インタビューほか

公開対談 辻村深月×円城 塔
小説で“事件”を描くとは

第150回記念芥川賞&直木賞FESTIVAL(別册文藝春秋 2014年7月号より)

第150回を迎えた芥川賞・直木賞を記念して行われたフェスティバルでスペシャル対談が実現! 小説家はいかにして「事件」と向き合い「事件」を描くのか? フィクションの新たな魅力を発見する 辻村深月×円城 塔 白熱討論

網膜はフィクション精製機

辻村 私はいつまでもミステリーの人でいたいという気持ちがあるんですけど、誰かが人ひとり殺してそれをわからないように隠して生きていこうとするこれがミステリーの一本筋としてあるわけじゃないですか。人が人の命を奪うに至るまでの背景って、現実の事件でも、何かが突然、急に起きるわけじゃなくて、表面張力みたいな力でぎりぎり保たれていたものに、何かの拍子に最後の一撃が加わって一気にあふれ出てしまうものなんじゃないかと思うんですよ。私が書きたい「明日起こりそうなこと」はきっとそういうことで、ミステリーって、ある意味ではヒューマニティというか、人の死に寄り添ってきたジャンルだと思うんですね。

 たとえば、震災があった時、「偽物の殺人事件を書き続けることに疑問を持った」という作家さんたちがすごく多かったし、私もそう思うところがあったんです。だけど、ミステリーは1人の人間の死を事件として扱い、そこに理由づけなり背景なりを与えて解決していく。大量死を書くのではなく1人の死に寄り添うジャンルなんですよね。だから、胸を張って書き続けていいんだと、そう考えることで、前に進めたような気がするんです。

円城 いまの話に関連して言うと、僕は「どう書くか」という書き方のほうが気になる性質なので、やっぱり震災のような大量死は書けないんです。芥川賞の選考会でも話題になりますし、「そろそろ震災のことを扱っても」みたいな話はよく聞くんですけど、作家がみんな震災を無視しているわけではなくて、書き方を見つけられない。話が大きすぎて、お話に落としこむうまい作りが見出せないんですよ。

辻村 大きなテーマを扱うときに、どこに視点を置くか、どういう人の目を通して切り取るかということですよね。「柄の大きい話」という言い方がありますけれど、それも個人の物語に還元されればストンと読めるようになる。円城さんの『屍者の帝国』も、世界規模のスケールが大きい話じゃないですか。

円城 地球を1周するという意味では。

辻村 でも、物語の軸は「ここ」にあって、主人公たちはこういう人たちで……と、個人の物語をたどることによって世界規模の問題がわかっていく作りになっています。それが小説のよさなんだろうと思う。

 歴史小説も同じだと思うんですけど、たとえば信長と秀吉が出てきて会話を交わす場面があったとして、それが歴史上実際に交わされた会話だとは誰も思わないわけじゃないですか。私、歴史の教科書を読むのがすごく苦痛だったんです。でも、こういう出来事があった、こういう合戦があったと説明されても退屈だったのが、小説や漫画によって、教科書で扱われている事件の向こうに魅力的なキャラクターが見えるようになると、とたんに暗記が進んだりした経験って、誰にでもあると思うんです。なので、ノンフィクションの背景にフィクションを作りだすことが、昔からずっと小説の魅力だったんじゃないかと思います。

円城 あ、こういうことだったんだって腑に落ちるときに、1回フィクションを経由するっていうやり方はありますよね。

辻村 そうなんです。円城さんと知り合うきっかけになった神林長平先生のトークショーで、先生が「人間っていうのはむき出しの現実だけを生きられない」って言われたんですよ。その言葉がすごく印象に残ってて、むき出しの現実たとえば、いま私が円城さんとお話ししていて、みなさんがそれを聞いてくださってるっていう現実があるとして、自分の見えている範囲以外のカメラワークでこの現実を捉えたらどう見えるだろう、上から俯瞰で眺めたらどうだろうと想像したり、以前見た映画と重ね合わせたりして、誰しもが何らかのフィクションのフィルターを通して物事を認識しているような気がします。フィクションを介在させて世界を捉えていくのが小説家という職業だし、小説家に限らず、人間は誰でもそうやって生きているのだろうと。

円城 本当にそうですね。ものを見てるとき「網膜はフィクション精製機だ」とか思いませんか?

辻村 ああ、わかります!

円城 だって実際は膜が反応しているだけじゃないですか。鼓膜もそう。「おまえはただ揺れてるだけ」とか思います。

辻村 そうですね。そこから勝手に脳が意味を見出すわけですものね。

円城 フィクション精製マシンを通してものを見たり聞いたりしてる感覚が僕は常にあって、網膜をもっと大きくすればどう見えるんだとか、鼓膜をもっと大きくすれば何が聞こえるんだとか、僕はそっちの発想に行くんですよ。小説で言えば、たとえば視点人物を1000人出す、ということは可能じゃないですか。うまくはいかないんですけど、そういうふうにフィクションのまた別の形式を作ってみると、別の理解の仕方ができる。「望遠鏡を使うと月がちゃんと見えました」みたいな話に近いんですけど、小説を、人間の概念を広げていくツールとして使えると楽しいのかなって。

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別册文藝春秋 2014年7月号

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