テレビ局は「新しい文化的エリート」に置き換わる。トランプ、ヴァンスが台頭する背景とは
政府や官僚、マスコミなど「エリート」への反感が、世界的に強まっている。
こうしたエリートを既得権益として批判し、喝采を浴びているのが「カウンターエリート」と呼ばれる存在だ。彼らは一見すると、反エリートを掲げながらポピュリズム的な主張をおこなう荒唐無稽なインフルエンサーのように思われている。しかし、その認識は端的に誤っている。
カウンターエリートの潮流は、2024年の東京都知事選や兵庫県知事選、アメリカ大統領選、そして欧州政治など世界各国で見られており、政治や社会、そしてメディアなどの領域で大きな地殻変動を起こしつつある。
第47代アメリカ合衆国大統領となったドナルド・トランプ、ウクライナ問題などで急速に存在感を増している副大統領のJ・D・ヴァンス、世界有数の投資家であるピーター・ティールらは、そのキーマンだ。日本や韓国、欧州などで誕生する新たな政治的リーダーは、その体現者だ。
彼らが世界で同時多発的に台頭しはじめたことは、偶然ではない。
本当に重要なことが、無視されている
本当に重要なことが、無視されている──本書が出発点とするのは、そうした強い仮説だ。
おそらくあなたは、YouTube(ユーチューブ)やInstagram(インスタグラム)、X、あるいはTikTok(ティックトック)から日々の情報を入手している。
自分の政治的な立ち位置を「保守」や「リベラル」、「右派」や「左派」として認識することは、ほとんどない。テレビや新聞で、衆議院予算委員会や本会議などの「政治の話題」を耳にするが、その議論が自分たちの暮らしを本当に良くするとは思っていない。
借金をしてまで「とりあえず」大学に行くべきか疑問に感じているが、それ以外の選択肢はないに等しい。過去数十年間にわたって初任給の額はほとんど変わっていないどころか、相対的に生活の苦しさは増している。少子高齢化は避けられず、誰もが年金をほとんど受け取れないと考えているが、制度改革の議論を進める人はいない。
テレビや新聞が重要だと訴えている「政治」や「社会」のニュースは、自分たちの感覚とはかけ離れている。
端的に言えば、メディアが「これが今の社会にとって重要なアジェンダだ」と掲げるトピックは、まるで遠い国の無関係な出来事のように、現実味のないものだ。
にもかかわらず、この社会には、正面切ってこうした議論を提起する人はほとんどいない。誰もが「王様は裸だ」と気付いているものの、誰もそれを指摘できない状況だ。
その意味で、わたしたちは一つの共同幻想を信仰している。
テレビのニュース番組で、キャスターが「国会がスタートしました、私たちの暮らしにとって重要なことが決まっていきます」と言っても、実際には多くの人が真剣に受け止めていない。リアルな世界は、ソーシャルメディアやネットフリックス(Netflix)の中に存在しており、そこでの物語こそが重要だ。
こうした主張は極端に思われるかもしれないが、少なくとも多くの「知識人」が重要視する問題と、ソーシャルメディアのクリエイターが注目する問題には、大きな乖離がある。既存のエリートが問題を解決できるとは誰も考えていないが、誰もが見て見ぬふりをしながら、毎日を過ごしている。
文化的エリートの死
政治や経済、社会をめぐって、この社会は旧来のエリートが設定した「ほとんど重要ではない問題」ばかりに目を向けている。皆がそのことに薄っすらと気付いているにもかかわらず、誰もが「王様は裸だ」と叫ぶことを躊躇っている。
なぜなら旧来の文化的エリートが、もはや自らの役割を放棄しているからだ。彼らは、これまでの商慣習やコンテンツづくりのルール、仕来りに囚われて、共同幻想を再生産することだけに集中している。
しかし、その幻想は少しずつ崩壊しつつある。
2025年、FacebookやInstagramを運営するメタ(Meta)のマーク・ザッカーバーグCEOは、既存のエリートが死にゆく様子を率直に語り始めた。
ザッカーバーグは、ジャーナリストやニュースキャスターなど従来の文化的エリートが、ソーシャルメディアのユーザーなどの「新しいタイプの文化的エリート」に置き換わるべきだと指摘した。
おそらく、ザッカーバーグの予言は的を射ている。
2024年、日本でもオールドメディアとソーシャルメディアをめぐる議論が盛り上がったが、そこで起こっていたことは、文化的エリートの緩慢な死を示唆していた。
同年の夏頃、筆者がテレビ局のある若手社員に、「オールドメディアとソーシャルメディアの議論は、決定的に潮目が変わりそうだ」と話したところ、ポカンとした反応を受けた。まるで「オールドメディア」という呼称を初めて聞いたような様子だった。
当時はまだ、オールドメディア対ソーシャルメディアという二項対立が一般的ではなかったため、こうした話題を知らなくても不思議ではない。しかし、将来を有望視されている若手社員が、こうした社会の動きを敏感にキャッチアップしていないことは驚きであった。
また、ある不祥事をめぐってテレビ局が強い批判に晒された際、出演者の待遇やケアについて議論が巻き起こった。こうした話題について、ある中堅社員が「でも、テレビに出演して、名前が売れるなら良いんじゃないですかね」と口走った。この社員に悪意はなく、本当に不思議そうな語り口だった。
ここで言いたいことは、メディアやテレビ局への批判ではない。むしろ、その中にいる文化的エリートが、いかにエリートでなくなり、社会と断絶しているかという純粋な驚きだ。
かつてテレビ局は、最先端のトレンドや議論、カルチャーの主要な発信源の一つであり、その関係者は、知的・文化的エリートとみなされてきた。しかし、その認識は過去のものであり、もはや「新しいタイプの文化的エリート」に置き換わることは不可避のようだ。
新しいタイプの政治的・文化的エリート
では「新しいタイプの文化的エリート」が目を向ける、本当に重要なこととは、なんだろうか。
それは経済成長かもしれないし、テクノロジーかもしれない。AIかもしれないし、暗号資産かもしれない。少なくとも、そうした問題について語ることが文化的エリートの役割だ。
もしあなたが10年前に戻って、AGI(汎用人工知能)の可能性は現実的になり、ビットコインの時価総額が300兆円を超えて、mRNA技術によって人類がガンに勝利する可能性が出てきたと語ったら、多くの人から不思議そうに首を傾げられただろう。
ところが10年前どころか、現在の共同幻想においてすら、こうした話題はほとんど登場しない。AIは脅威と捉えられ、ビットコインは得体のしれない詐欺とみなされ、ガンや肥満を真剣に倒せると思っている人は、ほとんどいない。もちろん、その未来を大真面目に考えている科学者や起業家、エンジニアは多数存在する。しかし、彼らの声は明らかに過小評価されている。これは日本やアメリカだけでなく、多くの先進国に共通する光景だ。
そうした中で、時に常識に反して、時に不快で、しかし時に重要な議論を積極的に提起する変わり者がいる。彼らはカウンターエリートと呼ばれる、新たな政治的、社会的、あるいは文化的エリートだ。
第1章で詳しく述べるが、カウンターエリートの定義は以下の三点に集約される。
(1)カウンターエリートは、学歴や社会的地位、富の保有のみで定義されない。
(2)カウンターエリートは、現行システムへの問題意識を共有している。特に政府や官僚機構、メディア、学術界などを「既得権益化したエリート」とみなし、攻撃する。
(3)カウンターエリートは、右派あるいは保守思想と親和性が高いこともあるが、リベラル・保守といった政治的イデオロギーと無関係なことも多い。
このカウンターエリートは、戦後から現在まで続いている「リベラルな秩序」の叛逆者として登場した。「リベラルな秩序」とは、わたしたちが暮らす社会を支える民主主義や資本主義を前提とする広範な社会契約であり、様々な知や制度への信頼だ(たとえばマスコミや官僚、大学への信頼など)。彼らはYouTubeやポッドキャストなどのソーシャルメディアを活用して、新たなナラティブを撒き散らしている。ソーシャルメディアはいまやマスメディアと言って良いほどの規模と影響力を有しており、彼らはその強烈なキャラクターによって、大衆の説得を成功させつつある。
彼らの中には、残念ながら差別主義者や科学否定論者、陰謀論者が多数含まれている。こうした問題ある人々があまりにも目立ち過ぎているため、主流メディアや主要なエリートたちはそこに気を取られ過ぎている。このタイプの新しいエリートたちは、いまはインフルエンサーと呼ばれ、ネットで極論を撒き散らし、アテンションを集めるだけの危険人物だと考えられている。
しかし彼らの主張は、政治的にも社会的にも過小評価されすぎている。彼らの言葉を文字通り受け取る必要はないが、それを真剣に考える必要がある。カウンターエリートは、様々な局面で「何かが間違っている」と主張しており、その議論に影響を受けている人は急速に増えている。そしてその主張は、社会で急速に影響力を持ちはじめている。彼らの言論は、今やオンラインのサブカルチャーではなく、主流の政治やメディアを揺るがせている。
彼らは何者であり、なぜ誕生したのだろうか。そして、カウンターエリートが台頭する社会は、どこに向かっていくのだろうか。
「はじめに」より
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