- 2014.06.27
- インタビュー・対談
公開対談 辻村深月×円城 塔
小説で“事件”を描くとは
第150回記念芥川賞&直木賞FESTIVAL(別册文藝春秋 2014年7月号より)
出典 : #別册文藝春秋
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
教科書には載りたくない
円城 僕は、そもそも書いてるものがよくわからないものなので……。
辻村 自分でも?
円城 自分でも。最近本格的にわからなくなってきて、おじいちゃんの繰り言みたいな台詞を書いているうちに、それが地の文になっていたりする。だから、よくわからないものを書いているぶん、僕の小説ではあんまり人がリアルに死んだりする必要がないのかな、とも思う。逆に言うと、あえて事件を入れるからにはきちんと考えて書こうというふうになり、どうせやるなら『バトル・ロワイアル』ぐらい人を死なせたほうがよいのかとも思い、その塩梅がうまくつかめない感じがあるんですよ。ミステリーだと「まずひとり殺しとこう」みたいなことをどうしても言われるじゃないですか。だから大変だなって思うんですけど。
辻村 でも、人が死なないミステリーっていうジャンルもあって、北村薫さんがおやりになっていたり、同世代だと米澤穂信さんが書いてくれてるから、私はあまり「人を殺さなきゃ」という意識はないです。
円城 たしかに辻村さんの小説、あんまり死なないですよね。
辻村 そんなには死なない(笑)。『鍵のない夢を見る』は、「頑張って殺そう」がコンセプトで、結果、何人か死ぬことになったんですけど、なぜかミステリー扱いされなかったという皮肉な運命をたどりました。
円城 なんででしょうね。
辻村 直木賞をもらったからじゃないかと……(笑)。
円城 ああ、なるほど。賞を取ると、すごくまともなものだと思われがちですよね。
辻村 ジャンルとか、娯楽であることとか、そういう風には捉えられなくなってくる。
円城 べつに辻村さんの小説がまともじゃないって言ってるわけでもないですけど(笑)、極端な場合には小中学生の学校の課題図書みたいに思われることもあって、そんなことはないのにって。
辻村 ねえ。賞をいただいた後によく言ってることなんですけど、自分の書くものが「大人が勧めるもの」の1つになってたまるかという意地があるんです。小さい頃、大人が勧めるものって大概つまらないって思いこんでしまって、そのせいで大人が勧めるものを全然読まないできて、大人になって読んでみたら「こんなに面白かったのに、大人が勧めたせいで読むのが遅れたじゃないか!」って(笑)。だから、私の小説を、あんまり大人の人に勧められたくないという気持ちで書き続けているところはあるんですよ。
円城 いま僕、僕の本を子どもに勧める親っていうのを想像して、「それはどういう人だろう」という気持ちになってたんですけれど。
辻村 何だろう。SF右翼とかですかね。
円城 ああ。英才教育みたいな?
辻村 SFの英才教育! それはそれで格好いいですよ、教科書に載る円城塔って。
円城 怖いですね、載りたくないですね。読んでくれる人の幅って、直木賞の後、広がりました?
辻村 年齢層が広がったかなという感じはしています。
円城 それで何か困惑されました?
辻村 困惑はしてませんね。ただ、私はやっぱりずっと「中2病」みたいな世界観で生きていて、私が中2の頃に読んだもの、神林先生もそうですけど、いまだに「これが神」みたいなことをすぐ言っちゃうし、誇りに思ってこだわっているところがあります。
いま私の小説を、中学2年生とかの多感な時期に同じように思って読んでくれてる子がいたとして、私が大人の賞をもらった作家になっちゃった、自分だけの辻村深月でなくなったと思われたら、その子たちの気持ちを裏切るようで、すごく嫌だと思ってるんです。賞をいただいておいてすごく僭越な話で、それならノミネートの段階で降りろよっていう話なんですけど。
円城 僕も、もちろん読者が広がるのはありがたいんですけれども、「そう言われても」っていうところまで届いてしまった感じがあって、わりといま困惑してますね。べつに変わらず書けばいいんですけど、わからないと言われると、もっとわかりやすい事件を入れたほうがいいんじゃないかみたいな迷いもあって。
辻村 受賞後に出された『屍者の帝国』は、受賞作の『道化師の蝶』とはまた趣が全然違うものでしたね。
円城 ゆえにまた混乱を引き起こしていて、SFの人なのか純文学の人なのか、何の人なのかわからなくて困るっていうことを言われるんです。でも、そこはもうあきらめてほしいというか、まあ、何を書くかは難しいです。