- 2014.11.19
- 書評
どんでん返しの魔術師、007を描く
文:吉野 仁 (文芸評論家)
『007 白紙委任状』 (ジェフリー・ディーヴァー 著/池田真紀子 訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
物語は、まずセルビア共和国から始まる。ある日曜日、首都ベオグラードからセルビア第二の都市ノヴィサドへ向かう鉄道列車がドナウ川を渡ろうとしていた。丘の頂から身を伏せつつ、その光景を見つめていたのが、ジェームズ・ボンドだった。
ボンドがセルビアにやってきたのは、ある大規模なテロ計画を阻止するためだった。英国政府通信本部が手に入れた情報によると、二十日の金曜夜、数千人の死傷者が見込まれるテロ計画が進んでいるという。それを英国諜報部はインシデント20と名付けた。詳細は不明ながら、敵は〈ノア〉という名で、その打ち合わせがノヴィサド郊外のレストランで行われるらしい。こうした情報をもとにボンドがセルビアまで派遣されたのだ。だが、レストランに現れた謎の男アイリッシュマンを捕まえることはできなかった。
イギリスに戻ったボンドは、国内での調査を進めたのち、ドバイ、ケープタウンと移動、謎の敵の正体をつきとめようと奮闘する。はたしてテロ計画は阻止できるのか。
まずは、冒頭から緊迫した雰囲気をただよわせ、凡庸な映画ならばクライマックスに匹敵するレベルの派手な活劇が展開していく。ボンドとアイリッシュマンの闘いだ。短い章のなかで明確なアクションと意外性のある展開が収まっており、読者は興奮とともに一気に物語世界へと引きこまれたことだろう。
ロンドンに戻ってからは、長官のMや秘書のマニーペニーといったお馴染みのボンド・ファミリーが登場する。本作では、上司のビル・タナー、CIAのフェリックス・ライターなど、フレミングが創りだした主要キャラクターと人間関係がそのまま使われているのだ。ジェームズ・ボンドのプロフィールに関しても、所属する組織が〈海外開発グループ〉であるなどを含め、いくつか現代にあわせて変更されている部分もあるが、基本的にはイアン・フレミングの原作をそのまま踏襲している。それは冒頭で、「年齢は三十代。身長百八十三センチ、体重七十八キロの恵まれた体躯。(中略)右の頬には、長さ八センチほどの傷痕が刻まれている」と書き込まれているとおりだ。ディーヴァーは原作を徹底的に読み込んでいる。
だが、オリジナルのボンド・シリーズを二十一世紀のいまに移行しようとすれば、どうしても変更せざるをえない部分が数多くある。たとえば、フレミングが作家デビューした当時は、まだ第二次世界大戦が終結して間もない時期であり、戦後世界の覇権をめぐる国際関係が緊張をはらんでいた。たちまち東西冷戦下における核をめぐる争いから宇宙開発競争など、その冷戦のスケールも広がっていったのだ。しかし、それから半世紀が過ぎ、ベルリンの壁もソ連邦も崩壊してしまった現在、英国における最大の脅威は、やはりテロ活動なのだろう。
また本作で、廃棄物処理とリサイクルを専門とする怪しげな会社が出てきたり、セルビア、アラブ首長国連邦(ドバイ)、南アフリカといった国々が舞台となっているのも、きわめて現代的な設定といえる。さらに読み進めていくと、こうした国際的な設定のみならずさまざまな細部に至るまで、あくまでリアリズムに徹してディーヴァーが描いていることに気付かされる。ボンドカーをはじめ、派手な最新型秘密兵器が頻繁に登場していた一時期の映画版ボンド・シリーズに親しんだ方々は、本作において携帯電話のアプリを駆使してスパイ活動をする主人公の姿が、むしろ地味に映っているかもしれない。
もっとも現代では、読者の側もアップデートされている。たとえばパソコンやスマホの地図アプリや検索サイトで、本作に登場する数々の地名や固有名詞を調べながら読んでみると、より興味が尽きないだろう。作中に登場するミュージシャンにせよ、地元で人気のレストランにせよ、ディーヴァーが最新の情報を集め、それをボンドのセンスにあわせて紹介していることが如実に読み取れるのだ。
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