時代小説に転じて二十一年余、文庫書下ろしというスタイルでいくつシリーズを書いてきたろうか。ともかく冊数を稼ぐため、ただ次作のことばかりを念頭に読み直すこともなしに書き継いできた。むろんそれは食わんがための手段だ、物語の展開とか構成を考えてのことではない。その結果、シリーズがえらく長くなった。
いちばんの長編シリーズは言わずもがな、『居眠り磐音』五十一巻だ。いや、これは正確ではない。なぜならばスピンオフが五作あり、さらに『居眠り磐音』の倅篇というべき『空也十番勝負』が五番勝負で中断しており、本年八月から決定版五巻七冊を刊行したのち、来春一月から六番勝負を改めて執筆する。ということは坂崎磐音・空也の父子の物語は未だ「シリーズ」が続いているともいえる。
『空也十番勝負』を終えたあと、おそらく筆者自身の年齢は八十三、四歳であろうか。
その折、架空の人物坂崎磐音も筆者の私と同じ老齢に達しているであろう。そこでこの大長編シリーズの最後として『磐音残日録』を書いて筆を擱きたいと希望している。むろん天のさだめに従い、磐音の晩年を書く以前に筆者が身罷ることは大いに考えられる。
読者諸氏、それはそれとしてお許し願いたい。
血液型での性格判断などあまり考えないのだが、A型の特徴か、自分の気性は律儀と思っている。そのせいかなんでも決着をつけないと落ち着かないのだ。
シリーズの完結を見ずしてあの世に不意に行くとしたら、性急な気性でもある筆者は三途の川辺りから強引に引き返し、なにがなんでもシリーズの完結を書き上げるのではないかと案じる。
ともかく現代もので売れない作家だった私は、時代小説に転じてひたすら長編シリーズを書き飛ばしてきた。
とはいえ来春は八十歳だ。もはやかつての体力、集中力、創造力はない。文庫書下ろしの最盛期、「二十日で一作」と恥ずかしながら「豪語」して、一年に十六、七作を書いていた力はない。
なにしろ近ごろただ今書いている登場人物の名が直ぐに出てこない。脇役であれ、名前なしに書き継ぐのは嫌だ、過去の巻などを巡って名を探す。当然執筆に時を要する。そんな状況だ、長編シリーズは無理だ。
文春文庫で決定版『居眠り磐音』刊行の目処が立った折、倅篇の『空也十番勝負』を完結させる前に、頭のなかからいったん坂崎磐音を追い出して白紙にしたく、四巻の短い新シリーズをと考えた。
女の職人が主人公の短いシリーズへの挑戦は、私にとって初めての試みと思う。書いてみて私の現在の思考力、体力に見合った四巻であったと思っている。
あちらこちらに書き飛ばし、喋り散らしているが、筆者はどんな長編シリーズでも一作作品(『異風者(いひゅもん)』)でも構成を立てて書き始めることはない。冒頭の光景が浮かんだ瞬間、筆者の創作活動は始まり、なんとなく落ち着くところで終わる。
『照降町四季』の第一巻「初詣で」の始まりが典型的だ。
かっこつけ屋のやさぐれ男に騙されて、三年ほど六郷川の向こうの在所で暮らした女が、男にとことんいたぶられ、悪所に売られる直前に生まれた照降町に独り戻ってくる。
時節は師走、大晦日を数日後に控えている。
寒い宵だ。
「ただ今」
出戻り娘があっけらかんとして家に戻る現代とは違う。照降町の御神木老梅の前で女は迷う、すると雪がちらちらと降ってくる。
となると筆者の手になる物語の展開は勝手に動きだす。その成果が『照降町四季』四巻だ。
作者はそれなりに面白いというか、これまでの作風とは異なると思っているが、成果は読者諸氏が厳しく評価をお下しください。
それにしてもコロナ・ウィルスめ、いつこの世界から姿を消してくれるのか。一応ワクチンの第一回目を五月中旬に、三週ほど間をあけて二回目を六月にうつ。後期高齢者が医療関係者より早くワクチン接種とは手放しで喜べない。
令和三年(二〇二一)五月
熱海にて
佐伯泰英
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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