土屋さんは何とも不思議な人である。
私が土屋さんと知り合ったのは大学院の学生のときだから、小中高校の同級生ほどではないが、同僚や教え子と比べれば古い友人と言ってよかろう。しかし何十年も前から知っていてもまだ分からないところがたくさんある。
親しくなったきっかけは、学会の後の雑談の折に、土屋さんと私ともう一人の友人の三人で議論を始めたことである。(何についての議論だったかはもう忘れてしまった。)なかなか決着がつかなかったので、土屋さんの誘いにより、東上線の沿線にあった土屋さんの自宅のマンションに場所を移して、ほとんど夜を徹して語り続けた。しかし三人とも頑として自分の意見を譲らなかったため、議論は平行線をたどった。
この経験から、強情な人にはいくら説(と)いて聞かせても無駄であるという教訓を各人が学んでもよさそうなものだが、そうはならなかった。それどころか、なぜか我々三人は、その後も東京の学会で顔を合わせるたびに土屋さんのマンションに泊まり込んで議論するのが習慣になった。この習慣は、私ともう一人の友人が地方の大学に就職した後も続いた。土屋さんも私も酒を飲まないので、ほとんどアルコール抜きで、時々口直しにトランプをして遊ぶ以外は、延々としゃべり続け、議論を続けたのである。
三人のうちで、土屋さんは、一番小柄で、一番ひ弱で、一番風邪をひきやすかった。頑強に自説を主張することでは他の二人にひけをとらなかったが、議論の後ではいつも疲労困憊(ひろうこんぱい)し、翌朝は誰よりも遅くまで寝ていた。しかしいくら疲れても、迷惑そうなそぶりを見せたことはなかった。ただ一度、私が履き替えた靴下を土屋さんの家に置き忘れたところ、「今後忘れ物をするときは、現金、預金通帳、宝石、貴金属、有価証券に限るべし」という年賀状が来たことはあるが。
また奥さんも、後の土屋さんのエッセイから想像されるイメージとは大違いで、我々が深夜までわけのわからない議論を続けていても、いやな顔一つせずに手料理でもてなしてくれた。医者からカロリー制限を勧められている私が、出てくる料理を片っ端から平らげるのをにこにこしながら見守っている大らかで優しい人だった。