〈「歩行中の男が男性に後ろから刃物で切り付けられました」の違和感 言語学が研究する“知ってるけど知らないこと”〉から続く
日本語と英語では「世界の見方」が異なっている。完全な翻訳は原理的に不可能である――。
AIで翻訳も通訳もできるこの時代に、わざわざ英語を勉強する必要はあるのか。言語学者・町田章さんの『AI時代になぜ英語を学ぶのか』(文春新書)は、その疑問に認知言語学で答えている。本文より一部抜粋のうえ、言語によって異なる「思考法の違い」を明らかにする。
◆◆◆
pork= pig meatか?
このような考察を重ねていく中で、認知言語学は、表現形式(表現の仕方、言葉)が異なれば意味が異なるという認識に至りました。そこで、ここからは、同じ状況を表す表現形式の違いを見ることによって、話し手がどのようにその状況を捉えているかがわかるという前提で話を進めることにします。
(19)を見てください。通常、英語では豚肉のことはpig meatではなくporkと言いますので、(19a)は自然な英語で(19b)は不自然な英語であると言われています。しかしながら、論理的に考えた場合、pork=pig meatであるならば、(19b)のように言ってもよいはずです。実際、(19b)は誤りというわけではありません。通常あり得ない状況を表しているだけなのです。
(19)
(a) I ate some pork last night.
(b) I ate some pig meat last night.
(19b)が表しているのは、通常のスーパーマーケットなどで売られている食用の豚肉を使った肉料理ではなく、野生の豚を捕獲して、その肉をおそらく生のまま食べたという状況です。ですから、ジャングルなどでサバイバル生活をしている場合などはむしろ(19b)のほうが自然ということになります。
重要なのは、どんな些細な違いであっても、表現形式が異なれば意味が異なるということです。ということは、同じ状況を表している二つの表現を比較することにより、話し手がその状況を捉えているかがわかるということになります。
もう一つ例を挙げてみましょう。何か文字を書く際に用いる筆記用具は英語ではinを使ってもwithを使ってもよいとされています。したがって、「ここにペンでサインをしてください」という言い方は(20)のように二通りあります。
(20)
(a) Please sign here in pen.
(b) Please sign here with a pen.
しかしながら、この場合も表現形式が異なる以上意味も異なっていることになります。実際、inを用いた(20a)は筆記材料の範囲を表しているのに対し、withを用いた(20b)は筆記のための道具を表しています。通常、契約書のサインなどでペンを指定するのは、消えないための筆記材料を指定するためですから、そのような意図で述べる場合は、inを用いた(20a)のほうが自然な言い方となります。
ちなみに、inが範囲を表し、withが道具を表しているということは、直後のpenを可算名詞として扱っているか不可算名詞として扱っているかでもわかります。中学校ではpenは可算名詞だと習ったと思いますが、捉え方に応じてどちらにもなるのです。道具としてのペンは明らかに形がはっきりしていますのでここでは冠詞を伴った可算名詞ですが、範囲としてのペンは形をイメージできませんので無冠詞の不可算名詞になっています。
ですから、記念館などで夏目漱石が使ったペンを展示する場合は、(21a)のようにwithを使うことになります。(21b)のようにin this penは使えません。
(21)
(a) Soseki wrote the novel with this pen.
(b)*Soseki wrote the novel in this pen〈注1〉.
そして、同じ状況が異なった表現形式で表されるとき、そこには同じ状況に対する異なった捉え方が反映されているという考え方が正しいとすると、次のことが言えそうです。
同じ状況を表す異なった言語の表現形式を比較することを通して、両言語話者の持つものの見方や世界の捉え方の違いを理解することができる。
要するに、例えば、日本語と英語のような異なった言語間に見られる世界の捉え方の違いを知りたいのであれば、表現形式を比較してみればよいということです。言語表現の比較を通して思考法の違いを知るのです。
捉え方の言語間の違い
それでは、異なった言語間でいかに捉え方が異なるのかを示す具体的な例を見てみましょう。(22)を見てください。これは、入ることが許された者のみが入れる場所に掲げられる標識の文言です。
(22)
(a) 関係者以外立ち入り禁止
(b) Staff Only
(22)の表現はともに同じ状況を表していますが、その状況に対する捉え方が日本語と英語では異なっています。日本語では、関係者ではない者は入ってはいけないと言い、英語では、関係者だけが入っていいと表現しているのです。
もちろん、同じ状況を表しているからという理由で、両者が同じ意味を表しているとは言えないことは明らかです。そして、両者を比較することによって、同じ状況がいかに異なった観点から捉えられているかがわかるわけです。
(22)のような日英語の違いは、認知心理学でいうところの図と地の反転現象が関わっていると考えられます。図(figure)とは、心理学の用語で、注意が向けられた部分のことであり、地(ground)とは図の背景となる部分のことです。通常、図は形を持ったものとして認識され、背景となる地の形は認識されません。そして、この図と地が注意の向け方によっては逆転することがあり、これを図と地の反転と呼びます。
この図と地の反転現象を端的に示す例としてルビンの盃と呼ばれる図と地の反転図形が有名です。図10では、白い部分に注目すると二つの向き合った顔が図として認識されますが、その場合は、黒い部分は形を持たない背景(地)として認識されます。逆に、黒い部分に注目すると一つの黒い盃が図として認識されますが、今度は、先ほどの白い部分が形を持たない背景(地)として認識されます。要するに、たとえ同じ図柄であったとしても、どこに注目するかによって見えるもの(認識)が異なるということです。
(22)が示しているのは、これと全く同じ現象です。関係者だけが入ってよいという認識と関係者以外は入ってはいけないという認識は、同じ状況に対する捉え方の違いに過ぎないのです。つまり、同じ状況に接したときに、日本語話者と英語話者では注目している部分が異なっているということになります。
同様のことが(23)にも言えます。日本語では仕事のない日に注目して「週休二日制」と表現していますが、英語では仕事のある日に注目しているため、「過労五日制」と表現しています。図と地の反転の説明に従えば、日本語では、休日を図として認識し、週に二日休んでよい制度という捉え方をしていますが、英語では、就労日を図として認識し、週に五日間働く制度という捉え方をしています。このように何を図とし何を地とするのかが言語間で異なる場合があるということです。
(23)
(a) 週休二日制
(b) five-day workweek system
翻訳不可能性
以上の例は、実は、完全な翻訳は原理的に不可能であるという重要な原則を端的に例示しています。言語学では、伝統的に、言語表現の意味は「概念(内容)」であると考えられてきました〈注2〉。
例えば、「犬」という言葉の意味は、イヌ(のカテゴリー)の概念ということですし、dogという言葉の意味もイヌ(のカテゴリー)の概念ということになります。このことは、たとえ言語間で表現が異なったとしても、同じイヌ(のカテゴリー)の概念を表している語である、「犬」(日本語)、dog(英語)、chien(フランス語)、Hund(ドイツ語)などはすべて同じ意味であることを示唆しており、これらはすべてイコールで結ばれることになります。
しかしながら、多くの場合、ことばの意味には話者の捉え方も含まれていますので、単純に概念内容だけを比較して同じ意味だということができない場合が多々あります。イヌの例ではちょっと微妙すぎてわかりづらいので、わかりやすい例を見てみましょう。次の(24)のペアを見てください。
(24)
(a) フロントガラス
(b) windshield(またはwindscreen)
両者は同じもの(自動車の座席の前にあるガラス)を表しています。ですので、概念内容は同じだと言ってもいいでしょう。しかしながら、両者を同じ意味だと言うには抵抗感があります。そのように感じるのは、これらの表現に埋め込まれているものの見方(捉え方)が明らかに異なっているからです。
日本語では車の前面にあるガラスの部分を位置関係と材質に着目して「前の(front)ガラス(glass)」と呼んでいます。一方、英語では、その機能(役割)に注目してwind-shieldまたはwindscreen「風よけ」と呼んでいます。同じものを指していても位置と材質に着目する日本語と風をよけるという役割に着目する英語という点で意味づけが異なるのです。
この例からわかるのは、日本語を英語に、逆に、英語を日本語に置き換えてしまうと、もとの表現が持っていたその対象に対する捉え方が変わってしまうことがあるということです。繰り返し述べてきたように捉え方は表現の意味の一部ですので、捉え方が変わるということは意味自体が翻訳によって変わってしまうということになります。つまり、原理的に完璧な翻訳は不可能だということを示しているのです。
〈注1〉言語学では例文の前に記号(「*」「??」「?」)が付されることがあります。「*」はその表現がまったく容認されないこと、または非文法的であることを表し、「??」はかなり不自然であることを表し、「?」はちょっと不自然さがあることを表しています。
〈注2〉Ogden and Richards (1923)






