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『おろしや国酔夢譚』解説

『おろしや国酔夢譚』解説

文:江藤 淳

『おろしや国酔夢譚』 (井上靖 著)


ジャンル : #小説

『おろしや国酔夢譚』 (井上靖 著)

《「いいか、みんな性根を据えて、俺の言うことを聞けよ。こんどは、人に葬式を出して貰うなどと、あまいことは考えるな。死んだ奴は、雪の上か凍土の上に棄てて行く以外仕方ねえ。むごいようだが、他にすべはねえ。人のことなど構っててみろ、自分の方が死んでしまう。いいか、お互いに葬式は出しっこなしにする。病気になろうが、凍傷になろうが、みとりっこもなしにする」

「えらいことになったもんだな」

 九右衛門が憮然とした面持で言った。光太夫は更に続けた。

「たとえ、生命が救(たす)かっても、鼻が欠けたり、足が一本なくなっていたりしては、伊勢へは帰れめえ。――いいか、みんな、自分のものは、自分で守れ。自分の鼻も、自分の耳も、自分の手も、自分の足も、みんな自分で守れ。自分の生命も、自分で守るんだ。十三日の出発までに、まだ幸い十日許りある。その間に自分の生命を守る準備をするんだ。きょうからみんな手分けして、長くこの土地に住んで居るロシア人や、土着のヤクート人たちから、寒さからどう身を守るか、万一凍傷になったらどうすればいいか、吹雪の中におっぽり出されたら、自分の橇が迷子になったら、馬が倒れたら、そんな時、どうしたらいいか、そうしたことをみんな聞いてくるんだ。それから、みんな揃って、皮衣や手袋や帽子を買いに出掛ける。ひとりで出掛けて、いい加減なものを買って来るんじゃねえぞ。買物にはみんな揃って出掛けるんだ。いいな」

 光太夫の言い方が烈しかったので、機先を制せられた形で、誰も文句を言うものはなかった》(二章一二三―一二四頁)

 この一節が、おそらく『おろしや国酔夢譚』の核をなす部分である。それまでに、大黒屋光太夫の一行は、すでにさまざまな体験を重ねて来た。彼らは八ケ月にのぼる不安な漂流生活を送り、見知らぬ北方の島に漂着すると間もなく船を喪った。異人や土民のあいだで暮すうちに、仲間を葬りもした。アムチトカ島、ニジネカムチャツク、ヤクーツクと、帰国の見通しも立たぬまま、シベリアの奥深く連れて来られもした。しかし、この瞬間まで、他の仲間はもちろん光太夫といえども、いまだに真の“経験”の名に価する経験をしてはいなかったのである。

「むごいようだが、他にすべはねえ。人のことなど構っててみろ、自分の方が死んでしまう。……いいか、みんな、自分のものは、自分で守れ」

 これが、光太夫の“経験”の内容である。すべての基本的な経験と同じように、この経験もまたきわめて明快な構造を持っている。つまり、それはあまりに明快であるが故に直視しにくいという種類の自己認識であり、多くの人々は単に直視しにくいという理由から、この認識に到達することがない。だからこそ、九右衛門は、この「むごい」言葉を聴いて「憮然」とせざるを得ない。しかし、それを経験した光太夫には、もはや「憮然」としているいとますらない。彼はいま、眼から“うろこ”が落ちるような思いで、自分のまわりに黒々とひろがっている冷たい空間を見わたし、その重味が存在の奥底に浸透して来るのを感じているからである。

 

 この経験は、無論人間の生の自覚にかかわる経験であるが、同時に光太夫にとっては、一種の比較文化的(cross-cultural)な経験でもある。日本にいれば、どんな深刻な人生の危機を味わったところで、彼はこれほど明晰に生の基本的な構造を看透すことができなかったにちがいない。他人に甘えたり、甘えられたりしていては、個人も集団も存続できない。もし、甘えたり、甘えられたりしながら、なおかつ存続している集団があるとするなら、それはよほど特殊な条件が充たされている場合だけであって、これを以て普遍妥当な例とするわけにはいかない。日本の生活には、少くともこの条件が充たされているかのような幻想が附着している。その幻想が、にわかに光太夫の視野から消えたのである。

 そのかわりに、彼の視野に浮び上って来たのは、人の四肢をもぎとって行く厳寒の支配する果てしないシベリアの雪原である。このロシアの発見は、正確に彼の存在がとらえたあの黒く冷え冷えとした空間の発見と照応している。まさにこの意味で、光太夫の経験はすぐれて比較文化的(cross-cultural)な経験だということができる。「伊勢には帰れない」――それは、自分のいる場所がロシアであって、他のどの場所でもないことを、骨身に沁みて悟ることである。

 ところで、人は単に空間を移動しただけでは、このような認識に到達することはできない。そのためには、漂流以来ヤクーツクに到達するまでに、光太夫のなかに堆積された時間が必要であり、この『おろしや国酔夢譚』は、もっぱら光太夫の心からあの幻想を剝ぎとって行く、巨大な空間と時間の作用を表現しようとした作品だということもできる。人は、漂流する船の上でさえも、カムチャツカやオホーツクに連れて来られたあとでさえも、なお日本で生活しているときと同じ幻想のなかで暮すことができる。もし、光太夫のように、真の経験の痛みを知ることがないならば。そして、孤独な人間として生存するということの意味を見詰めることがないならば。

 ところで、

「……それから、みんな揃って、皮衣や手袋や帽子を買いに出掛ける。ひとりで出掛けて、いい加減なものを買って来るんじゃねえぞ。買物にはみんな揃って出掛けるんだ。いいな」

 という光太夫の言葉は、「みんな、自分のものは、自分で守れ」という言葉と、一見矛盾しているかのように聴える。しかし、この「みんな揃って」は、「自分のものは、自分で守れ」と表裏一体であって、ここではあの幻想を剝奪される経験を通過して、光太夫と他の漂流民との関係が、全く新しい関係に組み替えられているのである。つまり、それはもはや甘えたり、甘えられたりの関係ではない。「自分のものは、自分で守」ることを心に決めた人々が、「自分を守」るために「みんな揃って」行くのである。そうしなければ、生存を維持することができないような異質の現実が、彼らの周囲にひろがっているからである。

 ロシア滞在中に、光太夫は、今一度重要な体験をしている。それは、女帝エカチェリーナ二世に拝謁したことである。

《「可哀そうなこと」

 そういう声が女帝の口から洩れた。

「可哀そうなこと、――ベドニャシカ」

 女帝の口からは再び同じ声が洩れた。光太夫にとっては一切のことが夢心地の中に行われていた。暫くすると、執政トルッチンニノーフの夫人であるソフィヤ・イワノウナが進み出て来て、

「漂流中の苦難、死亡せし者のことなど、詳しく陛下に申し上げるよう」

 と、言った。光太夫は直立した姿勢のままで、アムチトカ島へ漂流してから今日までのことを、ゆっくりした話し方で、いささかの間違いもないように注意して話した。初めのうちは言葉が勝手に自分の口から飛び出して行くようで不安だったが、途中から自分でもそれと判るほど落着いて話すことができた。一通り語り終えた時、

「死者は全部で何人なるや」

 という女帝の声が遠くで聞えた。

「十二人でございます」

 光太夫が答えると、

「オホ、ジャルコ」

 と、低く女帝は口に出して言った。これはこの国の人々が死者を悼(いた)む時に使う言葉で、女帝は不幸にも異国に於て他界した十二人の日本の漂流民に対して哀悼の意を表したのであった。それから、誰にともなく、

「この者の帰国の願いはずいぶん前々からのものと思うが、いかにして耳にはいらざりしや」

 と、女帝は言った。誰も答える者はなかった》(六章二七二―二七三頁)

 このときまでに、凍傷で隻脚を失った庄蔵はロシア正教に入信し、ロシア人の寡婦の家に出入りしていた新蔵も、やはり正教徒になってロシア人になってしまっていた。光太夫自身も、帰化する気持はないにしても、正確なロシア語を自由に使いこなせるようになっていた。つまり、彼らは、ロシアの異質な現実に適応して生きようと努めた結果、明らかに普通の日本人とは違う人間になっていたのである。

 しかし、何故彼らは「自分のものは、自分で守」るようにして、ロシアの現実に適応しようとしたのだったろうか? それはもとより、生存を維持する必要からであった。それなら、何故彼らは力を傾けて、生存を維持しようと努めたのだろうか? いうまでもなく「伊勢へ帰」りたい一心からであった。だが、ここにおいて彼らは、ひとつの背理に直面せざるを得ない。なぜなら、「伊勢へ帰」りたい一心が、現実には彼らを無限に「伊勢」から遠ざける結果を生んでしまっているからである。

 そのことを、光太夫は、アダム・ラックスマンの一行とともに箱館に上陸して間もなく自覚させられる。

《……この夜道の暗さも、この星の輝きも、この夜空の色も、この蛙や虫の鳴き声も、もはや自分のものではない。確かに曾(かつ)ては自分のものであったが、今はもう自分のものではない。前を歩いて行く四人の役人が時折交している短い言葉さえも、確かに懐かしい母国の言葉ではあったが、それさえももう自分のものではない。自分は自分を決して理解しないものにいま囲まれている。そんな気持だった。自分はこの国に生きるためには決して見てはならないものを見て来てしまったのである。アンガラ川を、ネワ川を、アムチトカ島の氷雪を、オホーツクの吹雪を、キリル・ラックスマンを、その書斎を、教会を、教会の鐘を、見晴るかす原始林を、あの豪華な王宮を、宝石で飾られた美しく気高い女帝を、――なべて決して見てはならぬものを見て来てしまったのである》(八章三七一頁)

 作者が『おろしや国酔夢譚』で描こうとしたのは、ほかならぬこの孤独と徒労の感覚であろうと思われる。大黒屋光太夫は、「伊勢へ帰る」ことすらもできなかった。彼は、ともに帰国した磯吉といっしょに、番町の薬草植場内にあたえられた住居で、飼い殺しの余生を送らなければならぬことになったからである。それなら、彼があれほど必死に「守」り抜こうとした「自分のもの」とは、いったいなんだったといえるのだろうか? それは、結局、だれに伝えようと思っても伝えられない、彼自身に固有なあの“経験”にほかならなかったとでもいうほかない。

 しかし、彼の努力が孤独なものであり、光太夫が「自分を決して理解しないもの」に囲まれていると感じれば感じるほど、彼の“経験”の重味はひしひしと読者の胸に伝わって来る。住ノ江の浦島の子のことは、しばらく問わない。だが、光太夫のあとにも、実は比較文化的な経験を味い、それをだれにも伝えられずにいる無数の光太夫たちがいる。おそらく現代においてさえその数が減っていないことを、この『おろしや国酔夢譚』は心の深い部分に感得させる力を備えているのである。

文春文庫
おろしや国酔夢譚
井上靖

定価:847円(税込)発売日:2014年10月10日

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