説教には心は動かされない、ジョークと「純潔」こそが武器になる――アメリカZ世代になぜ“キリスト教道徳”が響くのか〉から続く

 PayPal創業者にしてFacebook最初期の投資家。シリコンバレーの「黒幕」とも呼ばれるピーター・ティールが、近年繰り返し語っているのはAIでも国家安全保障でもない。「反キリスト」と「世界の終わり」だ。

 ティールが問題視するのは特定の人物ではない。「平和と安全」の名のもとに科学技術を過剰に管理し、人類を停滞へと導く思考と社会のあり方そのものを、聖書になぞらえて「反キリスト」と呼ぶ。さらに意外なことに、その終末論の到達点として彼は尾田栄一郎氏の『ワンピース』に言及する。反キリスト、ハルマゲドン、そして第三の道――シリコンバレー最強投資家はなぜ、世界の未来を『ワンピース』に託すのか。

※本連載は『終末とイノベーション』として書籍化される予定です

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なぜピーター・ティールは「反キリスト」を語り始めたのか

 PayPalの創業者にしてFacebookの最初期の投資家、そして近年はビッグデータ分析会社パランティアのCEO、副大統領JD.ヴァンスのメンターとして知られるピーター・ティール。アメリカ社会を裏で操っているテック右派の代表格とされるティールが、2024年頃から終末について、また世の終わりが近づくと現れるとされるキリストの敵対者「反キリスト」について熱心に語り始めた。

 スタンフォード大学フーバー研究所でのインタビュー、『ニューヨーク・タイムズ』コラムニスト、ロス・ダウサットのインタビューなどに続き、2025年秋にはサンフランシスコでクローズドの4日間連続講義が開催された。「世の終わりへの旅(邦題:ピーター・ティールのワンピース論)」は、連続講義の内容の一部のようだが、ティールが度々寄稿しているキリスト教系の学術誌『First Things』(ティールは本誌の財務委員会のメンバーでもある)に掲載された。

ルーカス・クラナッハ「反キリスト」(1521) ルター派のクラナッハは教皇の冠を被るローマ教皇を反キリストとして描いた via Wikicommons

 終末論はアメリカではしばしば陰謀論と結びつき流行する。特に「反キリスト」という概念は、アメリカ人の強迫観念と結合することが多く、キリスト教右派が政敵に「反キリスト」のレッテルを貼る行為は歴史上何度も繰り返されてきた[1]

 そもそも「反キリスト」は、聖書の中に数箇所しか記述されていない。しかし神学者や民衆の想像力を刺激するこの概念は、歴史を通じ拡大解釈され、様々な時代に自分たちの敵を名指す最も邪悪な名称として用いられてきたのだ。共産主義やフェミニズムが「反キリスト」であることもあったが、大統領が「反キリスト」呼ばわりされることも多く、レーガンもケネディもオバマも、そして2020年にはトランプ大統領も「反キリスト」の候補だった。

リンカーン聖書を使ってアメリカ合衆国大統領就任宣誓を行うバラク・オバマ Bart Stupak, Public domain, via Wikimedia Commons

 シリコンバレーでは珍しい保守的なクリスチャンを自称するティールだが、今や巨万の富だけでなく、政治への影響力を持っている。このことから彼が「反キリスト」という概念を喧伝することに懸念を抱くジャーナリストは少なくなかった。様々なメディアがティールの講義を取材し、記事にした。特にティールが誰を「反キリスト」認定したのか、注目されることが多く、環境活動家のグレタ・トゥーンベリを数回名指ししたことが報じられたりもした。

ピーター・ティール氏 By Gage Skidmore, CC BY-SA 3.0,

 しかし、本稿を読めばわかるように、ティールは特定の人物を「反キリスト」とみなし糾弾しているわけではない。ティールが「反キリスト」という概念に込めている意味は、技術革新に停滞をもたらす、人間が陥りやすい思考と行動のパターンである。ティールの見立てによれば、それは「平和と安全の名のもと」に科学技術の発展を過剰に管理、抑圧し、結果的に人類を停滞状態に陥れる人物や組織なのだ。

 科学技術の発展のない停滞した社会では、リソースが不足し、結果として限られたリソースをめぐる戦争状態を生む。多くの犠牲が生まれるこうした事態は避けられなければならない、とティールは一貫して主張してきた。核兵器、環境破壊、AIなど、世界を終わらせかねない脅威が顕在化した今、私たちは「平和と安全の名のもと」の技術規制や管理社会を求めがちだ。しかし、それは「反キリスト」による支配、社会の停滞に屈することなのだとティールは警鐘を鳴らす[2]

『世界の終わりへの旅』(「ワンピース論」)で示されている三つの道

 人類の存亡を科学技術の発展に賭け、それを抑圧するものを聖書に(なら)って「反キリスト」と呼ぶティールは、一言で言えばイノベーション至上主義者だ。最近流行の思想的立場で言えば「加速主義者」やテクノ・オプティミスト(技術楽観主義者)と呼んでも良い。ティールの議論のオリジナリティは、この極めてテックらしい発想を、キリスト教の道徳的世界観と接合しているところにある。

 ティールの思想の布置(ふち)においては、一方に先述の「平和と安全の名のもとに」管理社会を築く支配者がいて、これが「反キリスト」とみなされる。そして他方に、科学技術の暴走などによる破滅があり、これは聖書の世界観で言うところの「ハルマゲドン(最終戦争)」である。そのいずれも回避されなくてはならない。その回避のためにはキリスト教信仰が必要だというのが、ティールの終末論の中心的主張になる。

黙示録を著すパトモス島のヨハネ by ヒエロニムス・ボス, Public domain, via Wikimedia Commons 「ハルマゲドン」は「ヨハネの福音書」に出てくる言葉

第一の道:技術革新の停滞をもたらす管理社会=反キリスト

第二の道:破滅、暴力=ハルマゲドン

第三の道:科学技術の発展と「神の知」の探究の両立=キリスト教

 この本筋が理解できれば、牽強付会(けんきょうふかい)な「世界の終わりへの旅」はだいぶ理解しやすくなる。

「科学技術と人類の命運を語る」四つの作品とは?

「世界の終わりへの旅」では、科学技術とキリスト教と人類の命運について語っているとティールがみなした四つのフィクションが取り上げられている。

 17世紀のイギリス人哲学者、フランシス・ベーコンが書いた小説『ニュー・アトランティス』、18世紀のアングロ・アイルランド人の作家、ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』、1980年代のアラン・ムーアによるアメコミ、『ウォッチメン』、そして1998年から現在も連載が続いている尾田栄一郎による漫画『ワンピース』だ。

ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』の初版(1726年)
英語版も海外で読まれる尾田栄一郎『ワンピース』 ©Unsplash

 それぞれの作品に関するティールの評価をまとめると以下のようになる。

ベーコン:第一の道をユートピアとして描いた「反キリスト」

スウィフト:無神論が第一、第二の道にしかならないことを風刺

ムーア:核兵器誕生以降、第二の道を避けるには、現実的には第一の道しかないことを示唆

尾田栄一郎:第一、第二の道を退け、第三の道を示すことが期待される

「キリスト教はイノベーションと相性が良い」というティールの信念

 まず議論の前提となる本論考、冒頭三段落目にある、ティールのキリスト教理解を確認したい。ここに示されているのは、キリスト教は根本的にイノベーションと相性の良い宗教だというティールがしばしば口にする考えである。

 言及されている「ダニエル書」は、旧約聖書に収録された終末論と「反キリスト」について語っているテキストで、ティールはこの書物を古代にあって単線的に進む「歴史」を初めて記述した書物として位置付ける。彼によれば、新約聖書はそうした歴史理解を更に明確にした。つまり彼は、新約聖書の神こそ、最初の「進歩史観の信奉者」だと述べ、以下のように続ける。

「新約聖書がその新しさによって旧約聖書に取って代わったのであれば、そして啓示が完結していないならば、キリスト教徒は「知識が増す」(ダニエル書12:4)可能性を、ベーコン的な科学という俗なる領域においても受けいれるべきではないのか?」

レンブラント『ベルシャザールの饗宴』 バビロニアのベルシャザル王が酒宴を催した際、突如神の手が現れ、壁に王の治世が崩壊する予言を壁に書いたという場面。バビロン捕囚という絶望的な状況下にあっても、列強の王たちを支配し、最終的に永遠の神の国を確立する全知全能の主として神が描かれる。
レンブラント, Public domain, via Wikimedia Commons

「新約」という概念には、新しいものが古いものにとって変わるというイノベーション的な思想が表明されているとティールは考えている。加えて、キリスト教の神の啓示は、歴史を通じて徐々に明らかになり、最後には完成するという理解に立っている。 

 これは伝統的なキリスト教の教義だ。これらの考えを受け入れるならば、キリスト教徒は当然、世俗社会における科学技術の進歩を推進するべきだとティールは主張する。こうした独特なキリスト教理解に立ち、ティールは「世の終わりへの旅」では文学およびサブカル作品を用い、科学技術の発展とキリスト教信仰の共存こそが人類の活路であることを示そうとしている。


 [1] Robert C. Fuller, Naming the Antichrist: The History of an American Obsession, Oxford University Press, 1995.

 [2] 柳澤田実「米国の終末論の現在:ピーター・ティールや福音派はどのような「最後」のために戦っているのか」『現代思想:終末論を考える』2025年11月号、青土社、2025年、79-90頁。

「管理」でも「破滅」でもない「第三の道を採れ」――ピーター・ティールの危うい思想が世界のリアルポリティクスを動かす〉へ続く