
〈完璧に公平な競争社会は天国か地獄か? 教育格差や体験格差を埋めるより大事なこと〉から続く
学歴社会を打破するために何が必要か?
『子どもの体験 学びと格差』(文春新書)を上梓した教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏と『学歴社会は誰のため』(PHP新書)で話題の勅使川原真衣氏が語る。
(本対談は、5月29日に紀伊國屋書店新宿本店で開催されたトークイベントをもとに加筆・再構成してお届けします)

◆◆◆
学歴社会を打破するカギは職務要件定義
勅使川原 こうやって能力主義的競争社会を終わらせようと訴えていても、じゃあわが子のことになったら……。私だって、現実社会における有利・不利の概念が頭を駆け巡るわけですよ。おおたさん自身はそんなことはなかったですか?
おおた まあ、まったくなかったわけじゃないけれども、なんだろうな。クラスでビリをとったら、「お前ラッキーだなぁ!」って。
勅使川原 マジすか!?
おおた 「友達が自分よりみんな優秀だったらいちばん助けてもらえて得な立場じゃん。おいしいじゃん。ほかのところで友達を助けてあげられなきゃいけないけどね」って言いましたよ。
勅使川原 なるほど~。いやちょっと、真似できないなぁ。それは真似できない。

おおた 競争社会があまりに過酷だから格差社会になってしまっているわけだから、これからの時代は、競争に勝てるひとじゃなくて、競争をしなくていいひとを育てなきゃダメでしょっていうメッセージを根底にして、僕は一応、物を書いています。
これからの教育はかくあるべきだって議論のほとんどは、いかにグローバル社会で勝てる人材を育てるかって話なんですよ。これだけ分断が進んでいて、いろんなところで戦争が起きているというなかで、「いつまで競争しているんですか?」って。
勅使川原 それをやめないのは、いま勝っているひとなんじゃないですかね。勝っているひとは「気持ちいい~」という状態なので、また次の戦いにすぐに挑みに行っちゃう。
おおた だからビジネス界の成功者たちが教育のことを語りだすと、競争的な教育観を前面に出しちゃうんですよね。
勅使川原 わかるなぁ。『学歴社会は誰のため』でも書いたんですけど、教育を教育で変えていくことはたぶん難しいと思うんですよ。教育がやっぱり職業養成機関として想定されている以上、ちゃんと労働して、納税できる、元気なひとを育てたいというのがありますよね。だったら企業の側から、社会のあり方って変えていけるんじゃないかって思っていて。そのカギの一つが「職務要件」の整備です。
会社の中に存在する一つ一つの仕事に対して職務要件を書いて、ジョブ型の雇用が進んでいけば、画一的な「優秀さ競争」みたいなことが薄まっていくんじゃないかと。意外と、状況を変える一手になるんじゃないかなと思っています。
おおた 本の後半ではその道筋をものすごく具体的に示していますよね。

なぜ東大生はコンサルを選ぶのか?
勅使川原 最近、東大生にコンサルが人気とかいうじゃないですか。自分がコンサルやっていたからわかるんですけど、コンサルって職務要件定義がめっちゃしっかりしているんですよ。評価基準が非常に明確で、それにもとづいてちゃんとフィードバックしてくれる文化が根付いている。それがいまの若いひとたちにとっては安心感につながるということなんじゃないかとか、最近は考えていますね。
おおた コンサル業界は評価基準が明確だってことを理解している学生がコンサルを選んでいるってことですか?
勅使川原 若い方自身が「職務要件」ということばで理解しているとは思わないですが、「頑張り方」がわかりやすいからいいよねって思っていらっしゃるんじゃないかと。
おおた それならまっとうな選択ですね。評価基準が明確なほうが頑張れるってところが受験強者っぽいなとも思いますけれど(笑)。
勅使川原 タイパ重視で、「無駄」を嫌いますからね。頑張っても報われない/評価軸が不明瞭なことは最初からやらないっていう、受験に似た単線的な知性かもしれないですね。そもそも、ジョブ型って基本は多様性なんですよね。いろんな職務、いろんな機能があるよねっていうところから出発しているので。それに比べると、いまの歯の浮くような企業内ダイバーシティの議論は嘘っこだなって思いますね。
おおた 職務要件定義を、各企業がつくってくれればいい? それができなければ、ジョブ型雇用なんてのは……。
勅使川原 本当に夢のまた夢ですね。
おおた 企業はつくってくれます?
勅使川原 いやー、本当にね。でも、一部にはやっていらっしゃる企業がやっぱりあるんですよね。本の中でも最後に書いているんですけれども。職務要件定義ではなくて成果の定義でもいいんですよ。私たちが何を目指して、どういう役割分担でやろうとしているのかっていうこと。
おおた 僕は、職業別の労組がまずできて、そこが業種ごとの職務要件のひな形をつくっていったほうがいいんじゃないかって、素人ながらに思うんですけど……。ヨーロッパってそうなってますよね。
勅使川原 たしかに。労組の動きがいま若干隆盛だし。
おおた 日本の場合は企業別労組じゃないですか。そうじゃなくて、企業をまたいだ業種別で。セールスならセールス業界とかね。エンジニアならエンジニア業界とかで、「僕らの価値はこうなんですよ。これくらいのことができたらいくらくらいは必要なんです」とかいうメニュー表を先に示して、それを企業にも飲ませるというようにもっていかないと動かないんじゃないかって思っちゃう。
勅使川原 何かそこは連帯しないですね。「本当に“優秀”なひとは連帯なんか必要はない。弱いから連帯するんだろ」っていう考えは一部のトップ層にはチラホラある。連帯も<弱い・強い>みたいに考える向きが、まだ残っているような気がします。でも、連帯して何が悪いって思いますけどね。そもそも自立したひとって究極的にはいないから。

勝ち抜く能力よりセーフティネット
勅使川原 そういうことがまだ変わっていかない現実の中で、「そりゃあうちの子にも有利になってほしい」って思わざるを得ないですよね。「課金ゲームにうちだけ乗りません」ってできないから。その大きな枠組みをどう変えていくのかっていうのをもう少し伺いたいなぁ。
おおた 学歴社会に飛び込んでいくひとがあとを絶たないから、学歴社会はなくならない。学歴社会がなくならないから、学歴社会に飛び込んでいくひとがあとを絶たない。それを勅使川原さんの本では非常に適切に「卵が先か鶏が先か」って表現しています。
卵が先か鶏が先かわからないような議論には、たぶん、これっていう解決はありえないんですよ。そうしたら、ダーウィンの法則に任せるしかありません。要するに自然淘汰を待つしかない。制度とかしくみの話じゃないんだと思います。
学歴に頼って生きていくひとたちがいてもいいんですよ、ずっと。だけど、そこだけが人間の生きる世界じゃないよねって。学歴フィルターを設けているような企業を、若者たちが「ダサいよね」って言って避けて就職するようなムードをつくって、学歴社会の領域がだんだんだんだん縮小していけばいいのかなって僕は思っていますけれど、いかがでしょうか。
勅使川原 まだ不安だなぁ~。「うちの子には……」って。でも、おおたさんの本に「満たさんキャンプ」ってキーワードが出てきますよね。あれ、好きで。おおたさんが指摘する「体験消費社会」の根っこには「満たしてあげないといけない」という大人の思い込みがあるような気がします。私が満たしてあげないとダメなんじゃないかって思っているところが私にもあるんですけど、それってなんか「愛」っていうよりも、子どもを信じていないってことなのかなって、いまちょっと思った。
おおた 子育ての不安の構図って大概そうですよね。
勅使川原 ああ、そうなんだ。
おおた 親が心配になる。そうしたら子どもも気づきますよ。「お母さんは僕のことを心配してくれている」。それは愛情だけではなくて「自分は信用されてないんだって」メッセージまで暗に伝えてしまう。もちろんしょうがないですよ。それは親の性だから。どんなにできる子どもだって、親はめちゃめちゃ心配します。
勅使川原 サピックスのアルファクラスから落ちないかなとかね。
おおた キリがないから。そういう生き物だからしょうがない。だけどそのときに、親を心配にさせている心配の種は子どもじゃなくて、自分の中にあるんですよね。
勅使川原 そうなんです! 親が子どもの生存責任を負わされているような気がするんですよね。個体能力主義的な意味で、将来子どもが生きていけるようにしてあげるのは親の責任だと、やっぱりどこかで思っている……。
おおた 将来を心配して満たしてあげるんじゃなくて、いざ困ったときに手を差し伸べればいいんだと思います。体験格差の話だって、学歴主義の話だって、結局はそこじゃないですか?

知り合いの起業家が、コロナ禍で業績が悪くなって、とうとう親に頼んで会社にお金を入れてもらったと。それを「親のすねかじり」ってバカにすること自体が能力主義的じゃないですか。彼も最後まで親には頼らないぞって気を張ってた。でもそれって、自分の力を証明したいっていう、能力主義の内面化だったなって気づくわけです。
誰だってうまくいかないこともあるよね。そこで誰かに頼る。それがセーフティネットですよね。たまたま親が頼れるひとだったら頼ればいいし、親戚でもいいし、もし経済的に成功している友達がいるなら、頭を下げて、「ちょっとお金を貸してくれないか? 返せないかもしれないけど……」ってやればいいと思うんですよね。それがものすごい恥であるかのように思わされてしまっていませんかって、社会に問いたい。
子どもには、勝ち抜く能力を授けることより、セーフティネットにつながることの大切さを伝えたい。「助けて」って言える勇気を見せたい。
勅使川原 それも含めて、「ひとを信じるとはどういうことか?」という話を究極的にはしているのかもしれませんね。杵柄や称号が少ない子どもを、どう信じるのか? 能力主義という昔取った杵柄による信頼度の調整に慣れ過ぎた私たちだからこそ、戸惑っているのかもしれません。その己の未熟さも自覚して、ひととひととの交わりを慈しめたらと思います。おおたさん、深刻な話題ながら、軽やかだけど熱い議論を誠にありがとうございました。
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