります。
『香君』は、ふいに浮かんだ光景から生まれた
髙林 『香君』についてもお聞きしたいですね。あの作品がどう生み出されたのか知りたいです。あとがきでは「ふいに香りを感じている少女の姿が見えて、『香君』というタイトルが頭に浮かんだ」と書かれていますよね。
上橋 そうなんです。ある時突然、少女がいる光景が頭に浮かんで。彼女は暗い石造りの塔の中にいるんですが、窓が開いていて、その向こうには明るい自然の風景が見えている。ふわっと風が吹いてきて、少女の髪を揺らしている。ああ、いま、この少女は、この風の中に、様々な生き物のやり取りを感じている、と思ったんです。
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髙林 そのシーン自体は作中に登場しませんよね?
上橋 はい。ただ、その光景が物語全体のイメージをくれたんです。物語の内容ではなくて、物語の佇まいというか、印象のようなものです。書いている最中は、アイシャの声が聞こえて、彼女の体温やにおいも感じています。見えて、聞こえている状況をデッサンするようにして書いているのです。なので、書き終わった後に編集部から「地図を描いてください」とリクエストされることが、いつもすごく怖いです(笑)。
髙林 と言いますと?
上橋 そのとき見えた通りに書いているので、地図を描くためには、ひとつひとつ思い出しながら検討しなければならないので。例えば、ある場面を描いていたとき、どのくらいの時間帯で、陽の光がどの方向から射していたかなどを思い出して方角を考えたり、馬でどれくらいの時間を走ったかで距離を割り出したり、そういうことを手掛かりにするわけですけど、私、すごい方向音痴なんですよ。なので、あれ?? この方角だったっけ? とか、頭を抱えることが多くて(笑)。
高校生 アイシャのにおいすら感じる……というお話でしたが、先生も鼻がよいのでしょうか?
上橋 私、鼻はよくないです(笑)。でも、ミステリーやSF作品もそうですが、自分にはわからないことでも、想像で書くことはできますよね。ただ、『香君』の場合、私たちがいま生きているこの世界で、生き物がかおりでやり取りをしている、ということに心を動かされて書き始めた物語でしたから、「かおりで繋がる生態系」の描写に誤りがあってはいけない、と思って、物語を書き上げたあと、髙林先生をはじめ、様々な分野の専門家の方々に原稿を読んでいただいたり、オンラインで教えを乞うたりして、描写に違和感がないかなど、教えていただきました。
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髙林 ファクトチェックは入念に行われたのですね。
上橋 そうですね。においに限らず、地形がおかしいとか、そういったことがないようにしたいと思ってチェックしました。面白いのは、フィクションとして書いたつもりのことが、現実の世界にも似たようなことが実際にあると知って、驚くこともあることで、例えば、この間、髙林先生が、いきなりメールをくださいましたよね? あの「アイシャがいました」というメール。
髙林 ああ、「『探偵! ナイトスクープ』という番組にアイシャが出ていました」というものですね(笑)。8歳の女の子なんですが、目をつぶっていても、目の前の友達が誰だか全部わかると。まさしくアイシャだ! と思いまして。
上橋 何週か遅れでこちらでも放送されたその番組を見て、私が作家としてすごく面白いなと思ったのは、その少女が言った「体の具合が悪い時にはにおいが薄く感じられる」という発言でした。私だったらきっと、体調不良になった時は「普段と違うにおいだと感じる」あるいは「いつもより濃く感じる」と描写する気がするんです。息から感じるにおいが強くなるとか。でもそうか、薄く感じるのか! と、驚きました。そういうところに「私の想像」では描けない「リアル」が見えて、本当に面白かったです。
王獣や闘蛇はどこから?
高校生 上橋先生の想像力についてぜひ伺いたいのですが、王獣や闘蛇などの魅力的な生き物たちは、どのようなインスピレーションを得て生み出されているのでしょうか?
上橋 うーん。それが、自分でもよくわからないんですけど、いきなり頭の中に浮かぶんですよ。さっき、頭に浮かんだことをデッサンするように書くと言いましたが、例えば『獣の奏者』の最初の場面で、エリンが寝床でお母さんの帰りを待っていますよね。帰ってきたお母さんが、そっとエリンの隣の寝床に入り、自分の身体に掛け布団のようなものを掛けたとき、ふわっと、お母さんの方から甘いにおいが漂ってきたんです。その瞬間、あ、これは、お母さんがそれまで触っていた生き物のにおいだ、と思い、そのとたん、頭の中に、水の中にいる闘蛇の姿と、腰の辺りまで水に浸かって闘蛇に触れているお母さんの姿が浮かんできたんです。そうやって書いているんですよ。
これまで私が経験してきたことや、楽しんできた本や漫画、ドラマ、映画、テレビ番組などから得た膨大なイメージが頭の中に溜まっていて、何かのきっかけがあると、それが滑り出てくるのかもしれませんね。
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髙林 経験値が描写に活きているというお話ですが、それでいうと私、上橋先生は武道の達人なのではないかと思っていまして。
上橋 いえいえ~、私の運動神経はひどいものです(笑)。
髙林 そうなんですか? 私は、40代前半から空手をやっていまして、私の通っている道場の組手では、空手の技を出しあってお互いの技を高めるという稽古をします。『闇の守り人』で「槍舞」という場面を読んだときに、「互いの(槍の)技が絡み合いひとつの流れになる」とあって、そうそう、組手でもそういうのが理想なんだよね、とすごく共感しました。他にも、『夢の守り人』のバルサの戦闘シーンで、「男たちが取るであろう、様々な動きがあざやかに浮かび上がっていた。(中略)白熱した静けさが心に満ちた」というところがあります。これも印象に残りました。また『精霊の守り人』でも戦いの極意が語られています。そのような戦いの様子や心理をまざまざと書けるとは、上橋先生は武術の達人に違いないと思ったのですが?
上橋 えーと、武術は大好きです(笑)。実は、私の高祖父が、柔術をやっていたようで、祖母から高祖父の逸話を聞いて、「ひいひいじいちゃんかっこいい!」と(笑)。というわけで、子どもの頃から武術関係のことが大好きだったのですが、実際に、少しだけ武術を経験したのは大学院生の頃で、柔術をちょっとだけ練習しました。受け身を取ったり、覚えた型を練習したくらいだったのですが、本当にうまい人たちの動きを見ることができましたし、受け身の練習をするとき、「はい、来なさい」と言われて、指導してくださっている方に駆け寄って手首を握ると、あっという間に投げられてしまう。その投げられた感覚や、頭で考えるより先に体が動いている人たちの姿を見ることができたのは、とても大切な経験だったと思います。
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髙林 なるほど、そんなご経験があったのですね。それが作品にも反映されるのかなと思います。それともうひとつ、先生の作品で、登場人物のタフさも魅力ですよね。エリンが大怪我をしたり、バルサが相手にひどく切られたりして、読んでいてハラハラしますが、驚くほどすぐに復活して次に立ち向かっていく。その「タフさ」が上橋先生の中で重要な要素のひとつなのかなと。
上橋 そうかもしれません。私の中には、バルサのようなタフな人への憧れのようなものがあるのでしょうね。つらい状況を生き抜いてきた人や、厳しい鍛錬を積んだ人などが自然に体得しているタフさには、その人の姿がくっきりと見える気がします。そういう人が、私にはとても魅力的に思えるのです。傷が治る早さ、ということで、いつも思い出すのが、イギリスの作家ディック・フランシスが書いたミステリーです。競馬騎手の経験がある人だそうで、彼が描く騎手が怪我をしたときのエピソードには、骨折や打撲に対する対処を自己流でやっていても、ふつうの人より治りが早い、という描写がよく出てくるんです。落馬や骨折や怪我が日常茶飯事だった彼の経験から書かれているのだろう、その描写を読みながら、怪我をしたときの感じ方や態度には、その人の姿がくっきりと表れるなあ、と思っていました。バルサなども、それこそ、子どもの頃から怪我は日常茶飯事だったでしょうから、自分なりの対処法も経験として身に着けていただろうと思いながら書いていました。
ふっと謎が解ける瞬間
髙林 上橋先生の作品からは推理小説のテイストも感じるんです。『香君』でも『獣の奏者』や『鹿の王』でも、主人公が1を聞いて100を知るみたいな推理の場面がありますよね。そのロジックがすごく正確かつキレキレで、「ああ、そういうことね」と読んでいて気持ちがいい。そうした会話の流れも書きながら自然と見えてくるのでしょうか。
上橋 それも、なんとも説明しがたいことなのですが、私自身、自分がどうやって、ああいう会話の流れを思いついているのかを知りたいんです(笑)。本当に、自分でもよくわからないんですよ、どうやって思いついているのか。なので、後から、自分が書いたものを読むたびに、誰が書いたんだろう、これ? と思います(笑)。ただ、物語を書いているときは、日常生活の中で、何をしていても、頭のどこかに物語があるせいか、ご飯を作っている時や、お皿を洗っている時などに、頭の中に、ふいにある光景が浮かんできたりするんです。『香君』の最初の方で、アイシャがマシュウに「……あなたは、リタラン?」と聞くシーンがあるんですが、あれも、お皿を洗っているときか何か、家事をしていたときに、その光景が頭に浮かび、アイシャの「あなたは、リタラン?」という声が聞こえて、リタランって何? と思いました(笑)。
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髙林 何となくわかります。研究でも、お風呂で頭を洗っている時に「あ、こうなんかな?」とふっと謎が解けるというか、合点がいったりすることがあります。潜在意識のなかで考え続けているからなのでしょうね。
上橋 あ、やはり、先生も、そういうこと、あるのですね! ずっと考え続けて頭の中にあった何かが、いきなり明確な何かになるというか、先に何かが閃き、そのあと、なんでそう思ったのかを考える感じで、私の場合、アイシャの声が聞こえて、リタランとは何かを考えたとき、自分の中にあるマシュウのイメージの中にあったものが見えてきて、話が動いていきました。
髙林 いきなりシーンが浮かんで、次に思考がやって来るんですね。
上橋 常にそう、というわけではないのですが、そういうことがありますね。「ああ、そうか、マシュウはそういう男だから、こういうものを持っているのだ」と知っていく――そういう感覚です。
高校生 上橋先生は文化人類学において、「絶対的な他者」を研究されているのかなと思います。その他者性はきっと乗り越えることができないものだと想像するのですが、物語を書く上ではどうでしょうか? ある一人の人物に没入して、その視点から見た世界を描いているのか、その時々に出てくる人物に合わせて視点を変えているのか。
上橋 それは、すごくいいご質問ですね。ありがとうございます。物語を書いている最中、私は常に様々な人間になっているようです。『香君』でいえば、アイシャだけでなく、マシュウにもオリエにもなっている。自分ではとくに意識していなかったのですが、それに気づかされた出来事がありました。『精霊の守り人』のアメリカ版の翻訳の際、アメリカの出版社の担当編集者から、「ここはヘッドジャンピングだ。気持ちが悪いのでやめてほしい」と指摘された箇所がいくつもあったのです。数人が同じ場面を見ているようなときに、誰かの気持ちを書き入れてしまうと、英語では、いま自分が見ているものから、突然、別の人の頭の中に入って、別の目で見ているような感じになって、乗り物酔いを起こしたような、なんとも気持ちが悪い感じになると言われたわけです。私の本をいつも英訳してくださっている翻訳家のキャシーさんと、これは、すごく面白いね、と盛り上がりました。
髙林 英語の場合は主語が決まっていて、ロジックが日本語より厳密ですからね。視点が固定されている。
上橋 そうなんです。日本での生活が長いキャシーさんは、日本語で私の本を読んだときは、あまり違和感を覚えなかったそうですが、主語を明確にする英語に直してみたときに気づいたそうで、アメリカ版の編集者からの指摘で初めて気づいた部分もあったそうです。日本語でも、視点の統一は大切なのだと思いますが、私はどうも、頭の中から滑り出てくるままに書くと、そうなってしまっているようで、常に複数の人々になっているのでしょうね。翻訳作業の中で指摘されて初めて気が付いた、面白い出来事でした。
小説も論文も、肝は推敲
高校生 上橋先生にぜひお聞きしたいことがあります。私も文章を書くのが好きなのですが、推敲のコツがわからず、文章をなかなか上手く直せなくて……。以前先生の、前日書いたものを翌日読み直して修正していくというエッセイを拝読しました。
上橋 ああ、やっています。推敲のコツ、というのはわからないのですけど、私の場合、まず、自分の中から滑り出てくるままに書くのですが、次の日に読み直してみると、書き足りないこと、リズムが乱れているところ、書き過ぎていることや、矛盾していることなど、たくさん直すべきところが見えてくるんです。私は、これがとても大切なことだと思っています。ひとつは、客観的に自分の創作を見ることが出来る、ということ。もうひとつは、次の日になると、前の日には見えなかったことが見える――つまり、前の日より、ほんの少しでも成長した自分になっているということが。推敲できるということは、少し前の自分が書いたものより、少し良い文章、少しだけでも洗練された文章が書けるようになった、ということですよね。それが出来るかどうかって、本当に大切なのだと思います。作家になると、ゲラ校正の段階で、校閲をしてくださっている方から「このシーンの時間が合いません」などと指摘をいただくことがあって、とてもありがたいですけど、まずは自分で気づくことができるのが大切ですよね。
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髙林 論文を書く時も結構直すんですよ。バージョン1から始まって、バージョン20くらいまで普通に到達します。その中で何が足りないのかが分かる。上橋先生がおっしゃるとおり、少し時間をおいて読み返すと、ロジックのおかしな流れが見えてくる。
上橋 わあ、バージョン20ですか! 一度書いた後だからこそ見える、ということもありますものね。論文でも物語でも、出来上がった作品を、自分で、読み直してみることは本当に大切だと思います。
私は、執筆中、自分が物語を書いているということを、家族にも秘書さんにも、編集者さんにも言わないんです。物語が出来上がって、印刷して読んでみて、推敲して、直して、「世に出してもいいな」と思えたら、初めて出版社に電話をかけるんですよ。文藝春秋の編集者さんがそちらで笑っていますけれど、私に「本を出しませんか」と声をかけてくださってから、『香君』をお渡しできたのは、実に20年後でした。20年かけて書いたんじゃないですよ。ずっと待ってくださっていた、他の出版社の編集者さんたちに順番に物語をお渡ししていって、文藝春秋社にお渡しできる物語を書くことができたのが、20年後だった、ということですけれど。でも、それだけ長く待っていただくと、電話して「書けました」と言っても、だいたい、最初の反応は「書けたって、何がですか?」という感じなのです。ワンテンポ置いてから、事態を悟った編集者さんから「ええええ!!!」というリアクションが返ってくるんです(笑)。
研究や物語に乗せる思い
髙林 書き上げた際にはどんなお気持ちになるんですか? 達成感?
上橋 そうですね。すごくうれしいです。でも、脱け殻になったような、頼りなさというか、恐ろしさも感じます。次が書けるかどうか、まったくわからないので。さっき、お話ししたように、私は書き上げたものを読んでみると、自分で書いたとは思えないんです。どうやって書いたのか、その過程がよくわからない。その過程が逐一明確にわかっていたら、次も同じようにやればいいと思えるのでしょうが、私の場合は、自分が書いた過程がよくわからないので、次も同じように書けると思えないので、とても怖いのです。
髙林 私は『獣の奏者』でエリンが迎えた結末に衝撃を受けたのですが、プロットを綿密に組み立てて書かれるわけではないということは、上橋先生自身も思いがけないラストシーンにいつもたどり着いているのでしょうか?
上橋 うーん、それも、なかなかお伝えするのが難しいのですが、私の中には、ぼんやりと全体のイメージはあるようです。でも、それは具体的な筋立てではないのです。飛び石の話でお話ししたように、書いていくうちに、物語が成りたい姿というか、行くべき方向のようなものが見えてきて、しかも、これは、私の思惑ではコントロールできないところもある不思議なもので。『獣の奏者』の場合も、私はなんとかして、あの結末ではないところに向かわせたくて、実は、様々、別の筋道を書いてみたのです。でも、ダメでした。どうやっても、あの世界の、あの状況の中で、成立していく道は、あの道になっていく。あの試行錯誤の経験は、私に、物語自体がもつ物語の姿がいかに強固なものであるかを教えてくれました。「こうありたい、こうあれたらな」という気持ちで描いていくのですが、「どうしても、そうなってしまう」時というものもあるんです。
髙林 なるほど。そういうものなのですね。
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高校生 先生方は作品や論文を発表される際、どんな思いをのせて読者に届けているのでしょうか?
髙林 『獣の奏者』で、「南部の湿地に棲むガリョという水棲のドクトカゲの性別は、卵が浸かっている水温で変わる」という短い記述が、エリンが昔に読んだ書物の中にあって、彼女はそれを見逃さずにいて、謎を解き明かしていくところがありますよね。研究者にとっても、これはとても大事だなあと。つまり、発見したことは、誰でも読める論文にして発表しておくことが大事だと思います。研究者にとっては、ある現象の発見と、それを発表したことが誰かの研究などに役に立ったりする、というのはとてもうれしいことです。過去に発表した論文が今でも引用されているのを見るとやっぱり心が弾みます。
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上橋 私は、子どもの頃に味わった、大好きな物語に出会った時の無上の幸せの感覚が、いまも心の中にあるのです。読んでいる最中は本当に幸せで、読み終わった時には、それ以前の自分とはちょっと違う空気を吸って、世界を少しだけ違う目で見ることができた。これは、本当にすごいことだと思います。拙著を読んでくださった方に、わずかな時間でもそう感じていただけて、「ああ、面白かった! 読んでいる間、幸せだったな」と思っていただけたら、うれしいです。
最初の1ページから最後の1ページまで読み終えた時にしか訪れ得ないもの、テーマよりも何よりも、物語全体が生み出す命のようなもの。そういうものが私には大切なんです。ですから、そういうものが宿る物語になっていたらいいなと思いながら書いています。
構成:岩嶋悠里
撮影:深野未季
上橋 菜穂子(うえはし・なほこ)
1962年東京生まれ。文学博士。川村学園女子大学特任教授。作家、文化人類学者。89年『精霊の木』で作家デビュー。著書は『精霊の守り人』をはじめとする「守り人」シリーズ、『狐笛のかなた』、『獣の奏者』、『鹿の王』、『香君』、『隣のアボリジニ』、『明日は、いずこの空の下』、医学博士・津田篤太郎との共著『ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話』など多数。野間児童文芸賞、本屋大賞、日本医療小説大賞など数多くの賞に輝き、2014年には国際アンデルセン賞作家賞を受賞。20年、マイケル・L・プリンツ賞オナー、23年、吉川英治文庫賞を受賞、24年、菊池寛賞受賞。
髙林 純示(たかばやし・じゅんじ)
1956年神戸市生まれ。京都大学名誉教授。農学博士。1987年京都大学農学部付属農薬研究施設助手、オランダ農科大学ワーゲニンゲン研究員、京都大学農学研究科准教授、京都大学生態学研究センター教授、同センターセンター長を務めた。2000年、日本応用動物昆虫学会賞、22年、日本生態学会賞、23年、日本農学賞を受賞。著書に『寄生バチをめぐる「三角関係」』(共著、講談社)、『共進化の謎に迫る』(共著、平凡社)、『植物が未来を拓く』(共著、共立出版)、『生物多様性科学のすすめ』(共著、丸善)、『プラントミメティックス』(編集委員・共著、NTS)、『虫と草木のネットワーク』(東方出版)、『植物の多次元コミュニケーションダイナミクス』(監修・共著、NTS)など。
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