累計750万部を突破し、いまだに読み続けられる佐伯泰英さんの時代小説「密命」シリーズ。一見冴えない小藩の右筆が、やがて剣の力で将軍の影仕事を務めるまでになります。しかしこのヒーロー、剣豪には珍しく家族や同僚、地域の仲間を何よりも大切にする男――。その誕生の背景を、著者特別インタビューで初めて語り下ろします。
惣三郎、家族愛の秘密
「おぬしは百年生まれるのが遅かったわ。おまえの荒々しい斬撃は、戦場往来の時代なら二千石もの、いや五千石でも抱えられたかもしれん。じゃが戦乱の時は遠くに去った」(『見参! 寒月霞斬り 密命(一)決定版』より)
作品の冒頭、主人公の金杉惣三郎が剣術の師・綾川辰信に言われる言葉です。『密命』の舞台は江戸時代が始まって百年ほど経った享保年間(一七一六~一七三六)。すでに戦乱の世は遠くなっていたわけです。
僕にとって初めての時代小説、『密命』を書き始めたのは一九九〇年代の後半。つまり、バブルが弾けた直後だったでしょう。当時の時代小説界では、峰隆一郎さんの作品のような、精密な描写のバイオレンスが流行していましたね。
峰さんは、自信をもって突き進むあの時代を読者と共有できていた。でも僕はできなかったなあ。心のどこかで本能的に、これまでと違った剣豪小説にしなければ、と思っていました。
高度成長期を過ぎ、バブルの崩壊を迎え、いろんな挫折が始まったあの当時。自信を喪失し、男の居場所もなくなった、そういう時代に何を求めて生きていけばいいのか。
地べたから見る江戸社会
やはり、それが『密命』の一番のテーマだったんです。
サラリーマンのみなさんが元気をなくしてしまったのなら、ひとときでも幻想の物語に遊んで憂さを晴らしてほしい、元気を取り戻してほしい、当時はそればかり考えていたんですね。
惣三郎は、一巻と二巻では藩の秩序を守り、財政立て直しに奔走します。しかしその後、脱藩し浪人として江戸の長屋で暮らすことを決意する。つまり、帰属する社会・背景から離れたわけです。
このとき、書き手である僕の視点もガラリと変わりました。江戸の“ビジネスマン”であった主人公が浪人になると、視点がものすごく低くなって、地べたのレベルから江戸の社会が見えてきた。見ていかざるをえなくなったんです。
では、惣三郎は何に価値を見出していったのか。
この時代に人々を結びつけたものは剣ではなく、家族の情、仲間との信頼感であったと思うんです。
妻を亡くした惣三郎が、しのと新しい家庭を築き、息子の清之助や娘のみわ、結衣の成長と向き合っていく。また、江戸の市井の人々と家族同様の関係を結んでいく。組織からはみ出してしまった男がまともに生きようとすれば、そうなるんですね。
初公開、わが実家の話
僕の時代小説についてよく言われるのは、主人公が剣の道や権謀術数に生きるだけでなく、家族も大事にして、ワークライフ・バランスが取れているとか(笑)、女性の登場人物が最初からみんな生き生きしている、ということなんです。当の本人は、何も意識しないで書いているんだけどね。
それは僕自身が育った家庭の影響なのか、と聞かれることがありますので、今回ちょっと振り返ってみました。
僕が物心ついたころ実家は、北九州で新聞販売店を営んでいたんです。両親は熊本の出身で、当時、敗戦後の混乱期だったでしょう。父は肺結核を患ってしまい、じーっと座っているだけで、まったく働かなかった。何を口出すわけでもない。だから、母が男まさりにガンガン働いていましたよ。うちは、母が三つ指ついて「お帰りなさいませ」と父を迎えるような家ではまったくなかった。
肥後熊本は本来とても男が強くて、親戚の集まりで杖を振り回して「酒もってこーい」なんて怒鳴ったり、一方女の人だけ別の席で食事したり、そういう土地柄なんです。ましてや父は長男だし、本来ならもっと存在感があっていいはずなのに、一切何の文句も言わずにじーっと奥に座っている。今思えば、それがかえって強い人だったなあと思うんです。
新聞販売店は一階が店舗兼家族のスペースで、二階の二間に、いとこやはとこなど親戚の住み込み従業員が五~六人はいたのかなあ。当時は自転車で新聞を配達していたんですよ。食事や仕事の差配などのすべてを母が切り盛りしていた。長じてからは僕の姉が差配しましたけどね。後に姉が結婚して義兄も一緒に暮らしましたが、この人がまたおとなしい人で。
まあ、女性がしっかりした家だったのは間違いない。
特に強い母、というイメージは僕にはないんだけど、母親業だけでなく、父の代役も務めていたんでしょう。大事な場面ではいつも、「私が行かなきゃ」と母が出てきた。僕が大学進学で上京する時も、当然母が付いてきて、入学手続きから下宿の手配までしてくれました。
もともと僕は長男だし、義兄の手前もあるし、少しは家業を手伝わなきゃいけないのかなあ、と殊勝な気を起こして、高校は地元の商業科に進学したんです。ところが、お金の話や数字が出てくるだけでもう全然ダメ。簿記の勉強なんかしていると、本当に吐きたくなるくらいでした。そのせいかどうか体調まで崩して一年休学し、結局四年かけて高校を卒業しましたが、とにかく商いには向いてないんですね。
天国だった日大芸術学部
その頃、新聞を一緒に配りながら義兄が、「やっちゃん、どうするの? この先」と聞くから、「おれ、新聞屋やりたくない」「なにしたいの?」「東京に出たい」と。どういうきっかけだったか、日本大学に芸術学部があると知ったので、そこへ行きたかったんです。そうしたら、義兄は普段はとてもおとなしい人なんですが、すぐに家族の中で話をまとめて、「行っていいよ」と言ってくれました。気質からいって僕が新聞屋を継ぎそうもないと、わかっていたんでしょうね。
田舎のことですし、周りに東京の大学で映画を勉強するような人はひとりもいない。学歴にこだわりのある家でもないし、ましてや大金持ちでもない。それなのにだれひとり反対せずに、「じゃあ、行っておいで」と東京に出してもらいました。家族だけでなく、親戚や近所の人たちにも、「ダメよ、やっちゃん。新聞屋継ぎなさい」なんて言う人はひとりもいなかったな。
日大芸術学部に入ったらもう楽しくて、「おお、ここよ! 俺の学ぶとこは。天国!」と思いましたよ。ただ、大学というのは学帽をかぶるところだと思ってわざわざ買って行ったのに、誰もそんなものはかぶっていなかった(笑)。
大学を卒業したら、今度は東京どころかスペインにまで行っちゃうんだけど、その時も実家の誰からも反対されませんでした。自分でバイトして稼いだお金で行くつもりだったのに、スペインに渡ってからアンダルシアで生活費が足りなくなっちゃってね。その頃は母が高齢になって、店は姉に代替わりしていましたが、姉が金銭的なこともすべて仕切って面倒をみてくれました。アンダルシアの村まで手紙とお金を時に送ってくれましたよ。
結局、母と姉と、女二人が僕の面倒を見てくれたんです。
父は長男なのに熊本の家を飛び出して北九州で母と所帯を持ったので、僕にもあまりうるさいことは言えなかったのかなあ。それに、サラリーマンと違って商売の家って、みんなで働かないといけないでしょう。大きな商いというわけでなし、ダメになる時はすぐにダメになってしまうから、男も女もないんですよ。
九州は男尊女卑とよく言われるし、実際そういう風土なんでしょうが、中にはこんな家もある。決めつけてはいけないです。
時代小説はファンタジー
僕は小説を書く時、そういうことを意識しているわけではないんです。ただ、僕の中には当然、母の生き方が残っているから、その影響が自然と小説に滲み出てくるのでしょうね。それに、何のストレスもなく育ったから、家族というものに、ごく自然な愛着を持てるのかもしれません。
最初に『密命』を執筆してから、もう二十五年以上が経ったんですね。
この間、9.11、リーマン・ショック、中東の戦争と、アメリカ流の力任せの理念に疑問符がついていく時代背景のなかで、当然のことながら、時代小説も変わらざるを得ません。ますます、力だけでは読者を引きつけることのできない時代になってきたのではないでしょうか。組織や仕事に対する考え方も変わりました。
僕は、時代小説は、ともすると現代小説よりも、時代時代の空気を投影しているのではないか、と考えています。時代小説って、ファンタジーだと思うんですよ。
たとえば藩の利益や価値観のために生きてきたはずの惣三郎が、不意にそこから自由気ままになったように、男性だろうと女性だろうと、これまでの活躍の場を離れて、どこかに新たな場を求めようと、ふと思い迷う瞬間はあると思いませんか。
そのとき、この『密命』の世界に没入して、少しでも憂さを晴らしてほしい。次の生き方へのヒントを見つけてくれるようなことがあれば、作家としてこんなに嬉しいことはありません。
後半はいよいよ、家族の物語が深まっていきます。惣三郎と家族や仲間たちの行く末をぜひ、見守って下さい。
(二〇二五年十月 談)







