早く歳をとりたい、大人になりたいと願った日々を経て「歳をとる」のがこわくなるのはいったい何歳からなのだろう。そして、さらにその先にあるのは? 100歳を迎えた名作家、佐藤愛子さんに、ぼけていく自身をどう見ているのかを伺ったいました。『週刊文春WOMAN2024春号』より、一部編集の上、ご紹介します。
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80ぐらいから細かい節目がずっときてる
自分でも、なんで死なないんだろうと思います。死ぬのも嫌でないですしね。100まで来たらね、もういいよっていう感じ(笑)。
子どものときにお風呂に入って、熱い、もう出たいと思ったときに、「もういいよ」って言うでしょ。それなのに寒い日など、親は「もっと温まらなきゃ」なんて言って出してくれない。今はそういう感じですよ(笑)。
――昨年11月、100歳になった佐藤愛子さん。その月に出版したのが『思い出の屑籠』。「元気が出て、背中を押された」という30代女性の感想を伝えた。
いやあ、今はもう、人の背中を押すだけの元気がありませんね。本当に弱って頭がダメになっていますから。あそこが節目だったというのでなく、細かい節目がずっときてるんですよ。それはもう80ぐらいから、そろそろぼけてきますよね。
100歳の「ありのままで」はどんな気持ちなのか
情けない生活をしています。朝起きて、顔を洗って、トーストとサラダを食べると、あとはもう、することがないんです。
食事も支度をしてもらわなければならないでしょ。だからだんだんだんだん、もうどうでもいいわってなります。若いときはあれを食べたいこれを食べたいで、材料を買って、作ろうかということになったけれど、それがもう面倒だから食べるものは何でもいいやって、そういうふうになっています。
何だか、だらーっとした感じに包まれていますね、100歳というのは。だらーっとって、そうね、つまり、もうありのままでいいっていう気持ちね。
――佐藤さんの口から出た「ありのままで」。『アナと雪の女王』のそれとはだいぶ違うはず。100歳の「ありのままで」をもっと知りたくなって、どんな気持ちなのかとさらに聞いてみた。
毎日していた習慣をしなくても平気に
例えば今日インタビューがあって、お客さんがいらっしゃるということになったら、「お菓子ある? お茶菓子ある?」と家の者にちゃんと聞いて、用意してあると聞いて安心する。そういう習慣のようなものが身についていました。それが今は、「なければなくてもええわ」って、そんなふうになっちゃいました。
毎日のように訪ねてくれる人がいたときは、部屋は暖まっているだろうか、散らかっていないだろうか、とあちこちに気がいきました、若いときは。それが今は、寒ければ寒いって言うだろうって(笑)。
昔の人は習慣がたくさんあったのね。朝起きたらお日様を拝むという習慣を、死ぬまで続けた老人がいましたよ。神棚を毎日拝むっていうのは、私がしていた習慣です。昔はしなければ、気持ちが悪かったの。それが今は、しなくても平気っていうふうになりました。今、お話ししていて気づきました、全く拝んでいないなって。
――もちろん来客用のテーブルには、お孫さんが運んでくれたお茶菓子とお茶が並んでいる。「もらい物があると聞いて、それならそれでよろしいと」というのが、佐藤さんの解説だ。
「ありのままで」と「開き直り」の違い
人との付き合いにうるさい人は、私たちの年代にいたんです。お客さんにはこうしろとか、人との付き合いはこうだとか、心得ておかなきゃならないことがあって、それにうるさい人。でも長いこと生きていると、だんだん「まあ、ええわ」になって、それでいいおじいさん、おばあさんになる。うるさくないから。だから、こういうあり合わせのお菓子(笑)。
あっちこっちに気がいっていたのが、それはもうどうでもよくなる。もうばあさんで、半分ぼけたようなばあさんになりかけているから、それで相手は許してくださるだろう。そういう甘えがありますね。年を取ると、甘えても許されるっていう感じになっていくの。これはまあ、悪くないっていう境地なんですよ。
ありのままを人に見せることができるっていうのは、楽ですよ。相手の方もありのままに話してくだされば、私の方もありのままで対すればいい。昔の自分と比べたところで、これが今の私なんだからしょうがない、許してくださいと。年寄りっていうのはだいたいそういうふうに、私はもうこうなんだからしょうがないわ、許してもらうよりしょうがないわと、どこかで思ってますよ。
――それは「開き直り」とは違うのかと、あえて尋ねてみた。それへの答えをきっかけに、作家・佐藤愛子の話になっていった。
自然体ですね。どう思われても構わないって。自然体で生きているっていうのは楽だし、相手の人も楽なのではないかと思います。
物書きになれたのは、個性を削らなかったから
物書きっていうのはね、どう思われても構わない、という境地にいかなきゃだめなんですよ。そうでないと、真実に迫れない。いい文章を書こうと思ったらだめ、自然に出る文章でないと。
だいたい私は、自然体を人に見せる生き方しかできないんですよ。女学校のときも変わり者でした。仲良くクラスに溶け込むためには、個性を削ったり抑えたりするでしょ。それをしないからね(笑)。
先生に何か文句を言ったりすることがあっても、みんな抑えなきゃいけないって思いますでしょう。それをズケズケ言ったりしていました。それを個性にしてしまえば、通るんですよ。私はそれでやってきました。物書きになれたのは、そういう性格だからだと思うんです。
佐藤家っていう家が、そういう家なんですよ。父がそうです。わがままなんです。兄もそうです。おまえ、あんなこと人に対して言うもんじゃないって、たしなめる人がいない。家中がそうだから(笑)。大変ですよ、佐藤家で融和して暮らすのは。
――佐藤さんの父は、作家の佐藤紅緑さん。兄は作詞家のサトウハチローさん。佐藤さんは佐藤家3代を小説『血脈』に著し、2000年に菊池寛賞を受賞した。執筆開始が65歳、終了が77歳。76歳で亡くなった父の「老耄(ろうもう)」も緻密に描写した。また21年に出版した『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』では書き続ける自らをマグロにたとえ、父もマグロだったが70歳を前に筆を折り、普通の「おじいさん」として世を去った、と書いた。
「ピンピンコロリ」で亡くなった兄と姉がうらやましい
老耄ねー、もうそれ、忘れました(笑)。片っ端から忘れるんですよ、100過ぎますとね。父が筆を折ったのは、戦争とか母の考えとか、私が嫁にいかずにウロウロしていたとか、いろんなことがあった上で現実が決まっていったわけですから。それが人間の人生の難しいところです。
私も、普通のおばあさんですよ。そんなに特別に力のあるばあさんでも何でもない。他にできることがないから書き続けたので、いわゆる普通のおばあさんとしてできることがあまりないわけですよね。だからやっぱり、変なおばあさんになっちゃう(笑)。
――『血脈』で印象的なのが、佐藤さんの兄と姉がいわゆる「ピンピンコロリ」で亡くなること。ハチローさんは勲三等瑞宝章の伝達式の日に牛肉を口に入れたところで亡くなり、姉の早苗さんはスキー旅行を中止するという電話を友人に入れた翌日、部屋で倒れているのが見つかった。うらやましい。
私もうらやましいですよ。ほとんどの人がうらやましいと思うでしょう。2人がどうしてそうなったかって、やっぱりわがままに生きてるといいんじゃないですか。
佐藤家は逸話の一家
「死にたくない」とか、「死んだらいいところに行きたい」とか、「死んだらどうなるだろう」とか、そういうことを考えるより、わがままに生きる。余計なことをあんまり考えないで生きていると、なかなか死にませんしね。
佐藤家で一番長生きだったのは、私のおじいさんだったんです。弘前藩の下級武士だった人で、90いくつで亡くなりました。もう弘前で知らない人がいないっていうくらい、うるさ型で。逸話もいっぱい残ってるんですけどね。
とにかく佐藤家は逸話の一家なんです。父の弘前時代の逸話はろくでもなくてね、中学が火事で燃え始めたっていうときにいち早く駆けつけたけど、消すんじゃなくてもっと燃えろって、羽織であおったっていうんですから(笑)。
●『血脈』で遺産を巡る確執を描いた姉を「しみじみ懐かしい」と語る心境や、少女時代の兵庫県の家の情景、励まされようという気持ちへの喝や、「死」へとの向き合い方など、インタビュー全文は、『週刊文春WOMAN2024春号』でお読みいただけます。
「佐藤愛子の100年」
佐藤愛子さんは1923年生まれ。父の佐藤紅緑さんは作家、母のシナさんは元女優だ。紅緑さんの代表作『あゝ玉杯に花うけて』は、連載した雑誌「少年倶楽部」(講談社)の部数を倍にしたと言われるほどの人気だった。劇団を持っていた紅緑さんが出会ったのが女優で20歳年下のシナさん。当時すでに血のつながった4人の男子がいた紅緑さんだが強引に接近、長女・早苗さんが誕生。その後、紅緑さんは妻と離婚、次女・愛子さんが生まれる。そしてシナさんは女優を断念。紅緑さんの長男は、詩人で作詞家のサトウハチローさん。戦後に並木路子が歌って大ヒットした「リンゴの唄」のほか、「ちいさい秋みつけた」など多くの童謡を作詞した。
愛子さんは43年、陸軍主計将校と見合い結婚したが、復員した夫はモルヒネ中毒になっていた。2児を残し49年、世田谷の実家に戻る(夫は51年没)。作家修業を始め、文芸誌「文藝首都」の同人に。56年、そこで出会った作家の田畑麦彦さんと結婚、60年に長女が生まれた。夫は会社経営に乗り出したが67年に倒産、夫に言われ“偽装離婚”した佐藤さんが、なぜか莫大な借金を背負う。夫との顛末を描いた『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞した。ちなみに取材で訪れた佐藤さん宅の本棚に、田畑麦彦さんの著書があった。
89年、65歳で佐藤家3代を描く『血脈』の執筆を開始、2000年に同作品で菊池寛賞を受賞。17年に旭日小綬章を受章し、『九十歳。何がめでたい』が年間ベストセラー総合1位になる。21年、『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』を出版、2冊で累計167万部。23年、100歳になった11月に『思い出の屑籠』を出版。24年6月、映画『九十歳。何がめでたい』が全国公開予定(主演・草笛光子)。