当時は翻訳本も出ておらず、読みたいけれど読めないという状態だったのが、一九九九年、本邦第一弾として『最後の瞬間のすごく大きな変化』(文藝春秋)が出た。これはアメリカの発表順では二冊目になる。つまりペイリー五十二歳の中年期(熟年という表現も何か重ったるいし、ほかにいい言葉はないものか)の作品だ。それから瞬く間に六年の時を経て、今回の本書の登場となったのだが、発表順がアメリカとは、つまりペイリーの制作順とは逆になっているのには何か意味があるのだろうか。単なる事務的な問題か。まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、ちょっとね、オードブルの前にメインディッシュを食べちゃったような気がしないでもないもので。
しかし本書を読み終わると、そんな危惧は屁でもなかった。確かに『最後の瞬間のすごく大きな変化』は、ペイリーの人間として作家としての旬の(しゅん)時代の作品だから、充実しているし読み応えがある。端正だし、腰が据わってしぶとくもある。十七の独立した話がそれぞれに響き合い馴染み合い繋がり合い、最終的にはひとつの長編小説を読み終えたような気分にさせる力量は、さすがは五十二歳のものと感心する。
それに対し本書は若さで勝負といおうか、十の話の一つ一つが勝手に飛び跳ねやたら元気である。個性豊かでわがままなミュージシャンたちのジャムセッションという趣がある。次に何が出てくるか予測不可能な面白さがある。どちらがいいとか、どちらを先に読むべきかとかは、好みの問題だから何とも言いようがないが、私の場合、先に滋味豊かな味に触れたそのおかげで、子育ての合間を縫ってでも書かないではいられなくなったきっかけを「時代をともにしている男女の姿を、何か独創的なスタイルで語る必要を感じていた」と言うペイリーのその当時の、書く喜びと意気込みの、初々しいほとばしりをより鮮明に感じられたような気がしている。
収められた十編が十編とも新鮮さと驚きにおいて甲乙つけがたいのだが、個人的嗜好の琴線の音量順ベスト3を発表すると(オオゲサな!)、「若くても、若くなくても、女性というものは」、「淡いピンクのロースト」、それからこれがクラウンに輝くのだが「変更することのできない直径」である。この中の語り手である中年男チャールズ・C・チャーリーの、超一流的オトボケには骨抜きにされた。時代も国も異なるとはいえ同じような題材を扱った浄瑠璃「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」の悲劇的な結末との、天と地のような違いにもズッ転(こ)けさせられた。こんな面白い物語を思いつく若きペイリー、侮り難し。
たった三冊、しかも最後の出版が二十年前にもなろうかという、普通なら忘れ去られて当然のブランクを抱えながら、今でも数多い読者を持ち、熱い支持と敬意を受けているグレイス・ペイリー。それだけでもすごい、脱帽となるのだが、八十三歳の現在は二回目の結婚でヴァーモントに暮らし、車をガンガンぶっ飛ばし、通う大学では創作を教えているそうだ。あな恐るべし、グレイス・ペイリー。日本における長岡輝子といい勝負。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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