書評

孫弟子がみた「自然の探求心」

文: 養老 孟司 (解剖学者・東京大学名誉教授)

『鯨の話』 (小川鼎三 著)

 小川先生のことをさらに知りたければ、井上靖の小説『群舞』を読まれるといい。美人の秘書がいる大学の先生が出てくるが、小川先生がモデルである。この先生はヒマラヤに雪男を探しに行く。小川先生も雪男探検隊を組織し、ヒマラヤに出かけた。ついでにガンジス河のカワイルカを捕らえて、上野の不忍池に放すつもりだったと聞いた。あんなことをしているから、東大の解剖学教室の近代化が遅れた。紛争時代に若い研究者がそういっていたことがあった。人はもっともなことをいうもので、だから私はもっともなことがじつはきらいである。若いものが老人よりももっともなことをいう時代とは、面白くない時代ですなあ。いまでは先生、タバコなんて吸っていていいんですか、と学生が教師に向かっていう。小川先生のころより、話が数桁ほど、さらに小さくなった感がある。平和になってお金ができて、世界はどんどん細かくなり、縮んでいく。しょうがないから宇宙に行くのだろうが、虫のいないところに行きたくはないなあ。そのうち宇宙で虫が見つかればいいんだけど。

 

 小川先生は晩年は順天堂大に日本に唯一の医史学講座を創設された。そのあとを酒井シヅさんが継いだ。小川先生の最後の直接のお弟子さんであろう。酒井さんは私と東大の大学院の同期生である。小川先生は大分県の杵築(きつき)の出身である。でもお墓は鎌倉の浄智寺にある。近くの東慶寺には岩波文化人の墓が多い。最近では赤瀬川原平さん兄弟のお墓ができて、墓場が満タンになったと、以前に赤瀬川さんに聞いた。私は対抗したわけではないけれど、さらにご近所の建長寺に虫塚を創らせていただいた。

 恩師の中井先生は、小川門下では異色だった。神経細胞の培養という、実験的な方面に進まれたからである。その方向の仕事はやはり孫弟子の中井門下、廣川信隆教授に引き継がれ、発展していく。もう一人、異色の門下生がいる。それが『胎児の世界』の三木成夫先生である。三木先生は小川先生にどことなく似ていて、話し方が小川先生にそっくりだなあと、私はいつも感じていた。もう一人、小川門下で座談が上手だったのは、神経解剖学の萬年甫(はじめ)先生である。東大の脳研究所の解剖学部門は、最後のお弟子さんの一人、金光晟(あきら)教授が継いだ。金光さんは面白い方で、定年になったら、天気のいい日は縁側に出て、ネコと日向ぼっこをしながら、墨と硯と学会の名簿を出してきて、「あいつも死んだ、こいつも死んだ」と名簿に墨を塗るといっておられた。その金光さんも亡くなられた。

 時代はすっかり変わった。思えば小川先生はやはり一時代を創られた。その大木からさまざまな枝が生じたからである。私もそこから生えた小枝か、ひょっとしたら横に生えたキノコかもしれないと思う。でも小川先生はクジラだけではなく、キノコも大好きだったんですけどね。

鯨の話
小川鼎三・著

定価:本体1,350円+税 発売日:2016年04月20日

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