

――本作では辰彦と杉、そして共に文学を志した仲間たちとの瑞々しい青春時代、金銭問題に苦労する怒涛の壮年時代、ひとりきりになってしまった杉の老境の寂寥が、時間を往来しながらさまざまに描かれています。
青春時代から老境の寂寥までを書くためには、実際の90年の歳月が必要でしたね。若いころには書けなかったことを、この『晩鐘』の中では書いていると思います。
――本作であらためて描かれる辰彦の姿には、やはり独特の凄まじさを感じました。金銭的なことに苦しみ、人にも多大な迷惑をかけているのに、本人はあまり悪びれもせず、それどころか「よりにもよって」の出来事や人間関係から最後まで離れることがない……。
この小説はその辰彦のことをわかろう、理解しようと思って書き始めましたが、書いているうち、理解しようとすることや意味づけに「意味がない」ことがわかってきました。そもそも人をほんとうに「理解する」ことなんて、できることではありません。辰彦がかく考え、行動したのは「彼がそのような人間だったから」。辰彦以外の登場人物もそうで、皆かく生き、かく懸命に生きたということだけでしかない……それが今回「わかった」ことですね。
だから今は、これまでの怒りや批評的な考えが随分と治まってしまって、なんでも「そういうものだ」と肯定する、全体的な愛の境地にいる気分なんです(笑)。
――「およそ人間ほど高く育つものはない。深く滅びるものもない」というヘルダーリンの言葉を辰彦は口癖にしています。辰彦とこの言葉の距離の変化も、この作品の読みどころになっていると思います。
昔からよくその言葉は言ったり書いたりしていました(笑)。辰彦は本当にヘンな人でしたが、そのヘンな人にずっとつきあう杉も相当にヘンな女。そのことも今回「わかった」ことですね(笑)。
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