小説の中の宗茂は、二代将軍秀忠にこんなことを言っている。
「世は努めることを止めぬ凡庸なる力によって成り立っておるかと存じまする」
ここには史料と小説に通底するもの、日常をひたすら丁寧に等身大に生きる人々の姿があらわれている。歴史を埋め尽くす、努めることを止めぬ凡庸なる小さな光の数々のなんと愛おしいことか。
だからと言って『無双の花』が凡庸で地味な話ということでは決してない。主人公と脇を固める登場人物たちの心の襞が丹念に描かれていて味わい深いことは無論であるが、なんといっても登場シーンの格好よさには心底しびれた。映画における名画の導入シーンを思わせるロングショットで、私の目の前には清々しくも幾ばくかの寂しさをたたえて広がる筑後平野とそこをゆっくりと進む宗茂一行の姿が現われ、歴史の大伽藍が立ち上るような思いにわくわくした。
──この年、宗茂は三十四歳。切れ長の目をしたととのった顔立ちだ。宗茂がゆったりと馬をすすめているところに家老の小野和泉が馬を寄せてきた。──(中略)──和泉が何事か話しかけるが、宗茂は頭を振り、近くにいた矢島石見に声をかけた。
石見はまわりの者に指示し、たちまち十数騎が隊列からはずれて宗茂に従う形になった。
宗茂はちらりと和泉に目を遣ると、馬腹を軽く蹴って、さしかかった分かれ道へと馬首をむけた。──
ここから、葉室さんの魔法にかかってしまった。なぜだかわからないのだが、惚れてしまったとしか言いようがない、いい男ではないか。ともあれ、こんな密かなときめきを抱きつつ、私はあっと言う間に十七世紀初頭のこの物語の舞台へと引きずり込まれてしまったのである。私を含め、歴史研究に携わる人間は、なかなか歴史小説を楽しむことが出来ないという悲しい職業病に罹っている傾向があるのだが、この小説には最後まで気持ちよく身をゆだねることができた。葉室さんは歴史研究者ではないが、直観的に歴史を織りなす人間の本質、真善美へ向かおうとする本質のすぐ傍らにいつも立っているからではないだろうか。
冒頭の質問「立花宗茂は男として魅力的ですか?」にあらためて答えを出そうと思ったが、やはり研究者は商品に手をだしてはいけないのだ。いけないのであるが、なぜか『無双の花』に描き出された立花宗茂は、反則だと言いたくなるくらいに女性からみても理想の男性像なのである。
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