本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
なぜ、やなせたかしさんについて書こうと思ったのか?『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』文庫書き下ろし刊行記念特別企画前編

なぜ、やなせたかしさんについて書こうと思ったのか?『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』文庫書き下ろし刊行記念特別企画前編

梯 久美子

『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(梯 久美子)

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #ノンフィクション

 春からのNHK朝ドラ「あんぱん」放送目前で、注目が集まっている漫画家のやなせたかしさん。評伝の名手であるノンフィクション作家・梯久美子さんが文庫『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』でやなせさんについて書き下ろしたのには、深い理由がありました。本書「あとがき」より、前編後編に分けて特別公開します。

後編につづく

『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』は、生きることを肯定し続けたやなせたかしさんについて綴る感動作です。

◆◆◆

 疲れたひとをやすませたい
 さびしいひとをなぐさめたい
 悲しいひとをほほえませたい
 でも
 どうやって
 どうすれば
 そんな大それたことができるだろう
 自分でさえもボロボロで
 もうくじけそうと思うのに
 まして他人のことにまで
 お節介ができるはずがない
 しかし 私は何かしたい
 ひとの心をよろこばせたい
 なぜなら 打ち沈みがちな人生で
 それが 私のよろこびだから
 ところで あなたは……。

 これは、やなせたかし氏による『詩とメルヘン』1986年6月号の「編集前記」です。書かれたのはアンパンマンがアニメ化される2年ほど前で、当時、やなせ氏は67歳でした。

 新宿区片町にあったやなせ氏の仕事場でこの原稿を受けとったのは、そのころ『詩とメルヘン』の編集者をしていた私でした。本書を書き終えたいま改めて、氏の仕事の根本にあったものが、ここにあらわれていることに気づきます。

 まず私自身の話をするのをお許しください。

 小学生のとき映画『やさしいライオン』に感動し、中学生で詩集『愛する歌』に出会った私は、高校生になると『詩とメルヘン』に詩を投稿するようになりました。そして大学卒業後、『詩とメルヘン』の編集者になりたい一心で北海道から上京し、発行元のサンリオに入社します。最初に配属されたのは社長室で、本書にも登場する辻信太郎氏の秘書の一人として働いたあと、念願かなって『詩とメルヘン』の編集部に異動になりました。

 学生時代、師と呼べる人に出会うことができなかった私は、やなせ氏のもとで仕事をするようになってはじめて、心から「先生」と呼べる人をもつことになりました。本稿でも、以下、やなせ氏のことを「やなせ先生」と記させていただきます。

 本書に出てくる夫人の暢さんの言葉通り、やなせ先生は本当におだやかな方で、怒ったり声を荒らげたりするところを一度も見たことがありません。ああしろこうしろと指図することなく、いつも淡々と自分の仕事をされていましたが、誰かがピンチにおちいると、必ず助けてくださいました。

 こんなことがありました。私が会社を辞めてフリーランスになったとき、アパートの大家さんから、賃貸契約を打ち切ると言われました。定職のない独身女性に部屋は貸せないというのです。

 それを知ったやなせ先生は、ご自分の住まいと仕事場のあるマンションの一室を貸してもらえるよう、その部屋のオーナーの方に頼んでくださいました。10坪ほどのワンルームで、それまでやなせ先生が書庫として借りていたところです。私のために本を引き上げて部屋を空けてくださったこと、ご自分でトイレの掃除までして引き渡してくださったことを、だいぶたってから知りました。

 30歳になるころ、ある出版社から絵本の編集をしないかという話がきました。ずっとやりたかった仕事でしたが、人脈のない私が頼れるのはやなせ先生だけ。おそるおそる頼みにいくと「いいですよ」と快諾してくださいました。

 できあがったのは「いねむりおじさんとボクくん」というかわいらしいコンビが主人公の『アップクプ島のぼうけん』。好評で売り上げもよく、第2 弾の『とぶえほん』も刊行されましたが、しばらくしてその出版社はつぶれてしまいました。2 冊の絵本は絶版となり、せっかくのキャラクターも活躍の場を失いました。

 できたばかりの小さな出版社でした。いま思えば、この世界で長く仕事をしてきたやなせ先生は、心のどこかで、そういうことになるかもしれないと思っておられたのではないかと思います。それでも、独立したばかりのかつてのスタッフに仕事の場を与えるために引き受けてくださったのでしょう。

 アンパンマンのテレビアニメが始まった翌年のことで、多忙なことは当時からわかっていましたが、この伝記のために調べていて、暢さんが闘病中の大変な時期だったことを知りました。

 作家にとって絶版ほどつらくて嫌なことはありません。でも先生は、そのときから亡くなられるまで、この絵本のことも、つぶれた出版社のことも、ただの一度も口にされませんでした。それがどんなにありがたかったかわかりません。

 先生は困っている人がいれば誰にでもさりげなく手を差しのべる方で、私が特別に目をかけてもらっていたとか、親しかったとかいうわけではありません。ごく自然に、けれどはっきりと公私を分け、仕事の関係者とは信頼にもとづくあっさりした関係を保っていました。相手の年齢や地位によって態度を変えず、有名になってからも、取り巻きのような人をまわりに置くことはありませんでした。

 忘れられないのは、先生の「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」という言葉です。

 誰もが認めるすばらしい作品を世に出すことよりも、身近な人に親身に接し、地道に仕事をして、与えられた命を誠実に生き切ることのほうが大切だ――それが先生の考えであり、生き方でした。

後編に続く

なぜ、やなせたかしさんについて書こうと思ったのか? 評伝の名手・梯久美子さんが綴るその理由(後編)〉へ続く

文春文庫
やなせたかしの生涯
アンパンマンとぼく
梯久美子

定価:770円(税込)発売日:2025年03月05日

電子書籍
やなせたかしの生涯
アンパンマンとぼく
梯久美子

発売日:2025年03月05日

プレゼント
  • 『高学歴発達障害』岩波明・著

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2025/03/19~2025/03/26
    賞品 『高学歴発達障害』岩波明・著 5名様

    ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。

提携メディア

ページの先頭へ戻る