日本の歴史、なかでも古代史について考えるとき、天皇の存在を抜きにすることはできない。日本の古代国家は、天皇を頂点に戴く朝廷を中核として、近畿地方を本拠に成立した。この朝廷は、武家政権の成立以後しだいに衰微したが、江戸時代にもかろうじて存続し命脈を保った。それが幕末の尊皇攘夷思想の高まりなどによって権威を回復し、明治維新によって実権を取り戻したのだった。

 この間、なぜ天皇制は終わることがなかったのか?

 それは日本史を貫く大きな謎で、軽々に答えを出せる問題ではない。おそらく古代、中世、近世、近代とそれぞれの時代に応じて、天皇とこれをとりまく朝廷が、政治的・社会的・宗教的その他の諸機能を果たしてきたのだろう。しかしこれらすべてを説きあかすのは、いまの私には手にあまる課題だ。私がこの本で述べることができるのは、せいぜい古代の天皇、それも五、六世紀の天皇についてである。とりわけ、ヲホド大王、のちに継体天皇という名で呼ばれた天皇について、多くの頁をさきたいと考えている。私はこれまで、主にこの継体天皇をめぐる日本の古代史を自分の研究テーマとしてきた。六世紀初めに現われたこの天皇は、その前後の天皇と比較してきわめて特異な存在であり、しかもその後の歴史に果たした役割は決して小さくない、と考えているからだ。

 継体天皇は、『古事記』には近江の出身とされ、『日本書紀』には近江で生まれのちに越前で育ったと記されている。歴代のなかで、このような地方出身の天皇は他にはない。他はみな、大和政権の本拠のあった大和か山背(山城)、河内など畿内の出身である。そして出身地以上に奇妙なのは、継体の出自である。『古事記』をみると、かれのことを「応神天皇五世孫」、つまり応神天皇から数えて五代目に当たると記している。『日本書紀』にはこれに加えて母方が垂仁天皇から数えて八代目に当たるとも記している。いずれにしても、かなり疎遠な傍系王族であるといわなければならない。父親も祖父も曾祖父も天皇ではなく、やっと五代前の先祖が天皇であった、というのだ。

 五代前というと、およそ百三十年くらい前のことであろうか。これほど古くてはこの系譜が本当かどうか疑いたくもなる。たとえ本当であったとしても、こんなに遠い傍系では事実上王族とはいえないのではないかとも思われる。なぜこのような天皇が即位することになったのか、戦後の古代史研究のなかでさまざまな説が出され、議論されてきた。継体天皇は、それまでの王統とは血縁のない近江か越前の一地方豪族で、実力によって新しい王朝を奪い取ったのだ、そしてその子孫が現在に続く天皇家なのだ、というショッキングな説もある。

 この本では、これまで私が考えてきた継体天皇をめぐるさまざまな問題について、順を追って説明していきたい。ここで述べることのできるのは、たいへん限られた問題であるけれども、これによって、より多くの人々に日本の古代という時代、ひいては日本の歴史全体についていくらかでも考えるきっかけになれば、望外の幸せである。

 

(注)なお、本書で引用した『古事記』は主として『日本思想大系 古事記』(岩波書店)に、『日本書紀』は主として『日本古典文学大系 日本書紀』上下(岩波書店)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』一~三(小学館)に、また、「風土記」は『日本古典文学大系 風土記』(岩波書店)に拠った。


「はじめに」より