- 2014.08.01
- 書評
ムスリムの学者が解明したイエスの実像
全米ベストセラーに躍り出た衝撃の書!
文:白須 英子 (翻訳家)
『イエス・キリストは実在したのか?』 (レザー・アスラン 著/白須英子 訳)
ジャンル :
#ノンフィクション
なぜ世界宗教として飛躍できたのか
刊行後まもなくの二〇一三年七月二六日、アメリカの右派寄りテレビ局「フォックス・ニュース」のキャスター、ローレン・グリーンがアスランに質問した。「なぜ、ムスリムのあなたがイエスのことを書いたのか?」と。質問者には、おそらく「ムスリムにイエスのことが書けるわけがない。書いても、イスラーム教徒の偏見に満ち満ちたイエス像に違いない」という意識があったのだろう。これに対するアスランの返答は見事なものだった。自分は宗教学者、歴史家、著述家としての学位を持ち、その知識と綿密なリサーチによって、歴史上の人物としてのイエスの側面を二〇年にわたって研究した集大成として本書を上梓したこと、これに対するたくさんの賛成論、反対論については、その理由を添えて、巻末に五〇頁以上にわたってできるだけ公平に付加していること、また、キリスト教徒の学者がイスラームの歴史やその始祖ムハンマドについて書いてはいけない、あるいは書けるはずがないと決めつけるのはおかしいのと同様、ムスリムがイエスのことを書くことを疑問視するのは妥当ではないのではないか、と反論した。
このインタビューは一大センセーションを巻き起こし、そのビデオ・クリップはたちまちウェブ上で世界中に広められた。放映後、本書は爆発的に売れ始め、たちまちアマゾンやニューヨークタイムズのベストセラー・リストのトップに躍り出て、発売後一年足らずで二〇万部、世界中で二五カ国語に版権が売れたという。
本書が、それほどまでに人々の関心を呼んだ理由のひとつに、本書が、実際のイエスがどうだったかという地平にとどまるものではなかったことがあげられるだろう。
すなわち、アスランは本書で、残された様々な文献の比較や歴史的考察から、紀元前後のイエスがどうだったかということを追求すると同時に、新約聖書で、どんな物語が創作され、どんな物語が実際の話から落とされていったかを明らかにすることで、一地方のきわめてユダヤ的な当初の教えが、なぜ、世界宗教として飛躍し今日にいたったのかを浮かび上がらせようとしたのだ。
例えば、イエスが磔になることになった裁判。――ローマ帝国の出先機関の長、総督ピラトは、イエスを救おうとあらゆる努力をしたのに、血に飢えたユダヤ人たちにイエスを磔刑にするよう引き渡さざるをえなかった。ピラトを騙して悲劇的な誤審をさせたのは、ユダヤ教の大祭司であるカイアファだ――。
そう、アスランは「新約聖書」に書かれてあると紹介している。
しかし、本書では、実際のピラトの裁判は、もっと機械的なものだったことが明らかにされ、「新約聖書」にこうした物語が創作された理由をこう推理する。
「福音書記者たちにとって、ユダヤ人の独立運動から距離を置き、イエスの物語から急進主義や暴力、革命や一途な行動の片鱗をできるだけ消し去り、イエスの言葉と行為を自分たちが置かれた新たな政治環境に適合させようとしたのは極めて自然なことだった」
「紀元七〇年以降、キリスト教宣教運動の中心は、ユダヤ人のいたエルサレムから、ギリシアの影響を受けた地中海沿岸のローマ帝国領の町アレクサンドリア、コリント、エフェソ、ダマスカス、ローマなどに移っていた」
「ローマ――とりわけローマの知識人エリート――が、キリスト教伝道の主要なターゲットになっていた」
「こうした特定の読者に接触を広げるには、福音書記者の方にかなりの創造力が必要だった。それには、イエスの生涯からあらゆる革命的熱情の痕跡を抹消するだけではなく、イエスの死にローマ人はまったく責任がなかったことにしなければならない」
ローマ帝国は、広大な領土をもったが、征服した土地の民族を間接統治し、統治した土地の様々な習慣や風習をとりいれた世界で最初のグローバル国家だった。そのローマ帝国で布教をするためにユダヤ的要素をとりのぞいて編纂されたのが「新約聖書」だったという謎解きである。だからこそ、世界中の人々が受け入れることができたのではないか、と読者は考察を進めることができるのである。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。