――勤めていた会社(電通)を二〇〇六年五月にお辞めになり、その八月に連載を開始されていますが、きっかけはどんなものだったのでしょうか?
大宮 私が監督をした映画「海でのはなし。」を公開してくださったSさんが、「おまえ、今度は映画をノベライズせいや。うちから出せ」とおっしゃってくれて。うわぁ、小説を書いてもいいなんて、と思っていたら、「やっぱりやめや」って言われて。聞けば、「お前はうちから出たらあかんねん。アングラな人間はメジャーでデビューせなあかん」と。私って、アングラな人間だったんだっけ? と思いましたが、私の事を親身に考えてくださってて、すごく有り難くて。よくわからないけれど言う通りにしよう、と思ってました。
しばらくして、ちょうど会社の方々に送別会をしてもらって二次会で盛り上がっていたところに、そのSさんから「文春の編集者がいるからすぐ来い」と電話がかかってきたんです。私のために集まってくれた人たちに囲まれて、花束なんかもらってたんですよ。今から? 抜けられないよぉ、と思ったんですが、すでに酔っているSさんが、「はよ来い!」と言うので、仕方なく、ちょっと急用で抜けます! と花束抱えてタクシーに乗り込んだわけです。
居酒屋に着いたら、Sさんと飲んでいた文春のMさんがもうべろんべろんで。初対面の私に、「おまえさっ、面白いと思うよっ!」。馴れ馴れしい酔っ払いMさんに、ちょっと愕然としました。だけど、こういう出会いはくだけていてよかったな、と思います。私とMさんらしい出会い方でした。ただ、この人明日、私の事を覚えてるんだろうか、という疑問は残りましたが。
後日、Mさんから電話がかかってきて、その晩の声と全然違う落ち着いた別人のような応対に驚き、正直最初、誰かわからなかったぐらいです。その後、ご飯に行って、どんな小説を書くかなんて話しているときに言ったんです。「実は、小説もやってはみたいんですが、今、私、連載が一番したいんです」。そうしたら、私は無名だし、さすがにハードルが高いと思う、と言われました。ですよね、と思って忘れていたら、ある日、「週刊文春」のデスクとその後担当になるFさんを紹介していただいて会うことになりました。Mさん、単なる酔っ払いではなかった。
文藝春秋と私の関係は、父(おとん)がずっと月刊「文藝春秋」を購読していて家のトイレに積んであったんです。父はトイレが長かったんですよ。我が家では、開かずの扉、と言われてました。で、私も、トイレに入るとなんとなくぱらぱらめくっていて。難しかったので社中日記とかを読んでました。
だから、連載のことで文藝春秋に伺ったときは少し感動でしたね。あ、菊池寛の銅像が! とか。サロンなんかがある! とか。その文豪チックな雰囲気にのまれ、深い茶色の革張りのソファーにちょこんと心細く座っていたら、お見えになったデスクの方も担当のFさんも、明るくノリのいい方で、ものすごくほっとしたのを覚えています。
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