何年か前、釣ったばかりの鮎を水筒に入れて現れたその方は、作家夢枕獏さん。場所は小田原、老舗和菓子屋「菜の花」のオーナーが経営する「うつわ 菜の花」というギャラリーで行なわれた、サックス奏者である私の演奏会後のこと。鮎を肴に、釣りのことを一生懸命話すその姿、書くことを生業とし、厖大な執筆量をこなすその姿。生きることは、悪くないな。演奏後の高揚もあってか、その夜思い耽(ふけ)った。その席で、大胆にもフランスで人気の漫画、陰陽師の原作者としての獏さんのお話を、是非聞いてみたい、という私の一方的な思いを、多忙にもかかわらず快諾してくださり、渡仏していただいた。講演会は大成功。わざわざ南仏からパリまで来たフランス人のファンの方は、満員で講演会場に入れなく、扉の外で聞いていたという。翌日はパリ10区で行なわれた私のライブに、なんと獏さんがホテルで書き上げたばかりの「陰陽師」を演奏と一緒に朗読するというハプニングが。大凡(おおよそ)のあらすじを教えてもらい、それをフランス人ミュージシャン2人に説明。一緒に演奏するヤンの奏でるウード(アラブリュート)という楽器は、撥弦楽器の元祖であり、琵琶の原型。その音色は獏さんの表現通り、「嫋嫋(じょうじょう)」と。一方でトマは、以前高野山で演奏した際、会場となった南院庭の池の水面を叩き奏でた、打楽器奏者。そして、博雅が鳴らす笛に見立て、体現するなどもってのほか、ではあるけれど、サックスとアラブの笛Nay(ナイ)を奏でる私。実はこの3人、陰陽師「白比丘尼」の舞台にもなった高野山はかつらぎ町上天野にある、丹に生都比売(うつひめ)神社にて奉納演奏をしている。なんというご縁だろうか。さて、本番では私が獏さんの読む物語の後を追う形でフランス語に逐次通訳。演奏者、そして聴衆は、生まれたばかりの物語に耳を傾け、空間に舞い立つ言葉を捕まえ聴き入った。それは、フランス人、日本人と分け隔てなく、各々の想像的世界に、各々の陰陽師の世界が生まれる瞬間でもあった。こういったフランスでの出来事を通して、夢枕獏さんという作家の、何事にも挑戦する姿そのものを垣間みた気がする。彼流の、人生というスペクタクルだ。
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