書評

『無双の花』解説

文: 植野 かおり (立花家史料館 館長)

『無双の花』 (葉室麟 著)

 周囲にいる人との関係に気をつかうとか、ことさらに縁起をかつぐという心性は、十五歳から人質同様に戸次道雪の養子となって暮さねばならなかった宗茂に後天的に備わったものかもしれない。たくましさの例としてあげた分厚い甲冑も、鉄砲の玉から身を守るために念には念を入れた結果と考えると、かなり用心深い(決して気が小さいといっているわけではない)性格だったのではないかと思う。

 だからと言って苦節○○年、のイメージにありがちな屈折感はないし、先の見通しのないまま長い間浪人として過ごしたにしては、やさぐれた風などみじんも感じられないのが面白い。それは、関ヶ原の後の手紙の数々に如実にあらわれている。もちろん単に将来に明るい展望のみ持って暮らしていたわけではなく、落ち込んではいるのだ。とてもわかりやすくへこんでいる。そういう人だから、一転大名に返り咲いて徳川将軍のお気に入りとなって側近く仕えると、悪びれることなく無邪気に喜んでいる。忠義の武将、ぶれない生き方などと言われることが多いが、頑なわけではない。過去に囚われることがないので、かつて養父戸次道雪があれほど手こずらされた毛利家とは豊臣政権下で親戚同様の付き合いとなるし、実父高橋紹運のかたきであったはずの島津家とも昵懇の間柄となる。極めて現実的かつ未来志向で、いっそすがすがしいくらいである。こう考えると秀吉への忠節から西軍に加担した(と言われることが多いが、実際は毛利家との深い繋がりゆえであったようだ)はずなのに、その後徳川二代秀忠と三代家光の寵愛を受けたことも、宗茂にとっては何の矛盾もないことだと理解できる。その時その時の現実をシンプルに思考して行動し、全力で前向きなのだ。

 妻である誾千代との関係については、伝承されてきた物語の中で取りざたされたような単に険悪な夫婦関係ではなかったと思っている。正室への気配り、婿としての気遣いも普通にあったことが、わずかな史料からうかがわれる。第一本当に対立していては、家中が二派に割れて家の存亡に関わるような時代である。宗茂と誾千代は信頼できる共同経営者として共に乱世を生きていたのだ。大名として柳川に再封された時、まっさきに亡き誾千代のために寺院を建立し、その寄進状に「毎日茶湯を欠かさず供えてください」と書き添えるところにも宗茂らしい素直な気遣いが感じられる。

 結論として翳りがない。まずいことに女性を惹きつけるある種の負の色気というものも感じられない。男性には好かれそうだが、女性にもてるタイプとは言えないかもしれない。初めて葉室さんにお会いしたとき、宗茂を主人公にした小説を書くにあたって、とても書きづらい人物だというようなことを言っておられた。浮き沈みの激しい生涯であったとはいえ、「真面目にやっていたので元の大名に戻ることが出来ました。」だけでは物足りないだろう。確かに小説向きとはいえないかもしれない。葉室さんは頭を抱えたのではないだろうか。もちろん小説であるから、フィクションで味付けして新しい人物像を作り上げることは可能だし、斬新な切り口で面白い話に仕立てることも可能だろうと思うのだが、不思議なことに葉室さんが描き出した宗茂は私がprofilingした人物像にとても近い、いや最も近い作品かもしれない。宗茂が生きた時代から四百年という時間の隔たりは、私たちに遠い星を仰ぎ見るような感情を起こさせがちであるが、数多ある史料がみせるひとつひとつの表情は、遠い昔のカリスマ武将のオーラをまとったものではなく、どこかで会ったことのあるような身近さと親しみを見せる。とても普通の人なのだ。それでいて、むしろそれだからこの小説の主人公は大変に魅力的なのである。

 ここが葉室麟の真骨頂なのだろう。

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無双の花
葉室 麟・著

定価:510円+税 発売日:2014年07月10日

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