はじめてツチヤさんと会ったのは、二〇年ほど前の英国ケンブリッジだった。お茶の水女子大学で長年お茶くみをしてきた功績が認められて、ツチヤさんは晴れて在外研究の名目で彼の地を踏んでいた。初のエッセイ集『われ笑う、ゆえにわれあり』がまもなく上梓されるころだった。そこに載せる著者の写真をもとめられて、ツチヤさんはすべての顔写真にメガネやカイゼル髭(ひげ)を描き込んで送った。その話を聞いたとき、素顔を世間にさらしたくないとは、なんと謙虚な人柄かと感心したものだ。たとえ短期間の付き合いでも、わたしの奥ゆかしさから学ぶところがあったのだろう。やがて刊行された本の内容が、これまたすばらしいものだった。「以前から書きとめていたものがかなりの量になり、出版をしきりに勧めてくれる人がまわりにいなかったので、自分から出版を交渉した結果がこの本である」という書き出しを読んだときの衝撃は、いま思い出しても手が震えて、服用中のコエンザイム9点(たぶん満点は10点)を取り落としそうになるほどだ。
エッセイ集が出版されると、ツチヤさんはそれを英国人にも読ませようと自分で英訳をはじめた。そして英会話の先生から添削してもらったものを、あちこちに配った。怪しげな日本人が書いた怪しげな代物を無理やり読まされた英国人の困惑を思うと、気の毒で涙を禁じえない。それでも男性読者にはとても評判がよかった(あくまでツチヤさんの希望的な印象だが)。社交辞令を差し引いて円周率を掛け、さらに富士山麓にオーム鳴くと仮定しても、予想以上の好評価だ。下手をすると日英国交断絶かと懸念していたわたしは、ホッと胸をなでおろした。ただ、フェミニストの女性たちからの感想は芳しいものではなかった。ツチヤ流の屈折した「女性蔑視」が相手には不満だったのだろう。
ソクラテスには悪妻クサンティッペがいた。ギリシア哲学を専攻するツチヤさんは、そのひそみに倣ったのか、エッセイ集でも「悪妻」を登場させた。ツチヤさんの愛読者のなかには、「これほどひどい妻などいるはずがない、これは誇張か完全なフィクションだ」と疑う人もいるだろう。そんな読者に、わたしは断言する。なんならツチヤさんの乏しい全財産を賭けたっていい。それでも足りなければツチヤさんの年金も差しあげよう。惠子さん(いやここでは仮にK子さんとしておく)は「悪妻」どころか「良妻」である。ただ世間の基準からはかなりズレているだけだ。
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