『だから荒野』 (桐野夏生 著)

 桐野夏生の小説には、さまざまに欠落した多種多彩なダメ男が登場する。

『メタボラ』に出てくるボランティア宿泊施設を運営しているあいつとか、『ハピネス』のマスコミ勤務の「江東区の土屋アンナ」と不倫するメルセデスのゲレンデに乗るあの男とか、『バラカ』の中年になってビジュアル系の格好をした奴とか。さながらダメ男図鑑のようである。

 本小説の主人公・朋美は、46歳の専業主婦。夫の浩光と2人の息子の4人家族だ。

 まず息子たちがダメである。彼女の尻に敷かれっぱなしで彼女が変わると着る服まで変わる主体性と思慮に欠けたチャラい「リア充」の長男。次男はネットゲーム中毒で、学校以外は自室に引きこもっている。そして何をさておいてもダメなのは、夫である。夫の浩光が家庭を顧みない亭主であるところはさておく。ゴルフバッグにしまっているポーチの中にコンドームを束で隠し持っている勘違い男で、ついでに言えば、グルメサイトに気の利いた文章を上げてちょっと評判なのを鼻にかけている。

 物語は、朋美の46歳のバースデーから始まる。よそ行きの格好をしてメイクもばっちり決めた彼女を「ツーマッチにミスマッチ」「化粧が濃過ぎる」となじる夫。長男からも「センス悪いよ」とけちょんけちょんの言われよう。さらにこの男たちは、彼女が選んだイタリアンレストランに「カラスミパウダーじゃないか」と文句を付けて「味音痴」呼ばわりする。プレゼントもない。しまいには、クルマの運転を押しつけられる朋美。堪忍袋の緒が切れた朋美は、「あたし、先に出るわ」とこの家から出て行くのだ。

 孤食、ゲーム中毒など家族にとっての危機が日常的に語られる時代において、家族崩壊の問題に真正面から向き合った本作で、その象徴として登場するのが「マイカー」である。本作で物語や人間関係が展開していく場面は、クルマの中、ドライブシーンとして描かれる。

 家族が会話をするのも、このクルマの中である。「ビーエムとか、どう」「ベンツもいいな」「プリウスとかも悪くないね」。長男は自動車学校に通っており、近いうちにこのクルマを運転するようになりそうな気配。このマイカーをいかに新しくするかという、一見未来を向いたたわいのない会話が家族団欒の最後となる。彼らは、大事な何かを見逃している。

 朋美と浩光の夫婦の関係性もクルマを通して描かれている。浩光は、いつも会社に行く際に、マンションから駅まで朋美に送らせている。「ママタク」である。だが週末は、浩光がクルマを独占する。趣味のゴルフに行くのだ。夫の都合に合わせるだけの人生なのだ。

 森村家の「マイカー」は、日産のファミリー向けセダン2003年製ティアナ。2003年に発売された新車種である。「クルマにモダンリビングの考え方。」のキャッチコピーで、カルロス・ゴーン就任後の日産から発売された世界戦略車である。森村家がこのクルマを買った当初は、バリバリの新車の高級セダンだったはずだ。10年経って高級車の威光は消えてしまった。くたびれてきている。もちろん、それは家族の関係性の摩耗とも重なる。

 とはいえ、朋美が家を出ることを決意するにあたり、このティアナは重要な役割を果たす。勢いで自分の誕生日のディナーの途中で席を立った朋美だが、とりあえずセブン- イレブンの駐車場にクルマを停めてゆっくり「これからどこに行くか」について思いを巡らす。彼女の移動の自由を与えたのは、夫の所有するETCカードとこのティアナなのだ。

 このクルマがなければ何にも始まらなかっただろう。とにかく「高速で遠くまで行ってみようか」と朋美は「猛々しい」ところを発揮する。気ままな夜のドライブのつもりが、いつしか1人での旅に変わり、そして家族との決別を意識した長崎までの長距離旅行へと変化していったのだ。

 一方、カーステでかかる音楽にも触れておこう。出発直後のBGM『ボレロ』は映画『愛と哀しみのボレロ』で使われていた音楽だった。一方、彼女が旅の途中でCDを購入するのがローリング・ストーンズのアルバム『刺青の男』である。どちらも1981年に公開・発表されている。朋美は、10代半ばだった時代に無意識に戻ろうとしている。友人知佐子との会話では、中学時代の初恋の相手宮内繁の話で盛り上がっている。

 朋美が森村家を出た後、新しい「マイカー」、メルセデス・ベンツC250が導入される。こちらは、朋美も欲しいと思っていた夢のベンツ、Cクラス・ステーションワゴンだが、夫の浩光が熱を上げるゴルフ仲間の小野寺百合花のゴルフの送迎のため、鼻の下を伸ばしながら中古車販売店で速攻購入したものだ。これもまた象徴的に描かれている。このクルマで浩光と長男が2人でドライブをして、お互いを再発見し合う場面もある。

 小説の屋台骨は、あくまで朋美の長崎までの気ままなドライブである。その道中がどのようなものだったかは、本編の楽しみどころなのでここでは触れないとして、彼女が辿る足取りはトレースしておくべきだろう。

 東京近郊から東名高速に乗り、途中、御殿場のアウトレットモールでショッピングを済ませ富士川サービスエリアを経て浜名湖サービスエリアへとクルマを走らせる。その先は、名神高速道路に入り、宿泊施設が設置されている多賀サービスエリアで一泊。さらには山陽自動車道の白鳥パーキングエリアで新たな登場人物が加わる。広島の宮島サービスエリアでとある事件に出くわすが、新たな出会いもあり、九州へと入り最終到達地点は長崎である。

 観光地巡りというわけではない。あくまで朋美にとっては、家族から離れて自分の人生を取り戻すための旅。つまりは、自分探しの旅である。とはいえ、この旅程は朋美の自覚とは関係なく鎮魂の意味を持っている。

 彼女が巡る土地は、高速道路で神戸を経由し、広島を通過して、長崎にたどり着く。阪神淡路大震災の被災地、さらには広島、長崎は原爆が投下された場所だ。さらには、ドライブルートにはないが、別の登場人物を通して東北の被災地へも接続される。

 こうした日本近現代史における「大量死」をなぞる朋美のドライブルートは、物語後半に登場する老人山岡が披露する“思想”によって「家族」と結びつけられる。

 こう書いてしまうと重いテーマを背負った小説のようだが、そうではない。この物語が軽快にドライブしていくのは、「猛々しい」朋美のあっけらかんとしたキャラクターに負うところが大きい。ただでさえ家族がばらばらになっていく話ではあるのだが、個々のキャラクターの気ままさが、物語に奇妙な明るさを与えている。家族周辺の人物もまるで信用できない連中だが、陰惨さはない。常に移動している小説であることも、ドライブ感を物語に与えているのだろう。

 ロードムーヴィならぬロード小説。この家族の「マイカー」であるティアナがどういう運命を辿るのか。物語の脇を固める小物とはいえ、ここが重要ポイントである。家族の行方と重ねて気にかけて読んで欲しい。