
- 2025.03.20
- 読書オンライン
なぜ、やなせたかしさんについて書こうと思ったのか?『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』文庫書き下ろし刊行記念特別企画後編
梯 久美子
『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(梯 久美子)
〈なぜ、やなせたかしさんについて書こうと思ったのか? 評伝の名手・梯久美子さんが綴るその理由(前編)〉から続く
春からのNHK朝ドラ「あんぱん」放送目前で、注目が集まっている漫画家のやなせたかしさん。評伝の名手であるノンフィクション作家・梯久美子さんが文庫『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』でやなせさんについて書き下ろしたのには、深い理由がありました。本書「あとがき」より、抜粋して後編をお届けします。
(前編に戻る)

◆◆◆
40歳を過ぎて作家になった私が賞をもらうと、先生は雑誌の対談に呼んでくださいました。その本が、太平洋戦争末期の硫黄島の戦いをテーマにしたノンフィクションだったことから、先生の戦争体験に話が及びました。
徴兵されて中国へ渡り、戦場で飢えを経験したことや、弟さんが京都帝大から海軍に入って戦死したことを知ったのはそのときです。アンパンマンに託した先生の思い、そして、洒脱でユーモアたっぷりだった先生が、ときどき寂しげに見えた理由を垣間見た気がしました。
アンパンマンの絵本の版元であるフレーベル館から、子どもに向けたやなせ先生の伝記『勇気の花がひらくとき』を刊行したのは、先生が亡くなられた2 年後のことです。その内容の一部が小学校5 年生の国語教科書に掲載されたことから、子どもたちだけでなくご家族、とくにお母さんたちから感想が届くようになりました。
その多くに、子どもと一緒に見てきたアンパンマンがなぜ生まれ、そこにどのような思いが込められているかを知って感動したことが書かれていました。今回、改めて大人向けにやなせ先生の伝記を書き下ろした理由のひとつに、そうしたお母さんたちに、先生の人生をもっとくわしく知ってほしいと思ったことがあります。
本書を読まれた方にはおわかりだと思いますが、やなせ先生は、自分を置いて再婚した母親への思慕を生涯にわたって持ちつづけた人です。
先生の遺品の中に、黄ばんだ新聞の切り抜きがありました。先生本人が書いたり取材を受けたりした記事以外で保存されていた切り抜きは、この1点だけです。古すぎていつのものかもわからないその記事は、演劇評論家の戸板康二氏が日本画家の小村雪岱(こむらせったい)について書いたコラムでした。そこには雪岱が早くに生母と別居して親類の家で育ったこと、雪岱の美人画のモデルは幼い頃に見た母親の顔だと本人が語っていることが書かれていました。
アンパンマンに出てくるキャラクター、ドキンちゃんの外見は母の登喜子さんに似ているとやなせ先生は書いています。雪岱の境遇と母への思いが創作に与えた影響について、自分と共通するものを感じておられたのかもしれません。
やなせ先生は、アンパンマンが幼児の心をとらえる理由を聞かれて、自分にもよくわからないが、幼児期の子どもは母親との一体感の中で生きているので、お母さんがアンパンマンを見て安心やよろこびを感じてくれたら、それが子どもに伝わるのかもしれないと語っています。母という存在は、作家としてのやなせ先生にとっても大きなものでした。
先生が80歳のときに書いた詩に、こんな一節があります。
ひとが生まれるとき
おかあさんはくるしい
涙こぼしてひとが生まれる(「ひとが生まれるとき」より)
どんなお母さんも命がけの苦しさの中で子どもを産み、どんな子どもも、お母さんだというだけで母親を愛します。そのことの重みと切なさを、深く受けとめていた人でした。
この本を書いた理由はもうひとつあります。2019年3月に高知県香美市のアンパンマンミュージアムを訪れたとき、たまたま開催されていた企画展で「アンパンマンのマーチ」の歌詞の手書き原稿を見たことです。
本書に記したように、歌詞の中の「たとえ 胸の傷がいたんでも」の部分は、もともとは「たとえ いのちが終るとしても」となっていました。
衝撃を受けた私は、さらにその後、アニメ化の前に作られたミュージカル「怪傑アンパンマン」の主題歌に「ぼくのいのちがおわるとき ちがういのちがまた生きる」というフレーズがあることを知ります。
いのちはいつか終わるが、それはすべての終わりを意味しない。犠牲をいとわない勇気はすなわち愛で、それはかならず引き継がれていく。だから生きることはむなしいことではない――それはやなせ先生の祈りであり、命に対する態度でした。さびしさ、挫折、愛する人たちの死。それでも光のほうへ向かって歩き続けた先生の人生から生まれた哲学が、アンパンマンの世界を成立させていたのです。
このことに気づいたとき、アンパンマンの深さに改めて思い至りました。そして、自分の顔を食べさせるという、前代未聞、唯一無二のヒーローを導き手として、もういちど先生の生涯をたどりたいと思ったのです。それは、私にとってただ一人の師であるやなせたかしという人と出会い直す旅でもありました。
2025年1月 梯久美子
硫黄島 栗林中将の最期
発売日:2016年03月18日
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