日本が輸入する中東産原油(略)のほとんどが、ペルシャ湾内で産出されていて、ペルシャ湾とインド洋を結ぶホルムズ海峡を通過しなければなりません。

 イランとオマーンに面するホルムズ海峡は、最も狭いところでは、わずか三三キロメートル。しかも、浅瀬や岩礁が多いことから、大型タンカーが行き来する「航路帯」の幅が片側わずか三キロメートルの箇所もあります。さらに、潮流が速いこともあって、安全な航行に適しているのは朝方と夕方のみとされています。

 こんな狭くて危険なホルムズ海峡が、日本経済の“生命線”となっているのです。

 二〇二〇年一一月、私はイラン大使を最後に、四〇年間勤めた外務省を退官しました。イランのほか、エジプト、サウジアラビア、イスラエル、イラク、アラブ首長国連邦(UAE)、オマーンの中東七カ国の大使館に勤務した経験があります。

 ちなみに、イランとイスラエル双方の大使館に勤めた日本の外交官は私がおそらく唯一で、イランとイスラエルは敵対国同士なので世界的にも稀なことです。他国の外交官に話すと、とても驚かれます。

 このように中東地域に長く関わってきた経験から、さらに「イスラエル」と「アラブ圏」と「ペルシャ圏(イラン)」という中東の三つの異なる世界を知る立場から、今から四年前の二〇二二年二月刊の拙著に私はこう記しました。

〈一歩間違えればペルシャ湾地域からの原油の輸出が止まりかねないのですが、何と日本は原油輸入の九〇%近くをこのペルシャ湾地域に依存しています。ところが、この危うい現実が日本ではほとんど認識されていません〉

〈当面、日本にとってペルシャ湾からの原油の安定供給の確保は、日本の経済的な繁栄の鍵であり続けるのは間違いありません。しかもイランは、大産油国であるのみならず、ペルシャ湾からの出口であるホルムズ海峡を押える位置にあり、同海峡を封鎖する能力を有しています。言い換えると、日本の経済的な繁栄は、日本とイランとの良好な関係にかかっているのです〉

〈米国・イラン間の対立・緊張は、ボタンをかけ違えれば、世界中を巻き込む新たな紛争となりかねない大きな紛争の火種である。ところが、恐ろしいことに日本は、この中東地域に原油輸入の九〇%近くを依存している。誰も気にしていないが、万が一、中東からの原油の輸入が止まれば、日本は大混乱に陥るだろう〉(『イランは脅威か──ホルムズ海峡の大国と日本外交』岩波書店)

 恐れていた事態が、まさに今、起こってしまったのです。

「ポーカー」のトランプと「チェス」のイラン

 現在、米国とイランは、まるで「異種格闘技戦」を戦っているようです。

 米国のドナルド・トランプ大統領が「ポーカー」(予測不可能性と直感で勝負する短期決戦)──「トランプ」だから「ポーカー」なのでしょうか──をやっているのに対して、イラン側は「チェス」(一手一手、理詰めで考える持久戦)を指している。異なるルールで同じゲームをやっているから、互いに相手の「意図」を読み間違ってしまう。

 トランプ大統領は、交渉(ディール)で有利なポジションに立つために、まず「高めのボール」を投げます。要するに「ブラフ」(ポーカーで弱い手札なのに強い手札のフリをして相手の判断を誤らせる「はったり」や「虚勢」)をかけるわけです。

 ところが、イラン人にはそもそも「ブラフ」という発想がない。なので、「高めのボール」をそのまま真に受けてしまう。そう受けとめてしまうのは、イラン人が「目には目を、歯には歯を」という「相互主義」的発想をするからです。(略)

 イランでは、この「相互主義」が、国家間の衝突においても、「同等の報復措置」を正当化する論理として用いられています。(略)

 ですから、トランプ大統領が「高めのボール」を投げてくると、「相互主義」にもとづいて、イラン側も「高めの報復措置」を採ろうとします。その結果、互いの「意図」を超えて事態がエスカレートしがちで、互いに望んでもいない衝突が起きる危険性が高まります。(略)

「非対称」な兵器戦略

 この戦争は、いずれかの陣営が「弾切れ」を起こしたところで終わる、少なくとも「落とし所」を探る動きが始まる──開戦当初から、私はそう考えていました。

 米国とイスラエルは、居場所を特定できた最高指導者ハメネイ師の殺害を急ぐあまり、十分な準備なしに、とくに迎撃ミサイルの備蓄不足を放置したまま戦争を始めてしまったのです。

 その点、イランの方が一枚上でした。重厚長大な兵器で正面から対抗する「対称戦略」ではなく、長年準備してきた「非対称戦略」を発動したからです。

「非対称戦略」とは、軍事力に大きな差がある戦いにおいて、弱者側が強者側の「正面戦力(最新鋭の兵器など)」に真っ向から挑む(「対称戦略」)のを避け、相手の弱点や不意をつく独自の手段や戦術で、勝利や目的達成を狙う戦略のことです。

 イラン側は、米国とイスラエルの武器は最新鋭でも、在庫不足が弱点となると見抜いていました。実際、戦争開始から二週間程度で、イラン側の読み通りに、米国とイスラエルの迎撃ミサイルが枯渇し始めました。(略)

「米国とイスラエルの高価な兵器」と「イランの安価な兵器」という「価格の非対称性」も、重要なポイントです。

 イランの一発数千万円の弾道ミサイルを大気圏内外で迎撃する米軍のTHAADは、一発約二四億円で、しかも通常は一回の迎撃に二発撃ちます。これでは迎撃に成功しても、費用面でとても割に合いません。(略)

 一方、イラン製のドローン「シャヘド」は、一機、数百万円です。この「価格の非対称性」によって、イラン側としては、「迎撃」させるだけで、高価なミサイルのストックを消耗させて、相手を迎撃ミサイルの在庫不足に追い詰めたのです。しかも、米国とイスラエルが用いる高価な迎撃ミサイルは、在庫の補充に時間がかかりますが、イランの安価な弾道ミサイルとドローンは、短期間での増産が可能と思われます。

 つまり、米国とイスラエルの「ハイテク兵器」は「短期決戦」向きなのに対し、イランの「ローテク兵器」は「持久戦」向きで、「時間」は「ハイテク兵器」より「ローテク兵器」の味方をするのです。イランとしては、「持久戦」に持ち込めば、軍事的にも優位に立てます。(略)

「非対称」な石油戦略

 イランが米国を「持久戦」に引きずり込むために駆使したのが、「石油戦略」です。「ホルムズ海峡の封鎖」によって、全米ガソリン価格(米国では政治問題となる)を高騰させ、トランプ大統領を徐々に追い詰めていきました。

 ホルムズ海峡は、世界の原油供給のおよそ二割が通過する世界経済の大動脈です。この海峡の航行が不安定化すれば、原油市場は直ちに反応し、エネルギー価格、輸送保険料、船舶運賃、インフレ期待へと連鎖的に影響が及びます。

 イランは、軍事的には弱者でありながら、ホルムズ海峡を事実上、封鎖することで、世界のエネルギー市場を支配することに成功しました。その結果、原油価格は急騰し、米国内のガソリン価格も急激に高騰しました(一ガロン=約三・七八五リットルあたりの価格は攻撃前の二月二七日は二・九八ドルだったのが、五月上旬には五二%上昇して、四・五四ドルに達しました)。

 車社会の米国では、ガソリン価格は国民の「生活実感」に直結します。外交問題や遠くでの戦争よりも、ガソリン・スタンドの価格の方が、有権者心理に直接作用するのです。二〇二六年一一月に中間選挙を控えるトランプ大統領にとって、ガソリン価格の高騰は単なる「経済問題」ではなく、政権基盤を揺るがしかねない「政治問題」なのです。トランプ大統領は、イランの「石油戦略」によって、イランを屈服させるために強硬策を示せば示すほど、かえって原油・ガソリン価格の高騰を招いて自分の首を絞める、というジレンマに陥りました。

 こうして「軍事衝突」は「エネルギー戦争」に移行していき、形勢は徐々にイラン優位へと逆転していったのです。(略)

追い詰められるトランプ

 こうしてトランプ大統領は、「国内でのガソリン価格高騰への国民の不満」と「戦場での戦費と兵器の消耗」という二重の圧力に直面するなかで、面子を保つ形で「勝利宣言」をして、ポーカーのように「早期決着」を図りたいのに、じっくりと時間をかけてチェスを指すイランの「持久戦」に、ずるずると引きずり込まれていきました。(略)

 六月一五日にようやく、「六〇日間の停戦延長と和平交渉の開始」に関する「(一四項目の)覚書」に合意し、一七日の署名を受けて、即時発効しました。(略)

 イラン側にかなり有利な内容ですが、最終的な和平に合意できるかはまだ分かりません。核開発問題やホルムズ海峡問題など、簡単には折り合えない難題が多く、「覚書」よりはるかにハードルの高い「恒久的な和平」の合意までの道のりは、極めて険しいのは明らかです。七月四日の「米国建国二五〇周年記念式典」から一一月三日の「中間選挙」まで、軍事的緊張も含めて、まだまだ一波乱も二波乱もありそうです。

 イラン側の“やり過ぎ”も懸念材料です。イラン人は、頭が良いだけに、時に傲慢になり、欲張って、結果的に“大負け”することがあります。(略)

 一方、トランプ大統領は、陸上競技で言えば、「短距離選手」。「グリーンランド」と言っていたはずが、突然「ベネズエラ」になったりと、一、二週間くらいで、話題を次々に変える。つまり、ポーカーの一勝負が数分で決まるように、短期で勝負をつけようとする性格の持ち主です。

 しかし、今回のイラン戦争で、トランプ大統領は、初めて「マラソン」に挑戦しています。一、二週間で終わるつもりが、すでに四カ月近く経っている。短距離選手ですから、スタートダッシュは良かった。しかし、だんだん息切れしてきて、スタミナも切れてきている。

 すると、持久戦に耐えかねたトランプ大統領が、突然「もうやめた」と言って、イランとの面倒な交渉から一方的に降りる可能性も出てくるでしょう。

 もちろんトランプ大統領ですから、その際は必ず「勝利宣言」をする。「俺が頑張ったから、ガソリン価格の上昇はこの程度で済んだんだ」などと。「ガソリン価格がもっと上がっていたかどうか」は検証不可能なので、これは極めて都合のよい言い訳になります。

 この戦争がいつまで続くのか、いかなる形で終わるのか、その結末は、まだ見えてきません。ただ現時点ですでに明らかになったのは、イランのように、「戦う意志」を持ち、「非対称戦略」を駆使すれば、超大国米国にも「勝つ」ことは可能だということです。(略)

 

   二〇二六年六月二五日


「はじめに──「非対称戦」でトランプを追い詰めるイラン」より