- 2022.12.23
- CREA
「50代半ばでも“父”のような 大きな存在を探している」両親を 見送った酒井順子が語る“父の娘”の人生
文=文藝春秋第二文芸編集部
撮影=鈴木七絵
『この父ありて』刊行記念対談 #2
ノンフィクション作家・梯久美子さんによる2年半ぶりの最新作『この父ありて 娘たちの歳月』が2022年10月に刊行になりました。梯さんが、渡辺和子や田辺聖子、石牟礼道子など、9人の著名な女性作家とその父娘関係を通して、彼女たちの創作の秘密や人生に迫ったのが本作です。刊行を記念して、エッセイストで新刊『女人京都』を上梓された酒井順子さんをゲストに、誠品生活日本橋で対談イベントが開催されました。二人が語る「父娘関係」、そして「女性と文筆」とは。
父の遺志を継ぐのは息子とは限らない
酒井 石垣りんさんは父親の存命中から作品を発表されていましたが、父の死後に父との関係性が変化し、作品を書いたという意味で『この父ありて』のなかで対照的なのが、辺見じゅんさんですね。弟の角川春樹さんが、辺見じゅんさんと父の角川源義さんを「死後の親子だった」と本の中で語っていらっしゃいましたけれど。
梯 そうですね。辺見さんのデビュー作は実はノンフィクションではなく、私小説だったんです。家族のことを書いた『花冷え』という作品なのですが、源義さんはその作品のことをあまり認めていなかったようなんです。
以来、辺見さんは書くことから距離を取っていたのですが、源義さんの最晩年になって、国文学者で民俗学者だった父の遺志を継ぐように、日本各地に聞き書きの旅に出て、ノンフィクションを書くようになります。ノンフィクションの取材って、民俗学のフィールドワークに近いものがあるんです。だからなのか、源義さんも、亡くなる少し前、自分の貴重な資料を辺見さんに譲ったりしています。
源義さんは優秀な国文学者だったのですが、様々な事情から学者の道を諦めて角川書店を創業したんです。つまり源義さんは、角川書店という実業は息子二人に継がせ、自分が本当に究めたかった文筆の夢は娘に託したんじゃないかと、この本を書きながら考えていました。父の遺志を受け継ぐのが息子だけとは限らない。娘が継ぐ場合もあるんじゃないでしょうか。
酒井 大塚家具とか(笑)。
(会場爆笑)
田辺聖子さんみたいな本を書いてほしい
酒井 息子が継ぐと、父への反発が生じるケースが多いのかもしれませんよね。娘は、異性ということもあって父親に対して反発の前に理解をしようとする。大塚家具を除き、ですが(笑)。
梯 酒井さんのお父様は出版社勤務でいらっしゃいましたが、そういう意味でも、酒井さんが物書きになったことは喜んでいらっしゃったんじゃないですか?
酒井 直に伝えられたことはないですが、喜んでいたようには聞いています。ただ、私が書くものの内容が父の意に沿っていたかというと甚だ疑問で……。父は母に「田辺聖子先生みたいな本を書いてほしい」と言ったことがあるそうで(笑)。品があってユーモアがあるものを、という。
梯 酒井さんの作品だってそうじゃないですか!
酒井 でも、最初に売れたのが『負け犬の遠吠え』ですし(笑)。父としては複雑な気持ちだったと思います。
梯 大ベストセラーになって、これで娘も出版業界で生きていけるだろうと、きっと安心されたはずです。
酒井 そうだといいのですが。『負け犬の遠吠え』が売れた時に父はすでに病を得ていたのですが、亡くなった時にあの本をお棺に入れるかどうかは悩みました(笑)。
梯 入れたんですか?
酒井 結局、入れてしまいました。あちらでゆっくり読んで、と(笑)
令和の父娘関係は、茨木のり子型?
酒井 石垣りんさんや辺見じゅんさんと対照的に、ずっと良好な父娘関係だったのが茨木のり子さんですよね。茨木さんの場合は父親をとても敬愛していて、彼女と父親の関係は、現代の若い父娘関係に近い感じがします。今時の娘達は本当に父親と仲が良くて、なんでも喋る子が多い。父親とハグできちゃう感じ、というか。私たちの世代とは隔世の感がありますね。
梯さんとお父様も、なんでも話せる関係性だったのでしょうか。
梯 いえいえ、全く。30代で初めて父と海外旅行に行ったのですが、その時に「お父さんってこんな人だったんだ」と知ることが多かったです。トルコの遺跡で足元にまとわりついてきた猫を抱き上げた父を見て「猫が好きだったんだ」とか、飛行機の座席のモニターでずっと地図を見ている父を見て「私と同じ地図好きだったんだ」とか。もともと口数の少ない人だったこともあって、それまで父のことはよく知りませんでした。
その後、自分が戦争関連の取材を多くするようになり、父と同世代で境遇の似た方々の話を聞くなかで、父も同じだったのかな、とずいぶん迂回したルートを通って父のことを知れるようになったと思います。
酒井 そうなんですよね。私も父が亡くなった後に、自分は父のことをまるで知らなかったなと、痛感しました。私の父は昭和5年生まれなのですが、生前のある日、「お父さんは軍国少年だったからな」と言われてひどく驚いたことがありました。もっとその辺りのことなど、きちんと訊いておけば良かったと思っています。
梯 やっぱり娘の場合、母との関係の方が大きい問題になることが多くて、それに比べれば父とのことはどうしても後景に退くようなところがありますよね。
酒井 先ほどお話ししたように、生前は父と語り合うようなことは少なかったのですが、没後はよく、仏壇に語り掛けてみたり(笑)。いなくなってからの方が、素直に自分の心をさらけ出せるようになりました。
「男の謎」は父に集約されている
酒井 50代半ばの私ですが、この年になってもまだ、「父」のような頼りがいのある大きな存在を探していますし、これからも探し続けるような気がしています。実際にそういう人が目の前に現れることはないとわかってはいるのですが。
梯 たしかに、女性はそういうところがあるかもしれませんね。それに加えて娘って、父のことがよく分からないんだと思うんです。私の場合、母のことは手に取るように分かるんです。自分と似ていて嫌な部分も含めて。でも、父のことは掴み切れないところがある。だから考え続けるんじゃないかと思いますね。
酒井 「男の謎」が父のなかに集約されているような気もします。私の世代の父親たちって、人としての個性を、家族にはあまり見せていなかったんじゃないでしょうか。むしろ、会社の同僚の方がパーソナルな父をずっと知っていたり。家族のなかでも、父親のことを一番知らないのが子供たちなのかなぁ、と思います。
梯 一番近い血縁のはずなのに、よく分かっていなかった。そういう後悔も含めて、父親はずっと娘たちの心に残っていくのかもしれません。
梯 久美子(かけはし・くみこ)
1961年、熊本市生まれ。北海道大学文学部卒業後、編集者を経て文筆業に。2005年のデビュー作『散るぞ悲しき』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。同書は米、英、仏、伊など世界8か国で翻訳出版されている。16年刊行の『狂うひと』で読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞、講談社ノンフィクション賞を受賞。その後も、『原民喜』『サガレン』など、話題作を発表し続けている。
酒井順子(さかい・じゅんこ)
1966年、東京都生まれ。高校在学中に雑誌にコラムを発表し、デビュー。大学卒業後、広告会社勤務を経て、エッセイ執筆に専念。2004年『負け犬の遠吠え』で講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞をダブル受賞。その他、『うまれることば、しぬことば』『枕草子REMIX』『地震と独身』『家族終了』『無恥の恥』など著書多数。
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