約半世紀にわたって日本の美容業界を見つめてきた美容ジャーナリストの齋藤薫さん。化粧品の魅力だけでなく、女性たちの美意識や価値観をも拓く鮮やかな文章で、熱く支持されている伝説の人です。
そのキャリアのなかで常に直面してきたのが、女性の年齢観。昭和、平成、令和と時代とともに感覚が変化した年代は? そして未だイメージが変わらない年代は? 人生100年時代の今、斎藤さんがアップデートを提案する年代観について、新刊『年齢革命 閉経からが人生だ!』より一部再構成して紹介します。
松田聖子が画期的だった理由
今思うと笑ってしまうくらいありえないことだが、今からほんの30年前まで、「30代はもうオバサン」との認識が日本を支配していた。閉経で女が女でなくなるという決めつけどころではない、じつはもっと根深い年齢的な偏見があったのだ。だから当時はまだ、何とか30までには結婚しなければ、との焦りや、何とか30代までに人生の格好を整えておかなければ、といった強迫観念に苛まれていたのだ。
そうした間違った年齢観が、一気に書き換えられたきっかけを覚えているだろうか。これはひとえに松田聖子という人の存在だと私は考えている。松田聖子というスーパーアイドルは、30を超えても35を超えてもずっとアイドルで居続け、20代の頃以上に甘くキュートなミニドレスに身を包み、ぬいぐるみを携えてスキップでステージに出てくるという革命に挑んだ。

最初は強い違和感を覚えたものの、世間はいつの間にか彼女のマジックにかかり、30代半ばであれをやっちゃって良いのだと、言わば洗脳でもされたように自分の中の年齢観も知らず知らず書き換えていた。そうして30代はオバサンどころか、まだ大人になったばかりの年齢なのではないかと、きっと誰もが気づかされたのだ。

逆に言えば年齢観は、たった一人が築いた小さな既成事実によっていとも簡単に塗り替えられてしまう、そのくらいじつは柔なものだったのだ。ともかくあの時、21世紀になる少し前、日本の年齢観は劇的に変わったのだった。
30歳の呪縛があった頃の「結婚」
ちなみに私自身が出版社を辞めたのは30歳の時。まだ30代の呪縛が濃厚にあった頃。今ではもううまく説明がつかないが、ちょっと疲れてしまったこともあって、上司に伝えた退職理由は、結婚するので。
でも結局、結婚はせず、かといってフリーで仕事をするでもなく。いや当時はまだフリーの仕事などほとんどなかったから。でも何となくアルバイトで始めた編集記事作りを、たまたまニーズがあって気がついたら毎日やっていた。

自分が化粧品の仕事をしているのも、当時は一気に化粧品ブランドが増え、化粧品バブルとも言えるほど市場が拡大していたからに他ならないが、対談ページの中にもあるように、美容ジャーナリストなどという大それた肩書を名乗ったのも、当時、記名原稿を書く上での肩書がなく「ファッションジャーナリストがいるなら美容ジャーナリストでいいじゃない?」と、編集者が決めて記載。
気恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいだったのを覚えている。つまり自分の人生は多くが成り行き。自分から事を起こそうとか、いくつまでに何をしようとか、そういう意志を持ったことすらなかった。もちろん自ら強い提言をするようなことも。目の前にある仕事をただ片付ける、それで何十年も仕事をやってきたのだ。
人の能力や気力と、社会の仕組みがズレまくっている
でもそんな自分がなぜまた「閉経」という、未だNGワードと言われがちな言葉まで持ち出して、こうした本を出すことになったのか? それも激しく誤解されてきた閉経後の現実を、できるなら多くの人に伝えて、年齢観を少しでいいから変えられないかと思ったから。

定年を迎えようとしている人が、周りにもたくさんいるけれど、なぜこの人たちが定年なのか? なぜこんなにイキイキと情熱的なまでに気概を持って働き続けようとしている人たちが、「お疲れ様でした」と言われてしまうのか? 人間の能力や気力と、社会の仕組みが全くズレまくっていることを日々感じるからなのだ。
更年期以降の年齢革命はこれから
30代がまだ大人になったばかり、人生が始まったばかりの年齢であると、みんなが気づいた“かつての年齢革命”は、人々の意識を全く変えたけれど、更年期以降の年齢革命はまだ抜本的には起きていない。
実際のポストメノポーズ(編集部注:閉経後)世代は圧倒されるほど若いのに、全く意味不明の古い年齢観が、未だ社会に根深くはびこってしまっているのだ。
ただそれも、致し方ないこと。実際に歳をとってみなければわからない。なってみなければわからないのが、年齢というものだからだ。

事実、自分も年齢を重ねていくことは怖かった。私自身49歳で不幸感を感じていたくらいだから、40代から50代を見た時、その先は本当に真っ暗に見えていた。自分がどんどんしぼんでいくような感覚があったし、その時は良いことなど見つからなかった。歳をとるメリットなど一つも思い浮かばなかった。
しかし実際に50代に入り、60代に入った頃、何この心地よさ? と驚いたものだった。折も折、人生100年宣言があって全く新しい扉が開け放たれ、じつはその先に広がる世界が楽園にさえ見えたのだから、まさにどんでん返し。
「人生は100年」と言われてどう感じた?
ただもう一つ、とても重要なことがある。人生は100年へと言われた時どう感じただろうか。そんなに長く生きたくないと思った人もいたはず。そんなに長く体が持たないと思った人も。
もちろん経済的な問題もある。新たな不安が今のメノポーズ世代を襲ったのは確かなのだ。あと40年以上どうやって生きたらいいの? 逆に途方にくれた人もいるはずなのだ。

だからこそ今思い切った年齢革命が必要なのである。このまま高齢者が増えていったら、ましてや介護を必要とする高齢者が増えていったら、日本は本当に立ち行かなくなるのだろう。
そして正直、自分たち自身もどうなってしまうか分からない。100年も生きられて良かった良かった……という話では全くないのである。ましてやそういう不安を国が支えてくれるとは、どうしても思えない。
とすれば一人一人が100年を自分の力で生き抜かなければならない。だからこそ今のうちに自分の中にある年齢観を変えなければいけないのだ。
自分自身が奇跡の○○歳になって
そう、自分の中で年齢革命を起こすこと。世の中の変化を待っているのではなく。自分自身が奇跡の○○歳になって、どんどん年齢観を変えていくことに挑んでほしいのだ。
多分みんなでやればアッという間。一気に年齢観が動くはず。社会の仕組みも変わるかもしれない。でも動き出さなければ60代は相変わらず、NGワードである閉経後を、細々と生きている世代に見えてしまう。それが全くもって間違いであることを、自分自身で証明してほしいのだ。

さあ、これからが本番! これからどんどんやりたいことをやるわよ! 本気でお洒落をするわよ! とばかりに自分を鼓舞して全く新しい50代60代70代を生きてほしいのだ。もちろん80代90代も。
人は死ぬ前の10年間、不安も重圧も嫉妬も何もない、真に幸せな時代がやってくると第1章で書いたけれども、その10年間をもっと延ばす形で、閉経後というもう一つの大きな人生が待っていると考えてみてほしいのである。そう考えると、多分これからは楽しいことばかり。
まさに逆転の人生が始まる!
齋藤 薫(さいとう・かおる)
女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイストに。女性誌において多数のエッセイ連載を持つほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザーなど幅広く活躍。『“一生美人”力』(朝日新聞出版)、『なぜ、A型がいちばん美人なのか?』(マガジンハウス)など、著書多数。近著に『年齢革命 閉経からが人生だ!』(文藝春秋)がある。