深緑のブナ林は清々しい。白一色に凍てついたブナの森は神々しくさえある。だが、新芽が芽吹く直前のブナ林の美しさを、それまで私は知らなかった。
二〇〇二年の春、私は、新潟県と山形県の県境付近にいた。残雪の白と雪解けの茶、新芽の淡い緑によって、まだら模様を織りなすブナの森が、眼下には広がっていた。
麓の里から、硬く締まった残雪の上を歩きはじめておよそ三時間。決して楽な行程ではなかった。
登山道があるわけでもない山襞を、前を行くマタギの長靴がつけた踏み跡だけを頼りに、必死の思いで歩き続けた。
それにしても、マタギと呼ばれる猟師たちの健脚ぶりには、驚きを通り越して呆れてしまう。総勢で二十名ほどの一団の最年長は、とうに七十歳を過ぎた老マタギである。それなのに、二回り以上も若く、山歩きの経験もそこそこある私よりも、はるかに足が速い。
その昔、里の人々は、険しい山稜を縦横無尽に駆ける怪しげな存在を見て、天狗や鬼と畏(おそ)れ戦(おのの)いたという。おそらく山駆け修行の修験者のことだろうと、今までの私は考えていた。
だが、ここに至って認識を新たにした。里の人間に怪異と映った者の正体は、彼らマタギだったのではあるまいか。
そして、これ以上ついて行くのは無理だとあきらめかけたところで、ようやく到着したのが、マタギたちが「クラ」と呼ぶ猟場、クマ猟の谷だった。
彼らが行おうとしている猟は、冬ごもりを終え、越冬穴から出てきたばかりのツキノワグマを狙う「巻き狩り」である。
谷底に配置された勢子(せこ)たちが、「やーほうっ」「よーほうっ」という鳴り声をあげて、遊んでいる(マタギたちは、猟場にクマがいることを「クラで遊んでいる」とか「クラについている」と表現する)クマを峰の方へ、上へ上へと追い上げる。
一方、猟場を見下ろす稜線下では、猟銃を手にした射手たちが、ブナの木立に紛れて身を潜め、身じろぎひとつせずに、藪を割ってクマが現れるのを待ち続ける。
雪解けの季節とはいえ、立っているのは雪面だ。じっとしていれば、たちまち足下から冷気が襲ってくる。残雪を撫でて温度を下げた寒風が、露出している頬に突き刺さる。事実、あれだけ火照(ほて)っていた私の体も、三十分、一時間と待つうちに、歯の根が合わなくなるほど冷え切ってしまった。
ふいに、猟場の一角で黒い塊が動いた。私が立っている稜線からは、せいぜい豆粒ほどにしか見えない大きさだ。直線距離で二百メートルはあるだろう。が、紛れもなく野生のツキノワグマが、マタギたちの包囲網から逃れようとして山肌を駆けている。
血が騒いだ。逃してなるものかと思った。あのクマをなんとしても仕留めてくれと、マタギたちに向かって心の中で叫んでいた。クマに対する憐憫(れんびん)は微塵(みじん)もなかった。ただひたすら、狩猟という行為がもたらす興奮に身が震えていた。