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「恐怖は喜怒哀楽などとは一線を画した感情だと思うんです」人気ホラー作家・梨が“恐怖そのもの”を掘り下げて生み出した、“究極の〈救済〉の物語”とは?

「恐怖は喜怒哀楽などとは一線を画した感情だと思うんです」人気ホラー作家・梨が“恐怖そのもの”を掘り下げて生み出した、“究極の〈救済〉の物語”とは?

文=朝宮運河
撮影=山元茂樹

梨さんインタビュー【後篇】

出典 : #CREA
ジャンル : #小説 ,#エンタメ・ミステリ

梨さん。

 女は恐怖症を売り歩いていた――。そんな魅力的な一文から幕を開ける「恐怖症店」は、気鋭のホラー作家・梨さんが恐怖症をテーマに書き下ろした短編小説。7月4日(金)に電子書籍オリジナルで発売された同作は、人気作家7名が集結したホラーアンソロジー『令和最恐ホラーセレクション クラガリ』(文春文庫、8月5日(火)発売)にも収録されます。7月18日(金)からスタートする展示『恐怖心展』とも響き合うテーマをもったダークで抒情的な物語世界について、梨さんにインタビューしました。


『恐怖心展』のコアの部分を小説で表現

梨さんの新作短編小説「恐怖症店」。

――「恐怖症店」はずばり恐怖症をテーマにした短編小説です。7月18日(金)より開催されている恐怖心を扱った展示『恐怖心展』と響き合うようなテーマですね。

 『恐怖心展』はさまざまな恐怖症を追体験できるという展示なのですが、そのコアにある部分を小説として表現したのが「恐怖症店」ということになりますね。展示の方では「恐怖心」という言葉を使っているんですが、「恐怖症」という言葉にも思い入れがあって、それを正面から取り上げてみたいという気持ちもありました。恐怖症って医学用語であると同時に、割とカジュアルな日常語としても使われているじゃないですか。富士急ハイランドのジェットコースターに並んでいる人が「私、高所恐怖症だから」と言ったりしている(笑)。コミュニケーションの一単位として用いられる恐怖症という言葉のありようには、以前から興味がありました。

© 2025「恐怖心展」実行委員会

――「恐怖症店」はさまざまな時代や場所に現れて、訪れた客にぴったりの恐怖症を販売する奇妙なお店の物語。このユニークな着想も、今お話しいただいたことと関係しているわけですか。

 そうです。コミュニケーションの一単位ですから、売り買いもできるだろうと。この小説では恐怖症を求める人たちがお店にやってきます。恐怖症をわざわざ求めるなんて、と思うかもしれませんが、恐怖症はその人と深いところで結びついた交換不可能なもの。「私はこれが好きです」という話よりも「私はこれが怖くてたまらない」という話の方がよりパーソナルな部分に結びついている気がしませんか。だからこそ自分を一言で言い表すアイデンティティになるし、それを求める人もいるんじゃないかという発想です。

――恐怖症店の店主は黒いスカートを穿き、顔を黒いベールで覆っている女性。時間を超えて生きるこの不思議な店主のキャラクターは、どのように生まれたのでしょう。

 何らかの恐怖を表象してはいるけど、多くの読者である日本人にとってはあまり怖いとは感じられない、そういうキャラクター造形にしています。たとえば黒いベールは海外のホラーでおなじみですが、日本人にはあまり怖くないですよね。むしろコスプレ衣装のような感じがあって。「硝子細工のような目」というのもそうですね。ホラーっぽいけど、そこまで生々しい恐怖を感じさせない。編集さんが「(『銀河鉄道999』の)メーテルみたいな存在ですね」という感想をくださって、なるほどそういう受け止め方もあるかと思いました(笑)。

恐怖は喜怒哀楽などとは一線を画した感情

梨さん。

――路上で商売をしていた店主に声をかけたのは、プールの授業を休みたいと願う少女。彼女のために店主は「巨大水槽恐怖症」を与え、対価として感情の一部を受け取ります。恐怖の対価が感情である、という着眼点も面白いですね。

 これは『恐怖心展』のコンセプトにも関わる私の仮説なんですが、恐怖は喜怒哀楽などとは一線を画した感情だと思うんです。だから笑いながら泣くことはできても、怖がりながら笑うことはできない。『恐怖心展』のスタッフコメントでも『お前の死因にとびきりの恐怖を』という小説の一節を引用して、「恐らく人間は、何かの片手間に怖がる、ということはできません」と書きましたが、他の感情と共存できないほど強い感情が恐怖なんです。それと交換するなら喜怒哀楽などの感情になるというのは、割と自然に出てきたアイデアでした。あとは恒川光太郎さんや中村文則さんの影響もありますね。

梨さん。

――恒川光太郎さんには妖怪が集うマーケットを描いた「夜市」という作品があります。

 まさに「夜市」もそうですし、少女が命じられるままに色んな時代で暗殺をくり返す「死神と旅する少女」という短編にも影響を受けています。中村文則さんだと『惑いの森』というショートショート集にある「雨」というあらゆる不要品を回収してくれる業者の話。次々に要らないものを回収してもらった主人公が、最終的には他人の要らないものと自分の不要品を交換するという展開になるんですが、短い中にも中村さんの魅力が詰まっていて、すごく好きな作品です。

――巨大水槽恐怖症を得た少女は、店の助手の少年カタを介して、新たな恐怖症を手に入れようとする。少女とカタの揺れ動く心情がフィーチャーされていて、青春小説のテイストも濃いですね。

 13、4歳くらいの年齢って、自分の恐怖心にあらためて向き合う時期だと思います。幼い頃もさまざまな恐怖を味わいますが、それは原風景のようなもの。思春期になると人や社会との関係も変わり、自分の感情にあらためて目を向けることになる。私がホラーで思春期の少年少女をよく書くのは、それが恐怖に向き合う時期だからなのかもしれません。

なぜ少女はくり返し恐怖症を求めるのか?

梨さんも参加しているアンソロジー『令和最恐ホラーセレクション クラガリ』。

――梨さんのホラーといえば、ネット文化を背景にした最先端の恐怖表現というイメージが強いですが、「恐怖症店」は昭和を思わせる時代を舞台にしていて、むしろアナログな手触りです。

 1960年代から70年代くらいをイメージしています。恐怖症店をどこに出現させるか考えて、もちろんSNSなどの現代的なガジェットを使うこともできたんですが、それだと描かれる恐怖が現代的で、やや範囲の限られたものになりそうな気がしたんですね。それよりはもっと普遍的な恐怖を扱いたかったので、携帯電話もパソコンもまだない時代を舞台にしてみました。あの時代のレトロな雰囲気、経済成長の裏側にある闇のような部分は、むしろ若い読者にも響くんじゃないかと思います。

――なぜ少女がくり返し恐怖症を求めるのか、という部分がこの作品の肝。恐怖をネガティブな感情と捉えるのではなく、救いとして扱っているところに梨さんらしさがあります。

 書いていてこの少女がちょっと羨ましいなという気がしました。恐怖はとても強い感情ですが、それだけに別のことを考えたり感じたりしないですむ、という救いにもなるんじゃないか。これは現代的な悩みでもあるんですけど、逃げられない状況に希望を感じるという心の動きはあってもおかしくないと思います。それが良いか悪いかは別の話として、ひとつの感情だけを追い求めるという生き方は、恐怖以外でも人間は選ぶことがあるんじゃないでしょうか。

恐怖症は救いになるかもしれない

©行方不明展実行委員会

――梨さんの作品には異界に惹かれる人が出てくるような気がします。『恐怖心展』に先だって開催されて話題を呼んだ『行方不明展』もそうした面を含んでいましたね。

 言われてみるとそうかもしれません。行方不明は絶望にも希望にもなる、という描き方をしたのが『行方不明展』で、今回の『恐怖心展』や「恐怖症店」では恐怖症は救いになるかもしれないという視点を含んでいます。人の心にはそういう動きがある。それを断罪するわけでも全肯定するわけでもなく、そういうものとして描くには小説というメディアが向いているとも感じました。

――恐怖症を売る店という設定は、人間の心を掘り下げていくうえで、とても優れているなと思います。まだまだ売るべき恐怖症はありそうですし、シリーズ化できるのでは?

梨さん。

 まだ具体的な考えはありませんが、店主とカタが色んな時代に現れて、恐怖症を売るという連作にはできそうですよね。それと恐怖症と同じくらい関心がある題材は“性愛”。作中にも依存症や性愛を販売する店が出てきますが、それらもアイデンティティと深く関わるものだと思うので、いつか書けたらいいなと思います。

――梨さんは『恐怖心展』のようなイベントの企画、舞台や映像作品にも携わっています。さまざまなメディアで恐怖を表現している梨さんにとって、小説を書くというのはどんな意味を持っていますか。

「恐怖症店」を書いていて再認識したんですが、やっぱり小説をやっている時が一番楽しいんです。短編小説としては過去最大の文字数だったんですけど、手が止まることなくすらすら書けました。今後もいろんな分野に関わることになると思うんですが、小説は自分の中の軸として大切にしていきたい。最近は作家の枠にとらわれない活動をする人が増えていますよね。そんな状況の中で、『恐怖心展』や「恐怖症店」は自分なりに納得のいくものが作れたと思っています。もちろん独立した作品になっていますが、両方楽しんでいただくと、恐怖についてこれまでと違った視点が得られるかもしれません。

梨(なし)

インターネットを中心に活動するホラー作家。2022年、『かわいそ笑』で書籍デビュー。「その怪文書を読みましたか」「行方不明展」「恐怖心展」等展覧会の企画から、イベント・テレビ番組「祓除」構成、映像作品「マルクト情報テレビ」 「マルクト ~あなた、誰ですか?~」 原案・監修、漫画『コワい話は≠くだけで。』原作など、多方面で活躍。他の著書に『ここにひとつの□がある』『お前の死因にとびきりの恐怖を』『自由慄』『6』や、『つねにすでに』(株式会社闇との共著)、謎解きゲーム集『5分間リアル脱出ゲーム おしまい』(SCRAPとの共著)などがある。

恐怖心展

会期:7/18(金)~8/31(日)
会場:BEAMギャラリー(東京都渋谷区宇田川町31-2 渋谷BEAM 4F ※渋谷駅徒歩5分)
開催時間:11:00~20:00 ※最終入場は閉館30分前まで ※観覧の所要時間は約90分となります
料金:2,300円(税込) ※小学生以上は有料
主催:株式会社闇、株式会社テレビ東京、株式会社ローソンエンタテインメント
会場協力:東急不動産株式会社
企画:梨、株式会社闇、大森時生(テレビ東京)
医学監修:池内龍太郎(精神科医)
公式HP:https://kyoufushin.com/
SNS:X(@kyoufushinten)・Instagram(@kyoufushinten)・TikTok(@kyoufushinten)

電子書籍
恐怖症店

発売日:2025年07月04日

文春文庫
令和最恐ホラーセレクション クラガリ
背筋 澤村伊智 梨 コウイチ はやせやすひろ✕クダマツヒロシ 栗原ちひろ

定価:770円(税込)発売日:2025年08月05日

プレゼント
  • 『酒亭 DARKNESS』恩田陸・著

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募締切 2025/08/02 00:00 まで
    賞品 『酒亭 DARKNESS』恩田陸・著 5名様

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