- 2016.12.28
- コラム・エッセイ
「解散」から「卒業」へ 栗原裕一郎
栗原 裕一郎
『バンド臨終図巻 ビートルズからSMAPまで』 (速水健朗・円堂都司昭・栗原裕一郎・大山くまお・成松哲 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
中の人とユニットが独立であり得るという事実から「卒業」というアイディアが導き出されるのは論理的にほとんど必然だが、必然としてそこにあるものがすぐに発見できるとはかぎらない。「卒業」という概念が発見され採用されるには、おニャン子クラブが誕生する85年まで待たなければならなかった。メンバーを頻繁に「卒業」させてユニットの延命をはかるモーニング娘。を見た阿久悠は「ああ、なんでピンク・レディーを2人にしちゃったんだろうなあ……」と口惜しがったという(重松清『星をつくった男』講談社)。
78年から81年の3年間に生じた「解散」の意味の変遷から、何か、たとえば時代の変化を読み取ることができるだろうか。
芸能界の変動としては、73年に起こった日本テレビとの抗争、通称「月曜戦争」に敗北した「ナベプロ帝国」の衰退がまず思い浮かぶ。戦後の芸能界で強大な力を誇った渡辺プロダクション凋落の遠因は、71年から始まった日テレ系「スター誕生 !」の台頭にあった。このオーディション番組は「スター」を量産し、渡辺プロ以外の中小プロダクションに供給して力をつけさせて勢力図を塗り替えたが、昨日までそこらのミーちゃんハーちゃんだった子供を「スター」に仕立て上げることは日常と非日常の垣根を曖昧にした。キャンディーズからピンク・レディーへという流れは、渡辺プロから「スタ誕」への主権の移動に対応している。
橋本治の小説『橋』(文藝春秋)は、小学生の男女が「UFO」を歌うシーンで始まる。舞台は81年初夏の地方都市、ピンク・レディー解散の直後だ。この小説は、近年前後して起こった2つの殺人事件をモデルに、ごく普通の2人の女性が殺人を犯すにいたるまでの内面史をフィクションとして解析したものだ。ピンク・レディーの解散が置かれているのは、2人の女性の内面形成史において、ひいては時代意識とでもいうものにおいて、「解散=引退」という興行化した儀式が象徴的な意味を担っていたことを示すためである。
〈「普通の女の子になること」や、「愛される妻となって平凡な人生を歩むこと」が、栄光の先にある「目標」であるならば、どこにも問題はない。(中略)「普通の女の子になるためには、まず栄光を手に入れなければならない」という逆転した前提が、新たなる姿を現しつつあった〉
『橋』の主人公である2人の女性は、「栄光」とは無縁に育ち、「普通」を手にし損なった人たちとして描かれる。だがもちろん、だから殺人を犯すことになったのだという説明は成り立たない。ただたんに「普通」であることが困難になり始めた時代の歪みの一端がその2人だったということであり、ピンク・レディー「解散」によって示されていたはずの「普通になるための前提としての栄光」の挫折の遠いエコーなのである。
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