ツチヤさんは我慢の人でもある。ショーウインドーで見つけた英国製のコートを気に入ったものの、サイズが英国人用のLとMしかなかった。そのうちSサイズが入荷するだろうとショーウインドーに通い詰めているうちに、Mが売り切れた。こんなことならMを買っておくべきだったと後悔しながら、ツチヤさんは泣きぬれてカニとたわむれた。差し歯が外れたときは歯医者でつけてもらったが、すこしズレてしまった。それでも我慢してじっと手を見た。床屋で髪を切ったときは、左右がアンバランスな仕上がりになった。それも英国ではよくあることだとあきらめて、たわむれに母を背負ったが三歩も歩けなかった。これだけ我慢強い性格は、妻、大学の助手、教え子たちの長年にわたる手荒い仕打ちに耐えて培われたものだ。ツチヤさんならそう書きそうなところだが、真実は違う。要するに、間が悪いのである。
間が悪いといえば、阪神大震災への義援金集めに日本人会が催したチャリティーバザーに、腹をすかしたツチヤさんが顔を出したこともあった。握りずしのコーナーには英国人が長蛇の列をなしていた。ところが売る側の人手が足りず、急きょツチヤさんはバザーの売り子に駆りだされた。どう考えてもツチヤさんに売り子は似あわない。そのうえ釣り銭の準備も間に合わなかったので、ツチヤさんは自分の財布から小銭を出して渡す羽目になった。
ここまでツチヤさんの人柄をほめちぎってきた。彼のことはいくらほめてもほめすぎることはない(という和文英訳問題が英語の試験によく出る)。その勢いを駆って、本書のこともヨイショしておこう。本書に収録されたエッセイは、『われ笑う、ゆえにわれあり』と比べても丙丁(へいてい)つけがたいほどすばらしい出来である。これまで書かれたツチヤさんの本は、ほとんど読んでいる。内容はまったく覚えていないが、ちょっと度忘れしただけだ。そのわたしが義理で推薦するのだから、これほど確かなことがあろうか。
ツチヤさんのユーモアの魅力は、厳密な論理構成に見せかけた「詭弁」にある。しかもその論理はつねに「肩すかし」される。わたしたちは文章を読むとき、あとに続く論理展開を予想しながら読んでいる。いわば論理の「係り結び」を期待している。ところがツチヤさんは、読者が無意識に期待するその「結び」をわざと巧妙にズラす。まさかそう来るとはといった意外性が、こみあげる笑いを生むのである。
エッセイのなかでは、ツチヤさんは「いじめられっ子」である。女たち(妻、助手、教え子)から不当ないじめを受けながら健気に耐えている。虚弱体質、言語不明瞭、挙動不審、転倒癖などの弱みをすべて兼ね備えたツチヤさんには怖いものなし、まさに鬼にふんどしである。この「被虐(マゾ)的自己顕示(賢二)」というスタイルは、おそらくツチヤさんの独創的な発明ではないだろうか。
ツチヤさんが神戸に転居した正月、「百年年賀状」が自宅に届いた。年賀状を出すのは今後やめるので、これからの百年分を今年の一枚で代表するということだった。どうもツチヤさんは、あと百年間は生きるつもりらしい。わたしたち読者も、ツチヤさんの屈折した被虐的笑いを、もうしばらくは楽しめそうである。
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