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『無双の花』解説

『無双の花』解説

文:植野 かおり (立花家史料館 館長)

『無双の花』 (葉室麟 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

『無双の花』文庫本の解説を、というお話をいただいた時、ある日のことが思い出された。この本の出版がご縁で葉室さんに柳川市でのイベントに来ていただいた日、駅までお送りする道すがらであったと思うが、葉室さんからこんなことを尋ねられた。

「立花宗茂は男として魅力的ですか?」

 長く立花家史料館の仕事にたずさわっているが、今までこんな質問を受けたことがなく、いささか虚を突かれてあわてて答えをさがしたような気がする。

 第一、会ったことがない。文書や武具など史料が比較的まとまって残っている歴史上の人物なので、さまざまな切り口で文章にしたり講座でお話したりすることはあるのだが、好きなタイプかどうか(という意味で尋ねられたと勝手に思っているが)などと考えたこともない。野暮な研究者と一人の人間に肉薄しようとする小説家の違いを思い知った次第だが、この際よい機会なので、立花宗茂をprofiling──人物像描出──してみることにする。

 その生涯を手短にまとめるとこうなる。

──豊後大友氏の家臣高橋紹運の長男として一五六七年に生れる。十五歳で大友氏重臣、戸次道雪の娘誾千代の婿養子となり、立花山城主となる。秀吉の九州平定の戦功により柳川の大名に大抜擢されるが関ヶ原で西軍に加担したため改易、浪人の日々を送る。が、二十年後に旧領柳川の大名に奇跡の復活をとげる──

 波乱万丈の生涯を送った立花宗茂、まずどのような見た目であったのかは気になるところである。立花家に遺る肖像画からは、丸顔に澄んだつぶらな瞳、童顔であったことがうかがわれる。甲冑からその体格を推し量ってみよう。この具足の製作時期を年齢に想定して三十歳前後とする。大名クラスの甲冑はオーダーメイドなので、臑当(膝頭から足首にかけて、臑を防御するための部品)の長さを利用して膝高を推測してみる。それを膝高から身長を予測する計算式にあてはめてみると、一七五~一八〇センチくらいのようだ。現代人のための計算式であるから多少の誤差はご容赦いただくとして、やはり思った通り高身長な男性だったようだ。ちなみに、甲冑の胴の大きさから腹囲を推測すると少なくとも八五センチはあったようだが、多分メタボではない。太くてゴロリとした臑当の形から、ヒラメ筋と腓腹筋が素晴らしく発達した姿が想像できるからだ。兜鉢は一般的な戦国武将の兜の地鉄に比べてとても分厚く、したがってすごく重い。四キロもある兜を厳しい戦場で長時間被り続けられるのだろうか、と思い巡らしながら首の太い僧帽筋の発達した後姿を想像した。高身長で鍛えられた肉体の持ち主であったということか。

 性格的にはどんな男性だったのだろうか。

 まだこの仕事に就いたばかりの頃、宗茂の書簡資料を整理していてその指示内容の事細かさに「なんだかずいぶんと細かい人だなあ……」と感じたのだが、戦国武将とは大体そういうもので、細部まで大名が直接家臣に指示をすることはめずらしいことではないようである。つまり個人商店主のようなもの、と言えばよいだろうか。そこを割り引いても、細かいことは気にしない豪傑タイプ、とは言えそうにない。家臣に対してしばしば人間関係を気にかけるようなメッセージを送っているし、何かよくない事が起こるたびに、あるいは一向に良いことが起こらない時に、自らの運気を開こうと思ったのかざっとみても九回、やたらに名前を変えた人物である。しかし、浪々の身分から一転して大名復帰となってから名乗った「宗茂──むねしげ」はよほど縁起がよいと気に入ったのか、晩年剃髪してからも「宗茂──そうも」として生涯使い続けているあたり、とてもわかりやすい人である。また、大量に遺された守り札の数々(兜の受張りの内側からも発見された)をみると、神仏への気配りにも怠りがない。

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無双の花
葉室 麟・著

定価:510円+税 発売日:2014年07月10日

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