『眠れぬおまえに遠くの夜を』(文藝春秋)

 桐野夏生さんの最新作の舞台は、「韓国芸能界」。K-POPや韓国ドラマが世界的に注目を浴び、大きな成功を収める一方、スキャンダルへの過剰な対応や契約問題など負の側面が話題になることも多い。

 今作では、栄光の果てに転落する男・ナダンを、演技派俳優・テミンのモノローグによって語る。二人は10代の頃、アメリカ・アナンデールで出会い、ともに時間を過ごしたが、やがてナダンはアイドルとして驚くべき速さで成功を収め、そして恐ろしい速さで転落していった。

 世界を股にかけ、その後芸能界から追放されたK-POPスター。その光と影、生と死を、桐野さんはいかに小説にしたのか――。

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――今作の舞台は「韓国芸能界」。桐野さんご自身はよく韓国エンタメに触れていらっしゃるのですか?

桐野 コロナ禍で外出自粛がはじまった2020年から、配信サイトで韓国ドラマを見るようになりました。これまでの韓国ブームは横目で通り過ぎていたのですが、『愛の不時着』を見たらハマってしまって、次々に視聴しています。

 

 韓国エンタメには、人の心をつかむ「肝」のようなものが詰まっていると感じています。財閥の御曹司が平凡な女子に恋する……なんて、日本の今の小説界では「リアリティがない」と一蹴されそうなテーマですが、格差問題は普遍的ですし、面白いです。幼稚なものもなくはないですが、お金だったり、美貌だったり、若さだったり、プリミティブな欲望をむき出しにしているところが日本のエンタメとは違って面白く感じています。

――桐野さんは「村野ミロシリーズ」でも韓国を登場させています。『ダーク』のなかで、ミロは福岡で出会った韓国人男性・ジンホとともに、偽装パスポートで韓国にわたります。1980年に起きた光州事件(学生や市民による民主化要求運動を軍部が武力弾圧し、多数の死傷者を出した事件)についても紙幅を割かれていますね。

桐野 戦争体験の痛みや傷を、いまも抱えながら生きていることに目が留まるのかもしれません。今でも徴兵制がありますし、朝鮮戦争は熾烈な思想戦的な面があって、同じ民族が今でも戦っていることの痛みをとても感じます。『ソウルの春』や『国際市場で逢いましょう』などの映画を見ても、苛烈な政治闘争の歴史があり、民主主義や国に対する考え方も日本とは違うように思います。同じ民族としての分断、国としての成り立ちが、興味深いです。

釜山

『ダーク』執筆の1990年代後半には、福岡から釜山まで高速船に乗り、取材に赴きました。光州事件の資料館にも足を運び、写真集を買い込んで夜中に一人で眺めていました。市民がたくさん亡くなりましたね。あの残酷さはいまも目に焼き付いています。当時は韓国ドラマなどは知りませんでしたが、歴史的な面は以前から興味がありました。

「転落する男」を描きたい

――本作は、テミンという俳優の独白(モノローグ)によって物語が進行します。彼の10代から始まり、30代で俳優デビューを果たし成功するまでの「青春小説」であり、同時に彼が語る「ナダン」という男の転落劇でもある。モノローグという形を選ばれたのには理由がありますか?

桐野 韓国芸能界を描く、というより、今作は大成功した後に、「転落する男」を描きたいというところから始まりました。若いころに脚光を浴びて、その後崩れてしまう人。一度天国と地獄を味わった人は何かをつかんでいると思いますし、いびつな人の持つ美しさやカッコよさはあります。そのいびつな美しさと周囲の反応、という対比が描けたらいいと思いました。その激しさにおいては、競争の激しい韓国芸能界がモデルとして相応しいのではないかと思ったのです。

 

 韓国では日々さまざまなスキャンダルが持ち上がり、そのたびに苛烈なバッシングが巻き起こり、なかには自死を選んでしまう人もいます。強烈な光を放つからこそ、影の部分が気になります。自死した俳優のイ・ソンギュンや、元東方神起のユチョン、キム・スヒョンやユ・アインといった、韓国芸能界のスターたちの姿を見て、彼らがそれでも放つ魅力や美しさにインスピレーションをもらいました。

 今作は、「終わった男」と評されるナダンの転落劇ではあるのですが、実は視点人物であるテミンも変わっていきます。ナダンもテミンも、芸能界のなかで「求められる役柄」を演じるなかで、自分を見失っていき、もともとの自分から乖離していく。語るテミンと、語られるナダン、どちらもが変容していく二重構造ですね。そしてそれは彼ら「芸能人」だけにとどまらず、一般社会に生きる我々もまたそうなのではないかと思います。

――テミン、ナダンに加え、42歳を迎えつつあるのにラブコメにばかり呼ばれてしまうイケメン俳優・ゴヌの存在もあり、韓国芸能界が立体的に浮かび上がっていきますね。それぞれの人生の歴史と、故郷との関係性も興味深いです。

桐野 故郷喪失はテーマの一つでした。ナダンは幼いころにIMF危機の影響で、一家でアメリカへ移り住みます。当時は働き口を求めて海外へ移住したり、海外へ養子へ出されることも珍しくなかったと聞きます。貧困のなかで、帰りたくても戻る場所を失い、しかしアメリカにも居場所を見いだせない彼は、アイドルになることで一度は韓国で大きな成功を果たすのですが、その後また、故国である韓国芸能界からも追放されてしまう。

 一方、テミンは裕福な家に育ち、IMF危機を経てもアメリカへ「留学」できるような家の出です。それがのちの俳優活動にも後押しとなる。そうした格差もまた、韓国の現状であると思います。

ソウル

つかみどころのない男に惹かれてしまう

――ナダンはいわゆる「昭和の破天荒なスター」のようなところがありますね。女性問題で訴えられ、大麻で捕まり、ついにはYouTuberからつるし上げを食らう……しかし圧倒的な魅力を放ち、見る人を引き付けてしまう。つかみどころのない人間です。

桐野 つかみどころがないように見えるのは、ナダン自身が自分のことをわかっていないからでしょう。彼は10代にデビューし、あっという間に成功したから、自分という主体ができる間もなく混沌のなかに放り込まれてしまいました。IMF危機にしろ、アイドルとしての成功にしろ、自分の力ではどうしようもない大きな何かに常に振り回されています。だから、ナダンはいろいろな事件を起こしますが、決して「黒い」エネルギーがあるわけではない。悪いことを考えたり、パワーをもって悪に向かうのではなく、弱さゆえにそうなってしまう。それは悪を体験しないまま若い時代を終えてしまったからかもしれません。

――ひきかえ、テミンは日本で言う「令和っぽい」俳優だと感じます。自分のふるまいをちゃんとコントロールして、計算高くポジションを取りに行く。崩れないからこそ安心して推せるというか。

桐野 テミンは、美男じゃないけど、裕福だし、頭がいい。運がいいタイプですね(笑)。小狡いというか、ちょっと「黒い」ところがある。やっぱり、成功するにはある程度黒いところがないとなかなかうまくいかないんじゃないかと思います。テミン自身は必死に自分を理解しようと努めている。それなのに、自分自身をわかっていないナダンに惹かれるのです。だから面白いですね。

 

【あらすじ】

33歳で遅咲きのデビューを果たし、人気俳優として活躍するパク・テミンは、「終わった男」ことニック・ナダンについて語り始めた。
10代の頃、ともに過ごしたヴァージニア州・アナンデールでの日々。
しかし道は分かれ、ナダンは驚くべき速さで成功を収め、
これまた驚くべき速さで凋落していった。
世界を股にかけるK-POPグループの一員であるという酩酊と、芸能界からの追放。
挫折と成功、「生と死」、ふたりの男の運命が交錯する。