【第2回】「スーパーマンは主人公にしない」井原忠政が“異端児”鈴木右近を選んだ理由〉から続く

「三河雑兵心得」の徳川家、「北近江合戦心得」の豊臣家に続き、「真田武士心得」では真田家をテーマに選んだ作家・井原忠政氏。今シリーズに通底するテーマは「仁義」や「忠義」ではないと語る。では、最新作を通して本当に描きたかったこととは何か。

◆◆◆

著者の井原忠政氏

――シリーズのタイトルを考えるのは非常に難しい仕事だと思うのですが、「仁義」や「忠義」という言葉は鈴木右近にはしっくりこない、とおっしゃっていましたね。

井原 この物語の根幹にあるのは、道徳じゃないんですよ。右近にとって、主君である真田信幸(のち信之)と稲姫は、現代風に言えば「推し」なんです。愛情とか、尊敬とか、感謝とか。また中山九兵衛への復讐は、それこそ理屈で動いているわけじゃない。原初的な、生の感情なんですね。『右近純情』というタイトルにはそんな意味を込めました。

――その「理屈じゃない部分」を描けるのが、小説の面白さでもあると。

井原 私は元脚本家ですが、これがテレビドラマだと、プロデューサーから「そんな矛盾してる人物はやめようよ」と言われるかもしれません(笑)。何千万人という視聴者に分かりやすく届けないといけないですから。でも、小説はもっと個人的なメディアです。だからこそ、矛盾を抱えた人間を、その矛盾のまま描くことができる。つじつまが合わないことこそが、人間のリアルであり、物語の面白さにつながると思っています。

――右近は繰り返し「俺は真田家に仕えているわけじゃない」と言っていますね。

井原 そこが右近の面白さだと思っています。実は大きな組織に守られてもいるのですが、本質は自由な素浪人。ですから他家に入り込んだりもできる。自由な宮仕えが許されている働き方をしていたわけで、現代のサラリーマンの方が読んでも、羨ましい存在かもしれません。

真田氏の本拠地の一つ・上田城

――改めて、なぜ真田家はこれほどまでに日本人に愛されるのだと思われますか。

井原 やはり、絶対的な強者に対する者への判官贔屓があるのではないでしょうか。たとえば家康のずる賢さや非情さに一矢報いる存在として、真田家の戦いぶりに喝采を送りたくなる。しかも、父の昌幸の代から家康にいじめられているというストーリーがありますからね。

――その中で、シリーズの重要人物である真田信幸は、父や弟(真田信繁)とは違う「しぶとさ」で家名を残しました。彼の魅力はどこにあるのでしょう。

井原 信幸は、戦の強さ、勇気、温情、内政能力、決断力と、武将に必要な資質をほとんど持っています。体が弱かったことを除けば、完璧に近い。私の小説では本来、主要人物にはならないんですよ(笑)。完璧すぎて、読者の共感を呼びにくい。だから、欠点だらけの「変人」である右近の目を通して、彼の偉大さや、反対に人間的な部分を描く必要がありました。妻の稲姫に頭が上がらないところなども含めてですね。

――ちなみに、ヒロインの柳生紗良はオリジナルキャラクターですが、彼女を登場させた意図は何ですか?

井原 右近というキャラクターの人間的な側面に、もう一つ深みを持たせたかったからなんです。戦乱の世に生きる男ですが、彼にも当然、心安らぐ場所や誰かを大切に思う気持ちがあるはずです。そうした彼のプライベートな部分を丁寧に描くことで、物語に温かみや奥行きが生まれると考えました。特別な何かを背負わせるのではなく、一人の人間としての彼の日常や心の機微を描きたかった、という思いがありますね。

「犬伏の別れ」の舞台になった佐野市・新町薬師堂。真田は家名を残すため、関ケ原の戦いを前に徳川方、豊臣方と家を2つに割った

――執筆にあたり、参考にされた資料はありますか?

井原 たくさんありますが、特に参考にさせていただいたのが、NHK大河ドラマ「真田丸」で時代考証を担当された平山優先生の『真田信之』という本です。非常に詳しく、分かりやすく書かれた本です。特に、戦国時代が終わった後の、真田家の生き残り戦略の部分は圧巻で、今後の展開の大きなヒントになっています。

――最後に、読者の皆様へ一言お願いします。

井原 「真田武士心得」シリーズは、天下を取る側の物語ではなく、戦乱に翻弄されながらも必死に生き抜いた人々の物語です。主人公の右近は、決してスーパーマンではありません。矛盾を抱え、ひねくれて、それでも大切なもののために戦う。そんな彼の成長譚を、真田家の興亡と共に見届けていただければ幸いです。とにかく楽しんでください。それが全てです。

――本日はありがとうございました。

井原忠政(いはら・ただまさ)
2000年、「連弾・デュオ」で第25回城戸賞に入選し、経塚丸雄名義で脚本家デビュー。主な作品に『鴨川ホルモー』『THE LAST -NARUTO THE MOVIE-』などがある。16年、『旗本金融道(一) 銭が情けの新次郎』(経塚丸雄名義)で時代小説家デビューし、翌年に同作で第6回歴史時代作家クラブ賞新人賞受賞。20年、井原忠政名義で「三河雑兵心得」シリーズを刊行開始。同シリーズで『この時代小説がすごい! 2022年版』文庫書き下ろし編第1位獲得、日本ど真ん中書店大賞2023を受賞。22年、「北近江合戦心得」シリーズを刊行開始。25年、原作とシナリオを担当した『羆撃ちのサムライ』(作画・本庄敬)が第54回日本漫画家協会賞のまんが王国・土佐賞を受賞。他の著書に「うつけ屋敷の旗本大家」シリーズ、「人撃ち稼業」シリーズがある。