- 2023.06.30
- 文春オンライン
「乳房の切除について、ご主人はなんて言ってるの?と…」 桐野夏生、西加奈子が語る“自分の身体は誰のものか”
小泉 なつみ
桐野夏生『もっと悪い妻』×西加奈子『くもをさがす』を読み解く
どこか満たされない鬱屈を抱える男女を描いた小説『もっと悪い妻』を上梓した桐野夏生さん。そして、カナダでの乳がんの闘病生活をノンフィクション『くもをさがす』に綴った西加奈子さん。日本社会で「夫婦」でいることの面白さや、カナダで感じた母や女であることからの解放感など、令和の夫婦像について語った対談を、『週刊文春WOMAN2023夏号』から一部抜粋の上、紹介します。
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遺伝性の乳がんのため、卵巣と子宮を予防切除
桐野 早速ですが、『くもをさがす』、本当によくぞ書いてくださいました。最近、同年代の友人が西さんとまったく同じ遺伝性の乳がんだったことがわかりました。
西 「BRCA2」という変異遺伝子だったんですね。
桐野 そうです。その方の娘さんも検査したら、BRCA2遺伝子を受け継いでいたそうです。BRCA1、BRCA2の遺伝子を保有していると生涯のうちに乳がんになる確率が70%もあるそうですね。
西 それで私は今月、卵巣と子宮を予防切除する予定です。BRCA1の変異遺伝子を持っているアンジェリーナ・ジョリーは、両乳房と卵巣、卵管を予防切除したことが話題になりました。
桐野 変異遺伝子でがんになることは、そんなに知られていないですね。アンジェリーナ・ジョリーがあらかじめ乳房を切除したことを大げさと思う人もいるかもしれないけど、実際に、その知人の生母も30代で乳がんで亡くなられたそうです。こんなにはっきりと乳がんのリスクがわかるのかと、身につまされました。
それにしても、4年前にご家族でカナダに移住した直後にコロナ禍になり、乳がんがわかって、と壮絶な経験をされましたね。どのようなお気持ちで作品を書いたのでしょうか。
8月17日 今日から日記をつけようと思う。
日記は久しぶりだから、何を書いていいのか分からない。今日、乳がんと宣告された。自分がこんなことを書かなければいけないなんて、思いもしなかった。
(西加奈子『くもをさがす』より)
西 自分の気持ちを整理したくて、日記を書きためていました。あと、桐野さんもわかっていただけると思うんですけど、作家として「これは書かねば」という感覚もあって。
ただ、発表してから「勇気あるね」とか、両方の乳房と乳首の切除について、「よくぞ決断した」という声をたくさんいただいて、逆にびっくりしました。知人から「ご主人は何て言ってるの?」と言われたときは、別の意味でびっくりしましたが……。
桐野 自分の身体のことなのに夫の意見を聞かないといけないと思うのは、どうしてなんでしょう。
私の身体は私のもの
西 夫が睾丸を取ることがあったら、「妻は睾丸切除についてなんて言っていましたか?」って聞いてくれるのかな、と思いました。
私は授乳もしていましたけど、それだってある一定期間子どもに栄養を与えているだけであって、私の身体は私のものであることは変わらないはず。なのに、「母」たるもの、「妻」たるもの、身体を誰かに明け渡すべき、みたいな雰囲気がまだあんねんなって。「♪お父ちゃんのもんとちがうのんやで~」って、月亭可朝の「嘆きのボイン」かよ! って(笑)(作詞・作曲:月亭可朝)。
――桐野さんの新刊の表題作でもある「もっと悪い妻」は、30代後半の子持ち女性・麻耶が、夫公認の不倫を楽しみ、充実した生活を送っている様子が描かれています。 一方、本誌パイロット版で書き下ろしていただいた「悪い妻」では、育児に非協力的なバンドマンの夫や、自分を悪妻扱いする夫のバンド仲間に怒りを募らせ、子どもにつらく当たる不幸な妻・千夏(ちか)の姿が対照的に描かれています。
西 「悪い妻」の千夏は夫から愛されてもないし、彼女もバンドをやっていたのに家事育児に追われて音楽活動もできず、不満から子どもを虐待しかけている。かたや、オープンマリッジの関係を築きながら家庭円満な麻耶は非常に満たされている。だけど、一般的に嫌われるのは幸せそうな麻耶ですよね。
才能を邪魔する妻を「悪妻」に仕立て上げる男たち
桐野 「悪い妻」を書いた時は、作家・開高健の妻で詩人の牧羊子さんが、“悪妻”とされていることが気になっていました。彼女は開高健より7歳年上で、子どもができたことで無理やり結婚を迫った悪妻だ、と周囲の評論家の男たちが言い募りました。家事をやらない、自己主張が強いと言って、才能ある男を苦しめている、悪妻だと非難したんです。嫉妬に近い感情だと思います。
西 「僕たちの健を! あの女が取った!」って(笑)。
桐野 そうそう。男たちは、俺たちが見つけた開高健という才能を邪魔する存在として、牧羊子を「悪妻」に仕立て上げたんだと思います。一人娘さんがとても気の毒です。夏目漱石の弟子たちも、漱石の妻・鏡子を「悪妻」と書き残しています。
西 作家のマギー・オファーレルが『ハムネット』という作品で、悪妻だと言われていたシェイクスピアの妻を新たな視点で魅力的に描いてました。もしかすると、世界中に「悪妻」って言いたい人たちがいるのかもしれませんね。
男性の意見を内面化した社会
桐野 「悪妻」って言い合うことで、男同士の連帯を強めているところもありそうです。ホモソーシャルですね。
西 でも私自身、男性向けにデザインされた社会で男性の意見を内面化しているところもあります。「野村監督の妻のサッチーどうなん」って言っちゃうみたいな……。
桐野 見かけの派手さも相まって言われてしまうのでしょう。
西 ただ冷静に考えると「それ言って誰が喜ぶんやろう?」と思います。サッチーと実際に会っていたら、魅力的で面白い方ではなかったかと想像するんです。
桐野 以前、家族で食事していたら、隣の席に若いご夫婦と夫の男友だち2人の4人グループがいたんです。その男友だちがご夫婦に「子どもを持つなら男と女どっちがいい?」と質問したら、妻が「女の子は女々しくて嫌。はっきりしている男の子がいい」と答えていました。それを聞いて、「あなた、男たちに媚びなくていいよ」と言いたくなりました(笑)。
西 男性社会で生きていこうとすると、彼らの意見を内面化した方が生きやすいですもんね。
桐野 彼女の発言に、男友だちの方がちょっと引いていました。世の中、少し変わってきてるんだなとも思いましたね。
思うまま幸せに過ごす「もっと悪い妻」
西 私も恥ずかしながら、恋人の友だちから「お前、ええ子と付き合ったな」って言われたい気持ち、めっちゃありました。今考えたらもちろん「どこ向いてんねん、関係あれへんやん」って思うけれど。パートナーの友だちに愛されないといけないっていう考え方も独特で、千夏はそれができないんですよね。
桐野 夫の男友だちが家にわーっと来た時、嫌な顔をしないで、ご飯を作って振舞ってあげるのが「いい妻」なんですよね。メディアもそう喧伝しているから、女の人たちが「いい妻」像を内面化してしまう。
西 この作品のすごいところは、一編目の千夏より不満を溜めた悪い妻が最後に出てくると思いきや、ただ思うまま幸せに過ごすだけの麻耶がラストの主人公になる。その題名が「もっと悪い妻」という!
桐野 そうですね。タイトルの「もっと悪い妻」は、逆説的な意味を込めました。
ドブ川に浮いているものまで見せる作品
西 6つの短編の共通項を無理にあげるのは憚られますけど、登場人物それぞれが「こんなはずじゃなかった」「あんな風にできたかも」と鬱屈しながら生きる中で、麻耶だけが「満足! 私、最高!」と思って生きている。ものすごく光ります。
ダンティール・W・モニーズというアメリカの作家の短編「骨の暦」で、主人公が娘に向けて言うセリフがあって。「自分らしく生きることを学ぶか、別の誰かとして死ぬか。単純なことだよ」と。もう本当にその通りですよね。麻耶は、自分の人生を生きているだけ。ただ、「幸せそう」だという理由で女性が刺される国では、麻耶は断罪されるんでしょうね。
桐野 フェミサイドですね。西さんにそういう風に作品を読み解いてもらえて嬉しいです。(西さんの手にある何枚もの紙を指して)こんなにたくさん、細かくメモまでとってくださって。
西 桐野さんの作品を読む時は、体調万全じゃないと読めないんです。
桐野 そうなんですか(笑)。
西 ほんまにくらうので(笑)。たとえば作品が地図だとすると、桐野さんは全ての路地のことを書き込むし、なんならドブ川に何が浮いてるかまで見せてくれはるんです。
日本に帰ってきて、広告がしんどい
桐野 ドブ川(笑)。光栄です。そろそろ西さんのこともお聞きしていいですか。この後はもう日本にお住まいになるんでしょうか。
西 はい。これから長く住むと思います。ただ、日本に帰ってきてしんどいなと感じるのが広告で、ネット検索しているとアルゴリズムで「50代、今もかわいい」みたいなポップアップが頻繁に出てくる。女性がいつまでも“かわいい女性”としていないといけない圧が強くて。
桐野 さっきの乳首の話にも通じますね。日本は「性同一性障害特例法」という法律があって、性同一性障害の方が戸籍上で性別変更するためには、卵巣や精巣といった生殖機能を取らないといけないのです。
西 「自分は女/男である」という自認だけではダメってことですね。
桐野 そうなんです。心と体の性を無理やり一致させる必要はないと思うんだけど、すごく頭が固い。紅白歌合戦の昔から、単純な男女二分法です。身体の問題って心の問題なのにどうして理解されないのか……西さんの本を読んで、改めて感じました。
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西さんが乳がんサバイバーの看護師からかけられた印象的な言葉や、桐野さんが気になる「嫁」という呼び方、キャンサーフリーとなった後の西さんの思いなど、対談の全文は『週刊文春WOMAN2023夏号』でご覧いただけます。
text:Natsumi Koizumi
photographs:Asami Enomoto
きりのなつお/1951年石川県生まれ。99年『柔らかな頬』で直木賞受賞。
2004年、日本推理作家協会賞受賞作の『OUT』が日本人作家では初のエドガー賞候補となり、大きな話題に。
11年『ナニカアル』で読売文学賞受賞。15年、紫綬褒章を受ける。日本ペンクラブ会長。
にしかなこ/1977年イラン・テヘラン生まれ。エジプト・カイロ、大阪で育つ。2004年に『あおい』でデビュー。
07年『通天閣』で織田作之助賞を受賞。13年『ふくわらい』で河合隼雄物語賞受賞。
15年『サラバ!』で直木賞を受賞。ほか著書に『夜が明ける』など。
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