令和の時代を迎え、「即位の礼」が、10月22日から31日にわたり、執り行われる。
この夏、小説『昭和天皇の声』を上梓した作家の中路啓太さんは、昭和天皇を物語として描くことで、「この国にとって天皇はどういう存在なのか」を浮かびあがらせた。
中路さんが、『悠久と呼ぶべき伝統を誇る天皇や皇室』について、月刊「文藝春秋」9月号に、著者が寄稿したエッセイを公開する。
随想「悠久ということ」中路啓太
天皇陛下が6月2日、愛知県における全国植樹祭で、「みなさんとご一緒に植樹を行うことをよろこばしく思います」と述べられたことが話題となった。国民に対して〈ご一緒〉という丁寧な敬語を使われたことが異例であるというのだ。
しかし、この〈ご〉は広義の敬語のうち、物事を美しく、上品にあらわす美化語に属すると考えられるし、〈ご一緒〉のうちに陛下ご自身も含まれるとするならば、尊い方がもったいなくも国民に恭(うやうや)しい言葉を使われた例とは必ずしも言えないのではなかろうか。あるいは、天皇と国民とが一つになって事をなすさまを、美々しく、丁寧に表現された例と言うべきかもしれない。
ただ、かりに尊貴な人が恭しい敬語を使ったとしても、まったく驚くには当たらないのだ。敬語には「相手を敬う」という機能のほかに、「自己の品位を保つ」という機能もあるからだ。世間ではなんとなく、敬語は目下の者が目上の者に使うべきものと考えられているようだが、目上の者こそ、その人生経験や地位にふさわしい人徳や雅量を示すべく、丁寧で美しい敬語で話すべきだ、という考えも成り立つわけである。実際、私が知る昭和天皇、現在の上皇、今上天皇のご三代はどなたも――時代により、そのスタイルに変化はありつつも――つねに丁寧で、上品な言葉を用いられてきている。