「ヒロシマ」「ナガサキ」は長年にわたって多くが語られ世界に伝えられてきた。広島市、長崎市はともにその名が世界に知られている。それは「NO MORE HIROSHIMAs」「NO MORE NAGASAKIs」という被爆地からの八十年余にわたる叫びと訴えによるものだろう(注)

 随分昔のことだが、私は読売新聞ワシントン特派員だったことがある。大統領選挙の取材などでアメリカの地方都市を訪れ、プライベートな旅行も含めると五十州中四十二州に足を運んだ。その際、「地方の普通のアメリカ人」に必ずある質問をすることに決めていた。ワシントンやニューヨークのエスタブリッシュではない人たちに聞くことがポイントだった。

「あなたが日本で東京以外に知っている都市は?」

 大半の答えは大阪でも京都でもなく「HIROSHIMA」だった。グーグルの日本地名の検索で広島が東京、銀座に続く三位だったりしたこともある。

 アメリカ人は母音を多く含む言葉を発するのが苦手だ。そんなアメリカの普通の市民がTOKYOの次に母音四文字のHIROSHIMAを挙げる。同じ母音四文字の「NAGASAKI」もヒロシマほどではないが、それなりに知られている。「どうして?」と聞くと「アトミック・ボム(原爆)」との答え。「原爆が落とされ、それで戦争が終わった」と大半がそう思っている。

広島原爆資料館の外国人入館者の多さ

 広島市は二〇二六(令和八)年四月、二五年度の広島平和記念資料館(原爆資料館)の入館者数を発表した。二百五十八万九百二十六人で前年度より一四%も増え、三年連続過去最多を更新した。ここで注目すべきは入館者数全体の増加ではなく外国人の入館者だ。こちらも過去最多の九十四万五千六百十八人で外国人比率は実に三七%だ。全国の博物館(資料館は博物館に含まれる)、美術館の中では極めて高い外国人比率で、特に欧米人が多い。修学旅行生などの団体を除けば外国人は四割を超える。連日のように入館時には長蛇の列が見られ、入館後も終日ごった返している状態で、時間をかけて被爆資料を見ることは難しい。市は開館時間の延長やチケットのオンライン販売などで対応してきたが抜本的な解決策とはならず、二八年四月までに子供向け展示室を地下に新設し、資料館そのものの増設も検討する方針だ。

 二〇一六(平成二十八)年のバラク・オバマ米大統領の歴史的な訪問があり、二三年のG7広島サミットでは米英仏印の核保有国首脳が集まり、ウクライナのゼレンスキー大統領も電撃訪問した。当然、世界のメディアが殺到し、世界に発信された。そして二四年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与されたことで改めて世界の注目を集めた。これらが外国人比率を大きくアップさせている要因だ。

「八月ジャーナリズム」と「八十年ジャーナリズム」

「八月ジャーナリズム」という言葉がある。八月は六日(広島に原爆が投下された日)、九日(長崎に投下された日)、十五日(終戦記念日)と、終戦に関する記念日が続く。「マスコミは八月には戦争や被爆関連特集を組むが終わると忘れてしまう」というマスメディアの一面を揶揄する言葉だ。それに二〇二五年は「八十年ジャーナリズム」が加わった。「被爆、戦後八十年」、さらに国際連合が設立されて八十年でもあった。「昭和百年」も重なり、新聞各紙は八十年特集と百年特集を連載し、テレビはアーカイブから古い映像を引っ張り出して回顧した。ほかにもラジオ放送百年、自民党結党七十年、日韓国交正常化六十年、阪神・淡路大震災から三十年……とまさに“アニバーサリー・イヤー”だった。

 メディアが「あれから○○年」と周年特集を組むことは批判されるべきことではない。カレンダーに照準を当てた「節目ジャーナリズム」と言われようが逡巡することはない。というのは現代に生きるわれわれは余りにも日常が忙し過ぎるからだ。中東、ウクライナ、関税、選挙、政局、スポーツ、災害、事件、事故……と連日ニュースが溢れかえる。また、ネット、SNSの発達で誰もが情報の発信者となり、中継者になった。私たちは毎日が「情報洪水」の中にある。

 一方、八十年という歳月の流れは確実に「忘却」を生み、若者世代の「無知」を広げる。ジャーナリストの池上彰氏は「八月十五日は何の日?」と学生に問いかけたら「ウナギを食べる日でしたっけ?」と真顔の答えが返ってきたのに衝撃を受けたという。若者たちにとって八十年前のことを知らないのは「特段恥ずかしいことでもない」ようだ。だからこそ、“オールドメディア”が国民の記憶を呼び覚まし、今日的意味を問い掛けることは社会的役割の一つなのだ。

原爆報道のマンネリ化と定型化

 それにしても「八十年ジャーナリズム」の報道量はすごかった。ただ、被爆地・広島に住むジャーナリストの一人として感じたのはマンネリ化と定型化だった。新たな調査報道としては原爆投下機が出撃したテニアン島にフォーカスした民放のドキュメンタリー番組や、NHKが太平洋戦争の開戦時も終戦時も外相の座にあった東郷茂徳の手帳を探し出し、天皇との関りを始め、終戦に至る半年近くを再検証した番組が注目されたくらいだ。過去の報道に手を加えた“アップデート版”ならまだしも、過去の年表の表面をなぞっただけのものも散見された。また、不確実で曖昧な伝聞情報、さらには「後付け神話」と知ってか知らずか面白くストーリーを仕立て上げたものまであった。『広島市被爆70年史』はすでに十年近く前、「原爆の惨禍と被爆者の苦難は、報道を通じて知られ、戦後の平和観の礎を成した」と評価しながらも「半面、アジアの人々を苦しめた歴史を省みることが少ない被害者意識を強めた」と原爆の被害面のみを報じている状況にも疑問を呈している。そのうえで「『原爆報道』は定型化し、伝説化された言説や、あやふやな被爆証言も裏付けなしに取り上げるようになる」と自治体発行の刊行物としては異例の苦言を呈している。

 広島、長崎の原爆については埋もれた話、隠された真実、見過ごされている事実、間違った理解がかなり多い。不正確な言い伝えや誤解、曖昧なままにされている伝聞情報、ユニークな「都市伝説」なども数多く存在する。正確な被爆者数や死者数など実態がつかめないために「推計値」で出されたデータが確定数字として独り歩きしている例も少なくない。さらには敢えて深掘りを避けようとする「タブーとされてきた領域」さえある。

 一方で「核は絶対悪」「核廃絶」というスローガンを唱えるだけで、激変し緊迫化する国際情勢に直面しながら「核抑止力」の是非を議論することまで否定し、避けようとする雰囲気が支配する。シンポジウムなどでは「核兵器のない世界」が語られるが、最後のまとめは「認識が深まった」で終わることが多く、ロードマップ(行程表)へ進むことは少ない。また、特定の主張をするために事実の一部だけを都合よく切り取った論調も見聞きする。

「夢想と理想は違う」

 二〇二三年のG7広島サミットではこんなことがあった。「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」が採択されたが、「核抑止力を認めている」「広島で開催されたのに核廃絶という言葉がない」などの批判が一部メディアや被爆者団体から出たのである。ビジョンは「核軍縮を逆行させてはならない」と言及し、核兵器不拡散条約(NPT)を国際的な核不拡散体制の「礎石」と指摘、「核兵器のない世界」という目標に向けてのコミットメントも再確認していた。しかし、そのことは見逃されたまま批判されたのである。核軍縮、核不拡散、核兵器の不使用、威嚇禁止にも言及した「ビジョン」は、結びで「世界の指導者、若者の広島、長崎への訪問」も促していたのだが……。

 米英仏の核保有国と日本、ドイツ、イタリア、カナダという「核の傘」の下にある国、全七か国による国際会議の統括文書という性格上、核抑止力を認めるのはある意味で当然だろう。これに対し、「広島なのに」というローカルな視点での批判はG7にはなじまない粗雑な論理に思えた。さすがにG7議長として記者会見をした岸田文雄首相は「夢想と理想は違います。理想には手が届くのです。(中略)核兵器のない地球に暮らす理想に向かって、ここ広島から(中略)歩みを進めていきましょう」と反論を込めて呼びかけた。スローガンを掲げるだけでは核問題の前進がないことを熟知する為政者のロジックだった。

「核なき世界」という究極目標のみを主張する立場と、その実現に向けての現実的アプローチを重視する立場のミスマッチはよくあること。一方で政党間の対立で原水爆禁止運動が分裂したあおりで広島には全く同じ名前の被爆者団体が二つ存在することや、被爆者、被爆二世でも被爆者団体に加わらない人がかなり多いことも事実として指摘しておかなければならない。東京のメディアはこれらの事実検証もないまま、誤解や不確実な情報をベースに「……と言われている」と間接話法で安直に伝えることが多い。広島でこのテーマを定点観測して十五年を超える私には「不正確な情報リレー」が増幅されていることが気懸りで、もどかしささえ感じる。

 そこで本書では徹底してファクトの検証にこだわった。また、知られないまま、埋もれたままになっている事実にもフォーカスを当てた。

オバマ訪問から十年だが……

 原爆投下国のアメリカの現職大統領オバマの歴史的な広島訪問から十年が経過した。「原爆投下の謝罪のために広島訪問を求めているのではない」と言い切っていた坪井直さん(広島県原爆被害者団体協議会理事長)と、被爆米兵の調査と慰霊を長年続けていた森重昭さん。私はこの二人の存在を“活用”すればオバマ大統領の広島訪問の道は拓けると考えた。かつてのワシントン特派員としてアメリカの保守派を始めとする国内事情を多少なりとも知る私には、「二人は大統領の広島訪問実現の梃になる」と思えた。そこで二人にも「オバマへの手紙」を書いてもらい、二度にわたってホワイトハウスに出向き、高官に二人の手紙の意味を詳細に伝えた(拙著『オバマへの手紙』文春新書を参照)。そんな経緯もあり、私自身もオバマ大統領を広島に招き寄せた一人であると多少は自負している。ただ、そのオバマ大統領も広島から帰った後「核兵器の先制不使用」を検討したが、日本やNATO諸国の反対で不発に終わった。「政治は結果だ」と言われる。現職大統領の被爆地初訪問という実績自体は高く評価されるものの、それが何か政治的に結実したか……となると、広島平和記念公園でのオバマ大統領の哲学的な演説は「スピーチ」の枠内に留まったと言わざるを得ない。

 近年、ウクライナではロシアのプーチン大統領が核の威嚇を繰り返し、アメリカではトランプ大統領が「国際法などは必要ない」と言って、「力の行使」を繰り返してはばからない。第二次世界大戦終了を受けて設立された国際連合は機能不全に陥っている。国際情勢は十年前とはすっかり変貌し、戦後の国際秩序は溶解し、崩壊しかけている。虚無感さえ感じる昨今だ。

 そんな気持ちを奮い立たせ、「八十年ジャーナリズム」の喧騒が通り過ぎた今、八十一年という特段に節目でもない年に被爆地・広島、長崎のファクトに徹底フォーカスし、本書を上梓する。間違いや不正確なことが八十年の歳月の経過の中で「史実」として後世に伝えられることに対して、広島に居を構えるジャーナリストの一人として懸念を抱くからだ。この一冊がファクトチェックの素材になれば幸いだ。

(注)日本では「ノーモア・ヒロシマ」と表記されるが、英語で「NO MORE HIROSHIMA」とすると、「広島なんてもうたくさんだ」という意味になってしまう。「広島の惨禍を繰り返すな」というなら、「NO MORE HIROSHIMAs」と複数形になる。長崎(NAGASAKI)も同様。


「まえがき」より