書評

解説――「筒井康隆化」する世界

文: 市川 真人 (批評家/早稲田大学准教授)

『巨船ベラス・レトラス』 (筒井康隆 著)

 右のあとがきで筒井氏自身も記すように、『大いなる助走』の書かれた一九七七年当時から『巨船ベラス・レトラス』の刊行される二〇〇七年までの三〇年間に、文芸の置かれる状況は大きく変化した。

 一九七七年は、その前年に村上龍が「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞と芥川賞を受賞し、選評とともに掲載された「文藝春秋」が異例の一〇〇万部を突破したのを象徴に、月刊の文芸雑誌・小説雑誌も(ときに週刊の小説誌までも)多数存在した幸福な時代だ。出版市場全体でも、直前のオイルショックから立ち直った七七年以降九六年までの二〇年間は、日本経済の高度成長やバブル経済期と歩みを共にして、市場規模が二倍に膨らんだ時代でもあった。いまだマンガやアニメの市場も現在ほどに膨らまず、映画やテレビドラマとともにコンテンツの主流の地位を占めた小説の世界が、小説家や出版関係者はもちろん、読者や作家予備軍たちとともに、“終わらぬ繁栄”を信じていられた頃でもある。

 だが『大いなる助走』が発表されたその年は、もうひとつ別の「助走」が始まってもいた。劇場版アニメ『宇宙戦艦ヤマト』が二三〇万人を動員し二一億円の興行収入を記録、「週刊少年ジャンプ」や「週刊少年チャンピオン」の発行部数が二〇〇万部に達し、「マンガとアニメの時代」が訪れようとしていたのだ。長らく「子供の読むもの」としてサブ・カルチャーの位置に置かれていたマンガやアニメは、それらを楽しんだ世代が彼らの子供を育てるこの時代に至って、幅広い年代の読者を獲得し始める。

 前年には角川書店が映画製作への関与を開始、後のメディアミックス時代の嚆矢を放っていた。石原慎太郎『太陽の季節』のような先行例こそあれ、出版社が直接かかわることで、活字と映像とはあらためて地続きのコンテンツとなる。七五年にベータマックス、翌年にはVHSのビデオデッキが発売されて家庭での映像再生インフラも普及し、それらの相互利用・相乗作用によるコンテンツ・マーケットの幕開けが、この時代に訪れたのだった。

 その後、一九九〇年代からは、パーソナル・コンピュータをはじめとする家庭用デジタル機器とそのネットワークが急速に普及することになる。手書き原稿を和文タイプ業者に発注して活字にしたり、出版社の手を経てはじめて小説の広域流通が可能だった時代は終わり、日本語ワードプロセッサやDTP(デスクトップ・パブリッシング)技術の普及による自作の活字化や、インターネットを通じた不特定多数への作品公開、印刷製本した小冊子の販売などが、誰にでも可能な時代が訪れた。かつて『大いなる助走』の登場人物たちが狂乱を演じる理由となった“文学賞”をめぐる高揚はいまなお失われきってこそいないにせよ、「誰もが、いつでも、書くことができる」環境が整った結果、書き手と読み手の境界が従来になく曖昧化しつつあることは周知の通りだ。田山花袋が自己の欲望を克明に吐露し、葛西善蔵が自分の日常を赤裸々に書いたのと同じことが、今日はインターネットの至る場所で日々行われている。

 誰しもに書き発表する機会と権利があるならば、プロの書き手とアマチュアとの違いは明確に区切れるのか。デジタル・フォーマットのもとでグラフィックや音声と同時に読まれる文字コンテンツは、自らの立脚点をどこに持つのか。一九七七年時点では明視化されていなかった問いが、二〇〇七年には文学の世界を取り囲んでいた。

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巨船ベラス・レトラス
筒井康隆・著

定価:580円+税 発売日:2013年11月8日

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