江戸・深川で、大きな椎の木に寄りかかるようにぽつんとある水茶屋「ささげや」。5年前に亭主を亡くし、以来ひとりでこの店を切り盛りする女主人のお玉には、不思議な能力が備わっていた。掌を重ね合わせた相手の、少し先の未来が見えるのだ――。
朝井まかてさんの連作短編集『豆は煮えたか』は、自らの行く末を占ってほしいとお玉の元を訪れる市井の人々を描く、新機軸の時代小説だ。
「名もない庶民の人情を描きたいと思って始めた小説です。最初に浮かんだビジュアルは大きな椎の木。その下に寂れた水茶屋があって、お玉は商い上手ではないし、名物の豆餅もうまく作れない。でも亡くなった夫が始めたお店ですから、いつ店じまいしようかなんて迷いながら暮らしています。占いも食べていくために始めたことです。
ですが、占う側と占ってもらう人、双方の視点で書くうち、作者の想像以上のいろんなドラマが生まれました。
江戸時代には、不思議なことを不思議なまま受け止める心が今よりもあったと思います。(曲亭)馬琴なんて占いをかなり研究していましたし、神仏に頼ってもいました。自分の力だけではどうしようもないことがある。それは今も変わりませんが、江戸の庶民にとって占いは心の杖だったのではないでしょうか」
「お玉は占うのがしんどくて、いつも渋々なんですけれど…」
お玉の元を訪れるのは、恋人との仲と親の決めた縁談との間で揺れる娘、やめ時を知りたい歌舞伎役者など多種多様。中には自分が何を占ってほしいのかわからない人物もいる。
「自分の状況や思いを他人に言葉で伝えるって、とても難しいことですよね。口に出してみて、ああ、と気づくこともあったりして。それは占う側にも言えることで、見えたものをどう言語化して伝えるかという点にお玉も頭を悩ませます。でも彼女の言葉はとても正直で、説教したりしない。相手は自ら何かに気づき、道を見つけます」
やがてお玉の元には、個性的な面々が集い出す。中盤以降はお玉以外にも不思議な力を持った人物が現れ、物語は勢いを増す。最後の短編「くらぶ者なき」では、思わぬ大物からの依頼がお玉の元に舞い込んで――。
「占ってもらいたい人のパターンとして、死期がわかっている人を出したいと思ったんです。いつ亡くなったか判明している歴史上の人物ですね」
その人物が誰であるかは、実際に本書を読んで確かめてみてほしい。
「お玉は占うのがしんどくて、いつも渋々なんですけれど、こう願いながら掌を合わせるのです。――この人の人生に幸あれかし、と」
朝井まかて(あさい・まかて)1959年大阪府生まれ。2008年小説現代長編新人賞奨励賞を受賞しデビュー。14年『恋歌』で直木賞受賞。近著に『どら蔵』『グロリアソサエテ』など。










