聖書を知らない人は、まずいないであろう。しかし、聖書についての正確な知識となると、私たち日本人は、きわめて心もとない。
聖書は誤解されている、と山本七平氏は言う。第1の誤解は、聖書が1冊の本だと思っていること。第2は、日本的な意味での宗教書として受けとられていること。そして第3の誤解として、聖書がキリスト教の聖典と思われていることを挙げている。
こうした誤解は、なぜ生じたのか。それは日本人が、過去において、聖書もしくは聖書的発想にほとんど接触をもたなかった例外的な民族であったことによる、と山本氏は指摘する。
そのため、キリスト教圏、ユダヤ教圏、イスラム教圏はもとより、かつての共産圏も、ヘブライズムの影響下に成立していることにまったく無関心だった。そうした国々の基本にある世界観を知らずに、個々の問題を日本の常識で判断しても、その批判は、その当事国にとっては単なる非常識であるにすぎない。日本の常識が世界の常識だと思い込むこと自体が非常識なのである。そしてこの誤解は、聖書的発想をもつ文化圏と摩擦なく接触することを著しく困難にしている。
『聖書の常識』はそうした状況を念頭に置いて書かれた本である。
山本氏の著作は、『日本人とユダヤ人』をはじめとして、『私の中の日本軍』『「空気」の研究』『勤勉の哲学』など多岐にわたるが、聖書についての著作は、「私はもの心ついた時から教会の中にいた」という山本氏にとって、大きな柱の1つだったのだと思う。そしてここでも、日本人の発想、思考法が問われていることを考えれば、この本を「山本日本学」の中の1冊として読むことも可能であろう。
旧約聖書の誕生以前から、旧約、新約の成立、パウロによるキリスト教布教にいたる五百年の道筋を追ったこの本で、私たちはまず、律法(トーラー:戒律)という世界と向き合うことになる。
そして、39冊の本の集合体である旧約聖書の冒頭に置かれた「モーセ五書」で執拗に語られる律法と預言が聖書の核であることを思い知らされる。またユダヤ教徒には、なぜ旧約という言葉がないのか、彼らはなぜ彼らの本を「TNK」(トーラー・ナービーム・ケスビーム)とよぶのかもやがて理解されてくる。
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