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反体制運動を「地下水脈」で読み解く

出典 : #文春新書
ジャンル : #ノンフィクション

右翼と左翼の源流

保阪正康

右翼と左翼の源流

保阪正康

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「同時代」から「歴史」への転換点

 本書が刊行される二〇二五年は、「戦後八十年」「昭和百年」という節目にあたる。これは単なる数字の節目ではなく、「同時代」から「歴史」への転換点に、私たち日本人が立ち会うということを意味している。

「同時代」から「歴史」へ──。それは具体的にはどういうことなのか。

 第一に、さまざまな戦争や事件を同時代の出来事として体験してきた人々の「感情」や「情念」が消滅し、それらの出来事が「歴史」のなかに位置づけられるということである。私たちは日々の体験を、皮膚感覚と感情によって生々しく記憶している。しかし、それらを体験した世代がいなくなれば、歴史的事実だけが残ることになる。

 第二に、その歴史的事実は、当事者の思惑を超えて後世に理解されるということである。たとえば太平洋戦争には、欧米列強による近代帝国主義を終わらせたという側面もある。言うまでもないが、それによって戦前の日本軍部を美化するわけではない。また、戦争を主導した昭和初期の陸軍エリートたちは、そこまで考えて連合国相手の戦争を始めたわけでもない。だが、結果的に列強の植民地支配が終わり、米ソ超大国による冷戦構造という新しい世界史の時代が始まったのである。

 第三に、私たちは「孫の世代」と対話する必要があることだ。同時代の記憶は、容易に風化してしまう。その結果、後の世代がとんでもない過ちをおかすこともありうる。

 たとえば江戸時代まで、武士には武士道の美学があった。明治以降も、日露戦争で活躍した乃木希典の世代ぐらいまでは、その精神がたしかに息づいていた。しかし、近代的な軍人教育を受けた世代が主流になると、大きな断絶が起こる。主としてドイツから「戦術」を学ぶことに集中し、その背景にある「戦略」あるいは「軍事哲学」はないがしろにされた。軍内の人事や幹部選抜システムは、ペーパーテストによる成績一辺倒であった。

 その結果、昭和初期の軍部エリートたちは近代的効率主義だけを追求する、人間性を忘れたモンスターのような存在に肥大してしまった。天皇という存在を極度に抽象化し、「天皇のためにクーデターを起こす」という、倒錯した論理をもつに至ったのである。

合流し、分流した地下水脈

 ここで注目したいのは、陸軍青年将校たちは北一輝らが主導した国家社会主義という思想に強い影響を受けていたことである。結局、その延長線上に日本は悲惨な敗戦を迎えるわけであるが、こうした思想がどのように生まれ、なぜ陸軍内部に浸透していったのかを探ることが必要になってくる。

 一方で、当時の知的エリートたちが惹かれた思想に、共産主義(マルクス主義)がある。明晰な論理性をもつ共産主義思想は、要素還元主義的なアプローチが科学を想起させることもあり、科学技術の発展と軌を一にするようにして支持を広げていった。しかし結局のところ、共産主義は日本には根づかなかったのである。

 なぜ陸軍エリートたちは国家社会主義に傾倒し、失敗したのか? なぜ共産主義は日本に根づかなかったのか?──それを解き明かすうえで強力な武器になるのが、「地下水脈」という視点である。明治維新の頃、日本が取りえた国家像は、大きく分けて五つあった。結果的に日本は欧米列強にならう帝国主義への道を歩み始めたわけであるが、それ以外の国家像を支えていた思想は、その後も日本社会で伏流水のように流れ続けている。地下水脈化した思想は、日本人の行動様式に大きな影響を与えている。ここに注目することで、国家社会主義や共産主義の失敗の理由が、より明瞭に理解できるのである。

 もうひとつ注目したいのは、いわゆる「右翼」「左翼」とも、その源流はまったく別のところに発しているわけではなく、ときには合流と分流もしてきたことだ。近代化、富国強兵政策による社会の歪みを目の当たりにした当時の人々は、「この状況を何とかしたい」という強い思いに駆られ、さまざまな社会運動に身を投じていった。相反する思想ではあっても、同じ問題意識を持ち、議論を闘わせることもあった。その象徴として、本書では明治中期から大正末期まで続いた「老壮会」にも注目してみた。

同じ轍を踏まないために

 昭和史を長年研究してきた私から見て、近年、肌寒くなるような現象が見られる。

 たとえば二〇二四年の東京都知事選で小池百合子知事に次いで票を集めた石丸伸二氏が「ニューウェーブ」と話題になった。だが、彼の論法と居丈高な口ぶりは、かつての陸軍エリートを彷彿とさせる。新党を立ち上げるにあたって「政策」「理念」を提示せず、「実務能力の有無」だけを候補者に求めるという姿勢は、「戦略」「軍事哲学」を持たず「戦術」のみに執心した旧軍そのものである。

 また、兵庫県の斎藤元彦知事が県政における公私混同やパワーハラスメントが露見して議会で不信任決議案が可決され、失職した。非を認めない斎藤知事の姿勢はさらなる猛烈なバッシングを呼んだが、SNS等で真偽不明の情報が流れだすと一気に情勢は逆転した。結局、斎藤知事は出直し選挙で再選されたが、「正義」と「不正義」がポピュリズムによって簡単に逆転するありさまは、五・一五事件の首謀者らを裁いた軍法会議とも酷似する。

 近現代史をしっかり学んでいれば、これらの構図に容易に気づくことができる。同じ失敗を繰り返さないためにも、近代日本が歩んできた道に、今一度、目を向けてみたい。

 その理解を助けるために、「地下水脈」という視点から、反体制運動の歴史を紐解いてみよう。

 

 本書刊行までに栗原俊雄氏(毎日新聞編集委員)、西本幸恒氏(文春新書編集長)の多大な尽力をいただいた。深く感謝したい。


「はじめに 反体制運動を「地下水脈」で読み解く」より

文春新書
右翼と左翼の源流
近代日本の地下水脈Ⅱ
保阪正康

定価:1,056円(税込)発売日:2025年03月19日

電子書籍
右翼と左翼の源流
近代日本の地下水脈Ⅱ
保阪正康

発売日:2025年03月19日

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