元警察官・白バイ隊員で、「女副署長」シリーズ、「流警」シリーズなど数多くの警察小説を手がける松嶋智左さん。最新作『刑事ヤギノメ 奇妙な相棒』が、11月5日より文春文庫で発売になりました。

 体力はないが観察眼はピカイチ――そんな主人公・弓木瞳を描いた本作について、松嶋さんにお話を伺いました。

『刑事ヤギノメ 奇妙な相棒』(文春文庫)

なぜ「体力がない」刑事を主人公に?

――『刑事ヤギノメ』の主人公・瞳は、急性膵炎での長期入院から復帰したばかりの巡査部長です。少し走っただけで具合が悪くなるような虚弱体質ですが、なぜこのような人物設定にしたのでしょうか。

 世間の方が抱いている「刑事さん」のイメージって、映画やドラマで見るような、全速力で犯人を追いかけたり、時には犯人と格闘して背負い投げをしたりするような、体力のある人物だと思うんです。でも、そんなイメージとはまるっきり正反対にしたら、警察官をより身近に感じられるかもしれない、と考えたのがきっかけです。

 ただ、瞳は刑事課なので、放火や強盗といった凶悪犯罪に関わることが多い。体力がない代わりに、観察眼が異常に優れている、という能力をつけることにしました。そうすれば周囲からも認められるな、と。

写真:recorder.of.the.time/イメージマート

――凶悪犯罪を担当する刑事課一係ですが、瞳と他の刑事たちのやりとりは軽やかでユーモアがありますね。

 ついそういう風に書いちゃうんですよ(笑)。大阪出身だからというわけではないのですが。

 刑事課にかぎらず、警察官って常に緊張感があるんですよね。プライベートでも常に「警察官である」という意識がある。いわゆる会社勤めの仕事とは、その点が大きく違うかもしれません。

 だからこそ、事件がないときは同僚間の雰囲気がフランクで、和気藹々としていた記憶があります。そこで緩急をつけていましたね。今も警察官を続けている警察学校の同期と話していても、その空気感は変わっていないみたいです。

 仕事が終わったら、同僚同士で飲みに行くこともあります。飲み会の場では、率先して場を盛り上げる人もいれば、隅で静かに飲んでいる人もいる。そのあたりは一般的な会社と変わらないかもしれません。でも最近は、新人の歓迎会で主役のはずのご本人が欠席されたとかで、「時代だな」と思いました。

警察官時代の同期から困った新人刑事の話を聞いて……

――松嶋さんは現在、様々な警察小説シリーズを手がけられています。少し変わったキャリア警視正を主人公にした「流警」、推し活に力を入れる刑事を主人公にした「県警本部捜査一課R」、“大阪のオバチャン”感あふれる警部を主人公にした「大阪府警 遠楓ハルカの捜査日報」など……。「刑事ヤギノメ」は他のシリーズと何か違う点はありますか?

 今までの作品と比べると、『刑事ヤギノメ』はちょっと雰囲気が異なる作品だと思います。タイトルからして「ヤギって……何?」という不思議な感じもありますし(笑)、主人公に特別秀でた能力をつけたのも大きいです。書いていて、自分でも楽しかったですね。

松嶋さんによる警察小説シリーズ

 他のシリーズの主人公は、性格にはバラつきがありますが、そこまで大きな能力はつけていません。でも瞳には、「とても視野が広くて、異常に観察眼が優れている」という設定にしています。少しマンガっぽくもあるので、その分、人物造形はできるだけ「こんな人、実際にいるだろうな」と読者が思えるように意識しました。

 瞳の下についている茂森という新人刑事も、実際にいると思うんですよ。ああいう……やる気はあるけど(仕事は)今一つ、というタイプの(笑)。警察学校の同期と話していると、困った新人の話を聞くこともあって、「最初に配属された所轄署でびっしり鍛えてくれないかな」と零していることもあります。だから茂森については、彼の上司になったつもりで、その苦労を想像しながら作っていきました。

 ですが、読み手の世代によって受け取り方は変わるかもしれませんね。私は「茂森みたいな部下、なんとかならないかな」と思っているのですが、若い方が読んだら、瞳のことを「こんな変な上司がいたら嫌だな」と感じるかもしれない。

――瞳と茂森は、お互いのプライベートについてほとんど話さないコンビですが、話を重ねるごとに少しずつ信頼関係が強まっていくのも読みどころだと感じました。

「刑事ヤギノメ」は、警察本部ではなく、特定の地域を担当する所轄署が舞台です。他のシリーズで出てくるような本部の捜査一課は大所帯ですが、所轄署はこぢんまりしていて、全員が全員の顔を知っているような環境です。だから、所轄署の刑事課のひとつの班は、家族っぽいといいますか、まとまりのあるチームになるんですよね。新人がやってきたら「いくら困ったタイプでも指導して育てないと」という意識をもっていると思います。

やっぱり体力勝負?

――『刑事ヤギノメ』は連作短編集ですが、松嶋さんの中で思い入れのある一作などはありますか?

 表題作の「刑事ヤギノメ」です。出版社からお話をいただいてから、最初にとりかかった一作なので思い入れがありますね。今回の文庫にまとまる前に、『戸惑いの捜査線』という警察小説アンソロジーに表題作を収録させていただいたのですが、警察学校の同期にも読んでもらって、嬉しい感想をもらいました。

写真:show999/イメージマート

――市内で連続放火事件が起きて、その犯人を瞳と茂森が追う話ですね。

 はい。連続放火事件も、中盤にある夜間のスピード取り締まりのシーンも、私自身が実際に経験したことだったので、自然に書けました。「面白かった」と言ってくれた同期も、当時のことを思い出してくれたのかもしれません。

 連続放火と夜間のスピード取り締まりは本当に大変なんですよ。放火は事件が終わるまで全署員がバタバタで忙しいですし、夜間のスピード取り締まりはとにかく寒い。凍えていましたね。

――そんな話を聞くと、やっぱり警察官は体力勝負な印象があります。

 そうですね(笑)。警察学校ではそういう訓練ばかりでした。苦しい経験があったからこそ、同期とは今もやりとりがあって、友達でも家族でもない、特別な関係です。そんな中で、瞳のような人物を作れたのは面白かったです。

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 松嶋さんの最新作『刑事ヤギノメ 奇妙な相棒』は11月5日より文春文庫で発売中です。

 12月は「県警本部捜査一課R」シリーズ第2巻(徳間文庫)、来年1月は「大阪府警 遠楓ハルカの捜査日報」シリーズ第2巻(PHP文芸文庫)が刊行予定です。