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教養とは何か? 人生を豊かにするための「教養入門」決定版!

出典 : #文春新書
ジャンル : #ノンフィクション

教養の人類史

水谷千秋

教養の人類史

水谷千秋

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『教養の人類史』(水谷 千秋)

教養とは何か──知への欲求

 教養とは何か、それはどのようにして得られるものか、なぜ教養が必要なのか。そんなことが以前から多くの人々に問われ、議論されています。かつて戦前から戦後しばらくまで、旧制大学の学生やその出身者のなかに教養主義のようなものがあったことはよく知られています。大学生の必読書といわれるものがあり、それらを読んでいないと恥ずかしいといわれたそうです。ドストエフスキー、トルストイ、カント、鷗外、漱石、芥川、小林秀雄、西田幾多郎、『嘆異抄』などなど、文学から哲学書、宗教書からマルクスなど社会主義の文献に至るまでありました。戦後にはそこに吉本隆明なども加わったのでしょう。学生たち自身もこれらの書物について語りあい、熱く議論したのでした。

 それからもう半世紀以上経ち、現在では教養という言葉は、二つの意味合いで使われているように思います。ひとつは社会生活を営む上で必須の知識、知らないと恥ずかしいとされるような常識的な知識という意味です。大学の「一般教養科目」といった場合はこのイメージが主になるでしょう。

 もうひとつは、学問や知識、芸術などを学び、享受することによって培われる人間性や人格のことです。“あの人は教養の豊かな人だ”といった言葉などはこのイメージでしょう。この場合、単に知識が豊富なだけでなく、それが人間性の豊かさや品格のもとになっているのです(四十年前、私が大学三回生になったとき、母校の廊下を歩いていると、お名前も専門も知らないながら、一見して風格と教養を感じさせずにはおかない温顔の老教授を何人もお見かけした。あれが大学でした)。

 現在の大学生にとっては、教養という言葉は前者の意味で理解されるのが一般的なように思いますが、後者の意味でイメージされることもまだあるように思います。両者ははっきりと分かれるものでもなく、渾然一体と交じり合っているところもあるでしょう。

 本書は私が行っている堺女子短期大学でのいくつかの講義をもとにしています。とりわけ「芸術と文明」「歴史と現代」「二十世紀の歴史と文明」「歴史入門」といった科目の内容です。実際の講義は本書ほどまとまったものではなく、話題が横道にそれたりすることもありますが、社会を生きていくうえで必要とされる知識と、人間性を豊かなものにしてくれる文学や哲学や歴史や芸術といったものの双方について講じているつもりです。

 この他にもゼミナールの授業では、一冊の本を読み、深く論じたりもします。これまで取り上げた本では、マックス・ウェーバーの『職業としての学問』、ドストエフスキーの『罪と罰』。「文学の世界」「文学入門」という授業ではギリシア悲劇の『オイディプス王』、シェイクスピアの『マクベス』、ゴーゴリの『外套』、カフカの『変身』、昨年はカミュの『ペスト』を読みました。難しい本ばかりではないかと、読者はお思いになるかもしれませんが、それでもこれらの名作に触れることで、学生たちはより深く物事を捉える力を得ているように思います。

 十九世紀イギリスを代表するJ・S・ミルという哲学者・経済学者がいました。一八六七年、彼が或る大学の名誉学長に就任したときの記念講演が、のちに『大学教育について』という題で書籍化されています。彼はこの中で大学で教養を学ぶことの意義について、このような趣旨のことを述べています。

教養がなくても有能な弁護士にはなれるでしょう。けれども、単に細かな知識を頭に詰め込んだだけの弁護士ではなく、物事の原理を把握できる、哲学のある弁護士になるには、教養がなくてはならないのです。

 ミルは、広範囲にわたる一般的な知識と、一つの専門分野についての深い知識とを併せ持つこと、「この両立によってこそ、啓発された人々、教養ある知識人が生まれるのであります」と言います。一つの専門分野のみに関心を絞って他の事を知ろうとしないようでは、「必ずや人間の精神を偏狭にし、誤らせる」というのです。

 本来、教養というものは、仕事に必要だからとか、試験勉強や資格取得のために必要だからとかではなく、自分が知りたいから読み、触れ、観察するものです。そこにはここまで学んだら十分という限りはありません。

 アリストテレスに「人間は生まれながらに知ることを欲する動物である」という言葉がありますが、これはそうした「知への欲求」といったものなのだと思います。

 本書では、ヒトという種が現在のチンパンジーやボノボなどと共通の祖先から枝分かれした約七百万年前から現在に至るまでの歩みをふり返り、私たち人類が一体何を考え、何を信じ、何を行ってきたのかについて追究しています。この疑問は長い間、私にとって強く知りたいことでしたし、一生その追究はやむことがないと思いますが、本書はその序説の序説といったところになります。短大生向けの講義でもありますので、内容はあくまで初歩から始まります。読者にはよくご存じのことも多く含まれているかもしれませんが、お付き合いいただけたら幸いです。本書を通じて知る喜び、面白さをお伝えしたいというのが私の念願です。

 なお本書で引用する諸文献については、できるだけわかりやすくするため、摘要とした部分、意味を損なわない範囲で漢字や用字、表現を改めた部分等があることを、あらかじめお伝えしておきます。


「はじめに」より

文春新書
教養の人類史
ヒトは何を考えてきたか?
水谷千秋

定価:1,320円(税込)発売日:2023年10月20日

電子書籍
教養の人類史
ヒトは何を考えてきたか?
水谷千秋

発売日:2023年10月20日

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