- 2016.12.28
- コラム・エッセイ
「解散」から「卒業」へ 栗原裕一郎
栗原 裕一郎
『バンド臨終図巻 ビートルズからSMAPまで』 (速水健朗・円堂都司昭・栗原裕一郎・大山くまお・成松哲 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
ビートルズ、カルチャー・クラブ、T・レックス、おニャン子クラブにSMAP……古今東西191、一世を風靡した人気バンドの解散理由を全暴露、音楽ファン悶絶の名著が文庫に。刊行を記念して、各著者による文庫未収録のコラムを5日間連続で公開します!
キャンディーズは73年9月にデビューし78年4月に解散した。ピンク・レディーは76年8月にデビューし81年3月に解散した。どちらも活動期間は4年半ほどであり、国民的な人気を獲得したのちに解散したという点で表面的には似た出来事のようにも見えるが、両者の「解散」が意味するところには大きな隔たりがあった。
キャンディーズは「普通の女の子に戻りたい」と叫んで解散した。ランとスーは芸能界に復帰したけれど(ミキも一時的に復帰)、結果的にそうなったという話であって、「復帰」を織り込んで「解散」したわけではなかった。彼女たちの「解散」は「引退」と同義だった。
一方、ピンク・レディーの「解散」は人気の低下が主な理由であり、解散前から、ミーとケイの解散後の芸能界での身の振り方が話題になっていた。ピンク・レディーの「解散」には「引退」ではなく「復帰」があらかじめ含み込まれていたわけだ。ブームの終焉を予感していた阿久悠は、ピンク・レディーの「葬式」を早くやるべきだとスタッフに提案していたという。「葬式といってイメージが悪ければ、名前の返上式である」(阿久悠『夢を食った男たち』文春文庫)。
キャンディーズとピンク・レディーの「解散」のあいだ、80年10月には、山口百恵の「引退」があった。結婚して普通の主婦になるために芸能界から身を引いたのである。「普通」になるために「解散=引退」するという儀式は芸能システムに組み込まれ、キャンディーズ解散から百恵引退までのわずか2年半ほどで興行として完成されたが、ピンク・レディーの解散はその儀式=興行が早くも形骸化したことを告げた。80年9月に解散宣言をしたピンク・レディーは残り半年間テレビに地方公演にと解散興行に励んだが、キャンディーズと同じ後楽園球場で行われた解散コンサートは有終の美からほど遠い侘びしいものだった。3月末の寒いなか雨に祟られずぶ濡れになったあげく、感涙し抱擁する瞬間にまでディレクターの巻きが入った。テレビサイズに収めるためだ。平岡正明は解散コンサートを収録したLP『さよならピンク・レディー』を「これはまさにピンク・レディー憤死のドキュメントなのだ」と断じた(『歌謡曲見えたっ』ミュージック・マガジン)。
ピンク・レディーの解散は「芸能ユニットと中の人は分離可能である」という事実もあきらかにした。阿久悠のいった「葬式」「名前の返上式」とはそういう意味だ。「解散」と「引退」が同義である必要はないのだし、中の人の「普通」だとかいったアイデンティティとユニットが一蓮托生である必要もないのだ。
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