筒井康隆の中期の代表作のひとつに、『大いなる助走』という長篇小説がある。その文庫化にあたって大岡昇平は、「この作品は発表当時から、文壇の裏話を戯画化したものとして「大いなる問題になった」と書き始めた。一九八二年のことだ。
フランス文壇を舞台に描かれたバルザック『幻滅』に比肩する作品を日本の現代文壇を舞台に書く野心を、数年前に心不全を発したことで諦めざるを得なかったという大岡氏は、みずからが断念したのと同時期に発表された『大いなる助走』を「戦後高度成長期の文学と文壇の巨大化と地域化、その腐敗について書かれた記録碑作品」だと讃えたうえで、解説を次のように結ぶ。
「文壇内に住んで、文壇を告発するのは、容易ではない。『大いなる助走』の大いなるファルスはその新しい可能性を開いたものだった。筒井氏が、また別の角度から、現代の文学社会の描出を期待せずにはいられない。(原文ママ)」
そこで提示される「別の角度」とは、『幻滅』が携えていた、文壇生活の社会的背景の広がりと規模──具体的には、地方から都市への人口流入による内容の充実と変化を伴ったブルジョワ文学の隆盛──を描く視線であり、そこにかかわる様々な経済や産業そして人々の姿を一大叙事詩として描かんとする態度のことだ。大岡氏がそのように表明する背後には、文学を「文化的社会現象」や「商品」と捉え、「文壇」をその流通過程に成立する同業者集団と規定する、彼独自の視点がある。文学賞は「販売政策の一つ」であり、出版社は商品生産者で、文士は「商品製作者、売文の徒」──文学をひとえに芸術と捉える夢見がちな視線からは遠く隔たった醒めた目で、大岡昇平は『大いなる助走』に賛辞と次なる課題とを与えたのだった。
そんな大岡氏の言葉が「ずっと心に残って」いたという筒井康隆は二〇〇五年、最初の文庫化からおよそ四半世紀を経た新装版『大いなる助走』のあとがきで、「『幻滅』と同じ規模に達するには、文学者、文学賞だけではなく、出版社、販売会社、広告仲介業者、そしておそらくは、製紙会社、銀行まで、描かねばならぬ」と書いた大岡氏の期待と挑発を回想する。
「そんな無茶な、そんなところまで手を拡げて書ける能力が尋常の小説家にあるものか」そう毒づきながら、「バブル崩壊や文学の衰退に端を発する出版の構造的不況などがあり、なるほどこれでは現代の文壇を描くのに経済的要素を省くことはできない」と考えた筒井氏は、『大いなる助走』平成版を書き進めた──それが、本書『巨船ベラス・レトラス』だ。
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