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30年間手放せなかった「むかし・あけぼの」は、平安の世界へ誘う道しるべ

30年間手放せなかった「むかし・あけぼの」は、平安の世界へ誘う道しるべ

文:山内 直実 (漫画家)

『むかし・あけぼの 小説枕草子』 (田辺聖子 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 登場人物の配置もお見事だ。『むかし・あけぼの』のように一人称語りの作品は自分の側から見たことしか書けないため、物語が広がりにくいのだが、この作品はそれをまったく感じさせない。夫の則光や兄の致信(むねのぶ)をうまく配置することで、男から見た宮中や世の中の出来事が語られているからだ。彼らが登場するたびに物語の視点がちょっと変わり、当時の社会がより立体的に見えてくる。清少納言には完璧と思える関白一家も、兄にいわせれば評判の悪い積悪の家に過ぎない。伊周には父のあとをつぐ器量はないとバッサリ。則光も「関白のうしろには高二位一派がいる」と、道隆の北の方の実家にあたる高階家に厳しい目を向ける。それは世間一般の見方に近かった。男の目線がなければ、道隆から道長へ権力が移っていく過程もこれほどリアルに伝わらなかったろう。

 絵巻物のように華やかなイメージとは裏腹に、この時代は血なまぐさい政争が続いた。疫病が蔓延して都は死体があふれ、不穏な空気に包まれていた。この物語を読むと平安時代の影の部分が手に取るようにわかる。そのギャップが興味深い。実際、病気になった使用人はお邸から放り出され、親を亡くした子供をカゴに入れて町なかで売り歩くことが平気で行われていた。どこかのお邸からさらわれた高貴な姫君、ということもあった。そういう時代に『枕草子』は書かれたのである。

 

 理想の女性として描かれる中宮定子は私から見ると、清少納言フィルターがかかりすぎていて、あまり興味が持てない。おいおい、それは誉めすぎだろうと一歩引いてしまうが、あの時代の貴族ならそれが可能だったのだろう。最近見たテレビドキュメンタリーによると、イギリスでは十九世紀末から二十世紀にかけて、多くの貴族が持参金を目当てにアメリカの富豪の娘と結婚したそうだ。アメリカの金持ちは娘を名門貴族に嫁がせるためにありとあらゆる教育をほどこした。そのなかには退屈な女性と思われないための会話術や、背中に装具をつけて猫背を矯正するレッスンまで含まれていたという。定子の機知に富んだ会話やユーモアのセンスはもちろん本人の才能もあったろうが、教育によってかなりの程度まで身につけることができたのだと思う。

 同じ時代の同じ出来事でも、角度を変えると別の一面が見えてきておもしろい。定子が全盛だったころ、父親の道隆や兄たちと談笑しているところへ一条帝があらわれ、定子を御帳台へ連れて行ってしまうというエピソードがある。清少納言はそれをただ「仲睦まじくて、めでたい」と書いているが、「私はあなたの娘をこんなに大切にしている、だから、バックアップをよろしくね」という帝のアピールだと解釈する本を読んで、なるほどと思った。定子から彰子へ後宮の主役は移っても、一条帝が当たり障りなくこなしているのを見ると、政治的な手腕のある世渡りのうまい人だったのかもしれない。

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文春文庫
むかし・あけぼの 上
小説枕草子
田辺聖子

定価:990円(税込)発売日:2016年04月08日

文春文庫
むかし・あけぼの 下
小説枕草子
田辺聖子

定価:1,056円(税込)発売日:2016年04月08日

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