「奥さん」「ご主人」に代わるちょうどいい言葉がない
読者は先刻ご承知だろうが、謝辞にある「ほぼ二十五年前」の作品とは、一九九九年に刊行された『永遠の仔』(幻冬舎)のことだ。当時、私も一読者として大きな衝撃を受けた名作である。
その作品の中で、性被害を受けた作中人物の〈わたしの主人はわたしだから、夫のことを「主人」とは呼ばないことにした〉という場面は特に印象深く、いつまでも心に残ったものだ。はからずも今回の謝辞で著者もそのエピソードに触れており、やはりそこには意図があったのだと意を強くした。
というのも、『永遠の仔』が出た頃は、ちょうど私自身が夫を主人と呼ぶこと・奥さんと呼ばれることに違和感を覚えていた時代だったからだ。私だけではなく、周囲の既婚女性にはそこにモヤモヤしたものを抱えた人が、当時から一定数いた。
ただそれだけなら、自分が「主人」と呼ばなければいいだけ、「奥さん」と呼ばれたときに異を唱えればいいだけの話だ。だが問題はその先にあった。代わりに使えるちょうどいい言葉が「無い」のである。
普通に考えれば「夫」でいい。だが呼称の問題は夫婦間だけではなく、対他人の場でのバランスがかかわってくるから難しいのだ。「あなたのご主人は」「おたくの旦那さんは」と問いかけている相手に「うちの夫は」と返すと、生意気と思われるのではないか。あるいは、硬すぎるのではないか。名前で呼ぶのが一番簡単だが、夫の名前を知らない人にとっては「誰?」である。当時はネットで日記を書くのが流行り始めた時代で、配偶者を「同居人」や「家人」と表現している人がけっこういた。なお、「奥さん」については戦う相手が巨大すぎてキッパリ諦めた。
もっと困るのは、話している相手の配偶者の呼び方だ。「ご主人」「奥さん」について相手がどんな考えを持っているかわからないときは尚更である。
それから四半世紀経った今でも、定期的にSNSで「配偶者を何と呼ぶか」という議論が交わされる。誰かいい呼称を考えて、早く定着させてくれないか。
ちょうどいい呼び方が「無い」という問題については、もうひとつかねて不満に思っていることがある。「未亡人」だ。夫に先立たれた妻を未亡人=いまだ亡くならざる人、なんてずいぶんひどい言葉ではないか。しかも未亡人という言葉は、夫の側には使わないのである。これも適切な言い換えがない。寡婦は話し言葉には合わないし。
言葉とは、概念である。
言葉がないということは、それに対する明確な概念がないということになる。
概念がないということは、そこから生まれる被害に対して無頓着な社会であるということだ。
本書『ジェンダー・クライム』の根幹は、そんな社会の描写にある。
前振りが長くなってしまった。すみません。だが、些細で卑近な話題のように見えてこれがけっこう大切だから……と言い訳しつつ、本書のあらすじから紹介しておこう。
土手下で中年男性の死体が発見された。暴行の痕があり、肛門に〈目には目を〉と書かれた紙がねじ込まれていた。捜査の結果、被害者の身元が判明。彼の息子が大学時代に集団レイプ事件を起こしており、それがある筋からの圧力によって揉み消されていたことがわかった。八王子南署強行犯係の鞍岡警部補と本庁捜査一課の志波警部補(ちなみにどちらも男性である)は、事件はその復讐ではないかと考え、捜査を進めていく。
被害者の息子は集団レイプ事件の犯人だった
復讐だとすれば、なぜレイプ事件を起こした当人ではなくその父親が殺されたのか。あらためて当時の被害者家族に聞き込みに行った彼らは、そこで性犯罪被害者とその家族が長年にわたって苦しんでいる現実を目の当たりにする──。
序盤、武闘派の四十代である鞍岡と、若手ながら優れた洞察力と感性を持つ志波のコンビの対照性にまず惹きつけられた。被害者の妻を「奥さん」、被害者を「ご主人」と呼ぶ鞍岡に、志波はその場で異議を唱えるのだ。
肝心なのは、鞍岡は決してミソジニストでも男権論者でもないということだ。実際、冒頭の場面では女性警官を揶揄する部下を注意する場面もある。中学生の娘がいることもあり、少女を狙った犯罪を殊の外憎んでもいる。そんな鞍岡ですら、何の疑問も持たず「ご主人」「奥さん」と口にしてしまうという描写が実に象徴的だ。これは「刷り込まれた無意識」が炙り出される場面なのである。
この鞍岡は、現代の男性に多いタイプかもしれない。女性の扱われ方に問題意識はあるし、現状は良くないと思ってはいる。他人の言動が女性差別的であると思えば窘める良識もある。だがそこまでだ。それ以上積極的に問題にかかわる意志はなく、根っこのところに刷り込まれた意識はなかなか変わらない。
この鞍岡の意識が、志波や自分の娘との会話、女性警官とのかかわり、そして事件捜査の中で少しずつ変わっていく過程がひとつの読みどころである。志波との「対照性」と書いたが、終盤でわかる志波のあり方にも、ぜひ注目してお読みいただきたい。
鞍岡のみならず、そういったジェンダー問題に関する数々のジャブを序盤に仕込んだ上で、本書は最大の眼目である性犯罪が及ぼす残酷な影響へとなだれこんでいく。
レイプドラッグなどを使った集団レイプ事件は現実にも多く起きている。ある政治家が「元気があるからいい」と発言して大炎上した一件をご記憶の方もいるだろう。このように加害者を擁護したり、被害者の側にも原因があったというような二次加害は情けなくなるほど枚挙に遑がない。本書に描かれた事件はもちろんフィクションだが、読者である私たちはこれが決してフィクションではないことを知っている。被害者の絶望、その家族の苦難、加害者の身勝手な言い分、尻馬に乗って被害者を叩く無関係な人々……加害者は名無しのまま、被害者だけが追い詰められていく。読んでいて目の前が赤く染まるほどの怒りに何度もかられた(性被害の経験者はフラッシュバックのリスクがあるかもしれないのでご注意のほどを)。その怒りは小説に対してではなく、まさしくこの小説の通りのことが起きている現実社会に対してだ。この現代の構図は、とても正しい在り方には思えない。それなのに変わらないのはなぜか。
それこそが「概念の欠落」である。ジェンダー、セクハラ、マンスプレイニング。これらの言葉が日本で聞かれるようになったのは近年になってからだ。一九八九年の新語・流行語大賞の金賞を「セクシュアル・ハラスメント」が受賞したが、これは平成になって初めて「セクハラ」という概念が誕生したことを示している。それまで無意識に行われていたことや発言していたことに「セクハラ」と名前がついた。それでようやく私たちは「これはいけないことなのだ」と蒙を啓かれたのだ。マンスプレイニングやジェンダーが言葉として浸透したのはもっと最近である。それまで、強姦すら「元気がある」と言われるこの社会で、性にまつわる被害はとことん不可視の状況にあったのだ。
本書の後半に、ある女性が仕事関係者に酔わされレイプされたことを訴えたエピソードが登場する。すると相手は知り合いの政府関係者を通じて、すでに執行目前だった逮捕状を握り潰させたという、現実に起きた事件を想起させる話だ。逮捕の執行を止めた責任者に向かって登場人物が問う。
「コロシだったら、逮捕状の執行を中止しましたか」
すべてはこの一言に集約される。魂の殺人とも呼ばれ、その傷を家族も含めてずっと抱えていくことになる性犯罪が、なぜこうも軽視されるのか。この社会を性犯罪と二次加害の温床にしてしまった本当の意味での真犯人は誰なのか。
その答えが本書にはある。
「魂の殺人」なのに軽視される性犯罪
と、ここまでどうしても女性目線での文章になってしまったが、本書は男性にこそ読んでほしい物語だ。特に、レイプなんてとんでもない、女性差別などまったくしていないと思っているあなたに。本書には思い込みによる無意識の差別が山のように登場するし、レイプ犯の中にも濃淡がある。それらを読んで、「これは許されるのでは」「これは仕方ない」と感じる場面があれば、本当にそうなのか立ち止まって考えてみていただきたい。
いや、本書を味わうのに男女の別は関係ないと言った方がいいかもしれない。この小説が極めてデリケートかつ重大な社会問題を扱っていることは論を俟たないが、同時に警察小説としても一級品なのだ。バディを組むふたりがそれぞれの問題に対峙し、事件の中で成長していく姿はとても読み応えがあるし、組織の問題も十全に描かれる。鞍岡と志波はもちろん、上から下まで警察官が皆個性的かつ肉厚で、その顔や言動が眼に浮かぶほどだ。警察小説ファンには自信を持ってお薦めできる。また、ミステリとしても凝った仕掛けが施されている。真相に対して、もしもあなたがあることを一度も疑わなかったとしたら、それは性別を問わず、旧来の不可視の罠にはまっている証拠かもしれない。この真相は、ある意味、読者への試金石と言えるだろう。
一朝一夕には社会は変わらない。前述の「現実の事件」のように、あるいは職場で、家庭で、その実例を私たちは何度も見せつけられている。それでも今は言葉が生まれた。概念が生まれた。きっと変わるはずだ。「元気があるから」という言葉はもちろん赦されないが、それでも炎上したこと自体を私は頼もしく感じた。偉い人がそう言えば「そうですね」と追従笑いをし、被害などなかったことにされた時代を知っているから。それは違うと声を上げるようになった、本書のような小説が男性作家によって書かれる時代になった、それこそ変わってきている証左だと、嬉しく思うのだ。
もちろんまだ満足には程遠い。だが古い世代が去り、生まれた時からこれらの言葉と概念がある社会に育った世代が大人になったとき、きっと今よりいい時代に──いや、当たり前の時代になっているはずだと、「ご主人」や「未亡人」で悩まなくていい時代がくるはずだと、願わずにはいられない。そのために今、私たちができることは何なのかを考えさせてくれる。本書『ジェンダー・クライム』は、そんな未来に向けた物語なのである。







