「物語が、『答え』を見つける燈火となってほしい」という願いをこめて、故郷・道後温泉を舞台に『巡礼の家』を書いた天童荒太さん。自身の経験をもとに、「あってほしい社会」を綴った。
大人になっても、彼のことを思い出す。
50年以上前、我が家は貧しかった。父親が、友人に頼まれて借金の連帯保証人になり、友人が逃げたことで、返済を丸ごとかぶったためだ。
当時、おもちゃは、家の前を流れる川から拾っていた。捨てられたブリキ製の鉄人28号(足が取れていた)やスポーツカー(車輪が取れていた)を見つけて、喜んで遊んでいた記憶がある。
そんな自分よりもっと貧しい家の子もいた。彼は、強い風が吹けば飛ばされそうな傾いた家に住み、つねに同じ古いセーターを着ていた。彼と一緒にいると、自分の暮らしが少しはましに思えて、ほっとするところがあった。だが突然、彼は学校へ来なくなった。家を訪ねていくと、もう誰も住んでいなかった。呆然とした。
大人になっても、彼を思い出すことがある。あの当時、彼に何かできることがあったのじゃないか……ほとんどの男の子が参加していた草野球の遊びに出てこない彼に、どうしたの、何か困ってるの、と声を掛けることはできなかったのか。
50年余の歳月が過ぎ、日本は豊かになった。川の流れを見るたび、それを想う。
一方でいま、人と人とが共に生きていく社会が、急速に失われつつあることを感じる。自己責任という言葉が普通に語られる。児童虐待の相談件数は毎年増加し、厚生労働省の「平成30年版自殺対策白書」によれば15歳から39歳までの死因一位は自殺である。貧困家庭に税金で手を差し伸べる必要はないと考える国民は、先進国では日本が一番多いという話も耳にする。
絶望的な孤立の壁を壊すためにも。
経済を突出して優先させてきた社会は、人々から他者を思いやるゆとりを奪い、本当の幸せとは何かを考える力さえ奪ってしまったかのようだ。
いま多くの人の心をむしばんでいる感覚は、「私は助けを求めないから、そっちも助けは求めないで」というものかもしれない。結果として、自分が本当に困っているとき、声はどこからも掛からず、手も伸びてこない。若い人を中心に、人々が自殺に走る心の底には、こうした絶望的な孤立感があるのではないか。
このままでは、さらに孤立した、冷えきった世界が進んでいく。それはきっと新型コロナウイルスの蔓延よりも恐ろしいものとなるに違いない。
けれど、真実、多くの人の心の中には、困っている人がいれば助けたい、と思う心がいまも息づいていると信じている。必要なのは、人々が自助とか自己責任といった考え方にとらわれて、いつのまにか築いてしまった孤立の壁を壊すことではないか。
壊す力は、大それたものではなく、人々の、ほんのちょっとした〈お節介〉だ。
「どーしたの」「何かお困りですか」
そんな声掛けは、驚かれ、困惑されることがあっても、ついには相手の冷えた心を温め、気持ちを和ませる。なぜなら、人間の生存にかかわる根源的な肯定感につながるためだ。
たとえば、小さな子どもが転んだとき、たいていすぐには泣かない。でも親が見ていなかったり、そのくらいは大丈夫でしょ、という態度を取られたりすると、ウワーンと泣き出す。それは、ぼくを見て、わたしを気づかって、というサインだ。だから、どーしたの、痛かったの、と声を掛けられ、手を差し伸べられると、けろっと泣き止み、また駆け出していく。
ほしいのは、他者に気にしてもらえている、という生の肯定感だから。